お墓というと途端に忌み嫌われ…
ハピネスパーク交野霊園誕生
ハピネスパーク牧野霊園がオープンして4年が経過する頃、宗教法人源覚寺の東野住職から「どこか良い場所に霊園を創れないか」と相談を受けました。
しばらくすると、土木関係の先輩から「交野にもハピネスパークを創ってほしい」と言われ、その先輩の土地を提供していただくことになりました。
牧野霊園のときと同様に、このときも地域から大反対を受けました。お墓というと途端に忌み嫌われます。
「暗い」「怖い」「気味が悪い」という先入観をなかなか払拭してもらえず、何度、牧野霊園の写真やホームページを見せて「明るく開放的な洋風の霊園です」と説明しても、反対の一途でした。
霊園開園前
ハピネスパーク交野霊園事務所
そんなある日、反対の声を上げ続けていた町内会長が突如、ハピネスパーク牧野霊園に見学にやってきました。そのときの言葉は今も忘れられません。「あんた、こんな霊園だったら賛成や。綺麗に創ってや」。
何度、写真やホームページで説明してもダメだったものが、百聞は一見にしかず、一目見てすぐに了承していただけたのです。
ハピネスパーク交野霊園はとりわけ満開の桜が美しく、霊園一体がバラに囲まれ、鳥のさえずりが聴こえ、緑豊かな山の眺望と合わせ、ことさら美しい霊園になりました。
今では敷地内に明治45年につくられた路面電車が法要施設として整備され、多くのお客様に訪れていただいております。
これからも安住の場としてハピネスを提供しています。
桜の時期の交野霊園N電