なんとかして、この地に洋風の霊園を…
ハピネスパーク牧野霊園誕生
2004年、ハピネスパーク牧野霊園は宗教法人龍泉寺の谷本住職とともにオープンに漕ぎつけました。
しかしながら地域の反対運動は壮絶を極めました。当時、その地は不法投棄が多く、枚方市のワーストスリーの一つとも言われるさびれた場所でした。
そんなところに霊園をつくり、さらに陰気な場所にすることが、地域の方々にとっては許せなかったのです。
暗く汚い場だった
霊園開園前
青天のハピネスパーク牧野霊園
解決策を模索する中、偶然目にしたテレビ番組で、東京でバラの咲く霊園が大ヒットしているニュースを観ました。翌日すぐに見学に行き、「なんと美しい霊園なのだ!」と強く感動し、関西にもこんな霊園を創りたいという意識が高まりました。
その頃、関東では「洋墓」と言われる背の低いお墓が主流になりつつありました。
費用の面でも、実は、洋風の霊園は和風の霊園より費用を安く抑えられるのです。
住宅に目を向けても、和風の家より洋風の家のほうが人気です。和風の家には和風の家の魅力がありますが、今の時代に支持されるのはやはり洋風の家です。
お金を払ってモノを買うとき、お洒落でセンスのいいものを買いたいと思うのは、とりわけ女性にとっては必然でしょう。
それ以降、「なんとかして、この地に洋風の霊園を創るのだ」という一念で、オープンまで漕ぎつけたものの、最初の一年はまさに地獄のようでした。
今思えば、ただ洋風の霊園にすれば流行るはずだという甘い考えしかなく、「なぜ明るく綺麗な霊園を創ったのか」というストーリーを何ひとつ伝えられていませんでした。
資金は底をつき、霊園の正面にある水場の掃除をするポンプすら買うお金がなく、水道のホースを切り、口で吸って放流するという情けない思いも経験しました。
それから一年が経過した頃、木々が成長し、思い描いていた理想の光景に近い空間となり、少しずつお客様に選んでいただけるようになりました。
丹念にバラを育て、花屋も常設し、2014年と2021年に二度の拡張をしました。
昨今では手ぶらで墓参りできる霊園として市民権を得、日本では有数のお墓参りに来ていただける霊園として認知していただけるようにもなりました。
ありがたいことに、お客様からは「どんどん良くなっていくから嬉しい」という最高級のお褒めの言葉をいただております。
ハピネスパーク牧野霊園は現在も日々、成長しています。