著名人との対談

VOL.53

後藤瑞穂氏×山本一郎

樹木は、私たちに何かを語りついでいくために永遠に生き続ける

後藤瑞穂氏×山本一郎

対談相手のご紹介

後藤瑞穂氏×山本一郎

樹木医

後藤 瑞穂

Mizuho Goto

樹木医、株式会社木風代表取締役社長。東京都生まれ、熊本県出身。九州造形短期大学デザイン科卒業後に造園建設業会社へ入社、ハウステンボスの建設事業に携わる。2001年に熊本県で女性第一号の樹木医に合格する。日本で初めて最新樹木診断機器であるピカスを日本へ導入した。樹木の健康状態を診断する「樹木診断」をはじめ、非破壊診断装置ピカスを用いた樹木診断やそれらに基づいた樹木の治療を行っている。造園設計や施工・管理も手掛けており、樹木診断・治療ともに個人・団体・神社・地域からの依頼に応えている。書籍の出版・講演会なども行っており、20225月にはTBS「情熱大陸」で取り上げられた。

対談の様子

山本 2022年5月に放映された『情熱大陸』で後藤さんの活動を拝見しまして、「女性の樹木医」の方が出演していると、そのご活躍ぶりに感動しました。ちょうど私のところの霊園にある1本のオリーブの木が元気がなかったので、「これはぜひとも診ていただきたい」と思い、毎日放送にいる私の友人にLINEをしてご紹介をいただきました。すぐに後藤さんに連絡をして、ご縁をいただきました。

 

後藤 そうですよね。連絡をいただいてさっそく診断にうかがいましたが、そのオリーブは海外から船で運ばれたので、だいぶ切り刻まれていて、そのせいでかなり痛んでいるなと思いました。上のほうはだいぶ切られていましたし、植えつけもよくなかったようで木が弱っていました。でも御社のスタッフの方が機転をきかせて事前にいろいろとメンテナンスをされていたので、私がうかがったときでも、まだ間に合ったという感じです。

 

山本 あのオリーブはスペインから運んできたのですが、木をそのまま輸入するには、根についた土なども落として運ばなければならないなど、検疫で多くの規制があって難しい面もありました。後藤さんはこうした外来の木を診て、すぐにどこが悪いかわかったのですか。

 

後藤 たしかに日本にもともとある木ではないので、すぐにどこが悪いとわかるわけではないのですが、そのときもちゃんと土壌を調査して、根がどのくらい生えているかを診ました。たとえば、日本人も白人も同じ人間なので診る基本は一緒です。それまでの生育歴や土壌が適しているかを診ます。ただ、育ってきた気候はかなり違うので、できるだけその木の生育に合う環境をつくってあげるようにするのも治療の1つです。

 

山本 後藤さんのおかげでいまは元気に育ってくれています。樹木医というと、一般の方にはあまり聞かれないご職業ですが、後藤さんはそもそもなぜ樹木医になろうとしたのですか。

 

後藤 私は祖母が医者で父が造園業という家庭で育ちました。小さい頃から2人の仕事ぶりを見てきていまの私があります。造園家の父、医者の祖母ということで、樹木と医者を兼ねた樹木医を目指しました。

私の地元は熊本なのですが、祖母は医者として離島に行って診療をするような人でした。テレビドラマの『Dr. コトー診療所 』そのもの、リアルDr.コトーです。ハンセン病患者の国立病院や本当に小さな島など、人があまり行きたがらないようなところに赴任していました。鹿児島の奄美諸島の与論島にも赴任していましたし、医者として立派な祖母でした。

父親は造園家でもあり実業家でビジネスセンスに優れた人です。私をいつも応援してくれて、樹木医になったときも田舎より都会のほうがニーズがあるからと東京に送り出してくれました。

 

山本 私は霊園でオリーブの木以外にもさまざまな樹木を扱っているので、樹木医の存在はとてもありがたいですが、やはり都会のほうが需要が多いのですか。

 

後藤 樹木医の資格を持つ方は全国で3000人ほどいるのですが、多くは別の仕事と兼業している方が多く、専業で樹木医をされている方は少ないと思います。私の場合は、依頼主さんは個人の方も多いですね。ご自宅の大事な樹木を見てもらいたいという依頼が案外多いですよ。あとは企業や役所、寺社仏閣などからの依頼もあります。とくに個人の依頼主さんは、亡くなった旦那さんが大切に育てられた木を診てほしいといった、思い出を大切にされている方などもいらして、そういった方の依頼は樹木医としてはうれしいですね。

一番印象に残っているのが、祖母と縁のあった奄美大島の加計呂麻島(ルビ:かけまろじま)のデイゴの木です。奄美大島に縁のある人たちと知り合いになって、2015年に初めて遊びに行ったとき、デイゴ見て奄美大島の木に何か恩返しというか、ご縁がつながるような仕事ができるといいと思っていました。最初は旅行がてらボランティアで診断していたのですが、役所の方とつながって正式にデイゴを診るようになりました。

山本 故人の思い出の木を大切にするというのは、もうそこに亡くなった方がいるような気持ちだと思います。永遠に樹木が生長してほしいという願いです。私も樹木のそうした生命力に惹かれて千年オリーブを植えました。やはり樹木の生命力はすごいですね。

 

後藤 その通りです。樹木というのは理論的には永遠に不滅な存在です。どこからでも再生して自分の体をつくっていく、そうした細胞の仕組みが神秘的だと思います。たとえば、枝が折れて接地すると、そこからまた根が生えてきます。つまり、そこからうすリスタートするわけです。同じ遺伝子でスタートしますから年は永遠に重なっていきます。樹木は肥大生長していく生き物なので、倒れたり折れたりといった物理的な障害がない限りずっと大きくなっていく。常に成長していくというメカニズムを持っています。そういう意味では、永遠に生き続ける生命力を宿しています。

カリフォルニアには100メートルを超える樹木もあるくらいです。主に私が診る樹木は学校や公園に植えたシンボルツリーだったり、沿道に植えられた木だったり、神木として祀られている木だったり。だから、樹木医が診てあげないと放っておいたら木は死んでしまいます。

 

山本 樹木は永遠の生命が宿っている。そんな後藤さんの思いが詰まった『樹を診る女(ルビ:ひと)のつぶやき』(熊日出版刊)というエッセイの一節に「生まれ変わり続けるスギ」というお話があります。1本のスギの木から森ができていく、まさに命が広がっていく様を描いていますね。

 

後藤 そうなんですよ。あの本の中であの一節がいいという方が多くて、ラジオ番組でも朗読されました。熊本県にある「高森殿(ルビ:たかもりでん)のスギ」というのですが、ちょうど訪れたのが真冬で、先輩の樹木医の方と一緒に行きました。行くとひと塊だけ緑色の小さな森を見つけました。すると、森だと思っていたスギの塊は1本の大木の枝が折れていて、そこから新しくスギの樹になっていたのです。

私はその森の中で立ち尽くしました。地面はスギの枯れ葉が積もっていて、まるでクッションの上を歩いているようでした。これが森というものをつくっていて、永遠の生命の循環なのだととても感動したのを覚えています。森の始まりですよね。

 

山本 オーストラリアなどではよく山火事になって、木がすべて燃えてしまってもまたそこから再生してさらに強くなっていきますよね。火事が起きるのを待って、それによって発芽する種があると聞きました。

 

後藤 火事が起きないと発芽しないという種類ありますから。だから、火事を狙って待っている種類もいるんです。そのほうが競争率は低くなって自分が優位に立てるから、ニッチを狙うという樹木の戦略的な生き残り方です。だから、種類によって尾根筋に生える、谷筋に生える、海のほうに生えるというように、1つの場所を競争するだけではなくて、樹木もフロンティア精神に満ちあふれているわけです。

オーストラリアのお話が出たついでに、欧米の人たちはすごく森を愛すると言われてますけれど、日本人の森林や樹木に対する考え方は欧米の発想よりも優れていると思います。欧米は産業文化が早く発達して森林のほとんどを破壊していますから、そこからの反省で森を大事にしようというような姿勢が進んでいるのではないでしょうか?私たちはどちらかというと、もともとすべてを伐採するのではなく共存しようという精神文化があります。やはり自然と共に生きているという考え方は日本人1人1人が持っていると思います。ですから、それをもっと意識化してアクションにつなげるというのが大事です。

 

山本 後藤さんは、木を大切に思ってほしいという思いで樹木や自然といった啓蒙活動もされていますね。公園にある木の治療をしている姿を子どもたちに見せたり、樹木が自然の生態系にいかに必要かといったことも講演されています。

 

後藤 とくにそういったことを子どもたちに伝えていくと、大人になってから学習するよりも環境問題に対する理解力がすごいので、自然を守る、樹木を守るという意識を持ってもらえると思っています。ですから毎年、小学校から依頼を受けていまは福島県で教えたりしています。それはただ自然の大切さを教えるのではなく、子どもたちと一緒に遊びながら、ネイチャーゲームといったゲーム感覚で楽しみながら知ってもらっています。

こうした啓蒙活動も樹木医の仕事として大事な部分だと思っています。なぜなら、樹木を治療するということは人が生きることにつながるからです。人は樹木がないと生きていけないので、樹木を治す。それを大事に思うというのが教育ではないかと思っています。

 

山本 日本ですと、たとえば新潟県のように海がきれいで魚が美味しいというところは山の水がいいと聞きます。樹木が森をつくり、ひいては海までつながっていく。だからこそ、日本人は樹木と共存しようという精神が土台にあるのだと思います。

 

後藤 やはり森林が水を浄化していますから。森林が豊かなところほど水がきれいですよ。熊本にも白川水源や黒川水源がありますが、天然林のあるところは土壌の中にも微生物が豊富です。微生物が吐く息が土壌の水と一緒に染み出してくるので、シュワシュワシュワシュワーっとシャンパンのように発泡しています。まさに自然の炭酸水のようです。

結局、豊かな森は水を育んでいるんです。先ほどの父親の話で、都会のほうがニーズあるというのは、田舎のほうはこうした森がありふれているので、そこまで関心がないということがあります。それが当たり前なんですよね。

 

山本 実は、私は樹木にそれほど興味がありませんでした。ですから、いまの仕事のおかげだと思っています。仕事をしていて、女性は花が好きで木も愛するということがわかって、商売は「女性を大事にしないと流行らない」というのが鉄則になりました。だから、女性に好かれる花や木は重要で、造花ではダメだ、木をもっと大事にしななければいけないと気づきました。

そう思うと、流行っていない霊園は雑木だらけで放ったらかしになっています。竹の雑木林の霊園などは鼻が曲がるほど臭かったですね。夏にお墓参りするときの花筒も相当においます。そこで花筒には銅を入れてにおいを消しています。こうしたことも花や木に関心を持ったおかげです。

 

後藤 花や木を大事にされている霊園は本当に美しいですものね。逆に山本社長にお聞きしたいのですが、最近は樹木葬をされる方が増えていますね。実際、樹木葬はどんな状況なのですか。

 

山本 偽物と言うと怒られますが、9割方は単に樹木葬と名乗っているだけで、行ってみたら樹木が植わってなかったという霊園もありました。私どもの近辺も樹木葬がかなり増えていますが、雪柳をちょっと植えただけで、ただ墓石がないお墓という感じです。雪柳は低木なので、これを樹木と呼べるかどうか。ほかにもさざんかや椿を植えていたりしているところがあります。実際にトラブルも多く、お骨を埋めたあとに椿を植えて、枯れてしまうと新たに椿を植えるのに1本30万円を請求されて、ご遺族ともめるケースもあります。

私が考える樹木葬は、シンボルツリーがあって、そこに会いに来てもらうという環境です。たとえば、屋久杉を見に行くとなればすごく遠いですし、伊勢神宮に行くとスギをみんなが触って、木がはげてテカテカになっています。木は人間よりはるかに年を取っているのに、悠々と生きながら私たちを見守っています。そんな木の持つ神秘性を大切にしていくならば、シンボルツリーが一番いいのではないかと考えています。

そのシンボルツリーをなぜオリーブの木にしたのかというと、その寿命です。スペインでは樹齢3000年という木もありますし、パレスチナには4000年以上の木があると言われています。しかも長い間、人間が生きていくうちに油を取ったり実を食べたりとずっと支え続けてくれます。ですから、まさに生命力のシンボルとして植えています。

後藤 それは山本社長のすごいところですね。なぜ樹木葬のお話をお聞きしようと思ったのかというと、私も樹木葬に興味があって、日本あちこちの樹木葬を見に行っています。

樹木葬と最初に名づけた岩手県の一関にある知勝院というお寺に行ったことがありますが、そこは樹木葬の理想形だと思いました。石もないし、本当に森の中にお骨を埋めて、山全体がお墓という感じです。その地域の自然の豊かさも助勢していて、生物多様性に貢献したとして生態系認証もトリプルAを取っているような場所です。そんな樹木葬が理想だとは思いますが、ビジネス的に考えるとなかなか成り立つのが難しい感じで、環境にもいい樹木葬を山本社長ともいろいろお話して、新しい形をご提案できればと思っています。

 

山本 リトアニアに世界無形文化遺産になった「十字架の丘」という墓地があるのですが、そこも山のようなところにあって、遺族の方が骨壺を持っていってそこに撒いて帰るんですね。その山が先ほどお話されたように聖地になっていて人間の手は入れられていません。

20万以上の十字架が立てられていて少しゾクッとするような場所ですが、リトアニアが第1大戦下ではドイツに、第2次大戦下ではロシアに占領されたという歴史の中で生まれた場所で、リトアニアの人にとっては愛国の象徴です。リトアニアは、第2次大戦中に領事館に赴任していた杉原千畝(ルビ:ちうね)が「命のビザ」を発行したことで知られる国です。

 

後藤 自然とお墓になっていったんでしょうね。もともと樹木葬も山のスタイルですから。それが見ていくうちに、いまでは公園のようなスタイルも増えていきました。

山にお骨を埋めるのは、自然の一部になれる。自分の亡骸が環境をよくしていることにつながるなら、それでいいなと思いますけれど。奥深い山の中、たとえて言うと屋久島のようなうっそうとした山で、そこにある御神木の下に眠る、そのようなところがあるといいなと思います。

ただ、現実的には山に埋葬されると遺族の方はそうそうお墓参りに行くことはできなくなりますし、山本社長の霊園のようなドーンとしたシンボルを中心にした集合墓地ということになりますね。あとは、その場所が十字架の丘ではないですが、常に訪ねることができる工夫が必要でしょうね。

山本 これからもお墓が売れなくなっていって樹木葬になっていくのは間違いありません。高齢化社会で、これから40年くらいは亡くなる人がピークになっていきます。すでに火葬場もいっぱいで、埋葬も大変な時代を迎えます。ですから、樹木葬の新しい形を創造していかなければいけません。

たとえば、お墓っぽく見える樹木葬のエリアと山のエリアを複合した施設など面白いかもしれません。子どもの遊べるアスレチックがあって、山のエリア周辺にはアウトレットモールがあり、大きなケーキ屋さんというような名物の商業施設や造園業の方々のいろいろな体験ゾーンがある。自然を体感できるスペースの延長に墓地があり、気軽にお参りできる感覚で楽しめる施設などはいいと思います。亡くなった方が自然に帰るだけであり、自然の一部として生き続ける。それこそが永遠の命だという気がします。

 

後藤 とても素晴らしいでね。樹木は場所が狭くても土壌が悪くても常に自分を最適化して、置かれた環境に応じて一番いい形をつくり上げて生長していきます。でも、理想の樹木葬が生まれれば、樹木医としては、今度は山全体を管理するという役割も出てきそうです。

先祖を敬うと同時に、先祖の一部となった樹木も愛する人たちが増えることは、私の啓蒙活動と同じではないかと思います。講演会で樹木の話をすると、経営者のみなさんは「樹木のようにちゃんと自分の現状に対して、アイデアを持って工夫して成長していけなければ」とおっしゃいますが、山本社長はまさに樹木のようです。

 

山本 樹木がいろいろなことを教えてくれますね。後藤さんお話をうかがっていて、樹木は本当に不思議な生き物だと思います。ただ長生きするだけでなく、再生されて永遠の命を紡いでいくのですから。

新しい樹木葬ということでも今後、いろいろなお知恵をお借りしたいと思います。最後に、樹木を愛してほしいという樹木医からのメッセージがありましたらお話しください。

 

後藤 環境問題に関心を持つ人が増えてきました。是非可哀そうな木たちにも目を留めてほしいですね。先ほども申し上げたように樹木は置かれた環境で文句も言わずに生長しようとしています。でも樹木医から見ると、樹木たちは悲鳴を上げているのです。

たとえば、落葉前にイチョウの葉が邪魔だからといって枝ごと切ってしまうというところもすごく多いです。掃除が面倒だからと人間の都合で切ってしまうんですよね。普段は楽しませてもらったり酸素をつくってもらったりしているそうした樹木に、本当は感謝しなければいけないのに。

ですから、樹木が元気ではないとき、オフシーズンにも目を向けてくれるといいですよね。自分が住む近くの木が痛めつけられてないかどうか、ちょっと気をつけて見てみてはいかがですかというのが樹木医からのメッセージです。

 

山本 樹木はしゃべることができません。でも、置かれた環境で頑張っている姿は教訓になりますし、樹木たちはいろいろなことを私たちに語りかけているのかもしれませんね。私も自身の仕事を通じて樹木の大切さを伝えていこうと思いました。

本日はありがとうございました。