著名人との対談

VOL.50

草刈民代 氏×山本一郎

文化とともに新しい価値観を模索する

草刈民代 氏×山本一郎

対談相手のご紹介

草刈民代 氏×山本一郎

バレリーナ・女優

草刈 民代

Tamiyo Kusakari

東京都出身。バレリーナ・女優として活躍。バレエ団の主要バレリーナとして、また世界各地でゲストバレリーナとして活躍した。全国舞踊コンクール第一部第一位、文部大臣奨励賞を受賞。88年村松賞、89年橘秋子賞受賞。

96年には映画「Shall we ダンス?」に主演。社会現象になるほど話題の作品となり、女優としても数々の賞を受賞。

大河ドラマ『龍馬伝』にてテレビドラマ初出演。11年、主演バレエ映画「ダンシング・チャップリン」が公開される。 12年、映画「終の信託」に主演し、第36回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞。同年NHKドラマ「眠れる森の熟女」にも出演。今後も様々な分野での活動が期待される。

対談の様子

山本:草刈民代さんは世界的なバレエ舞踏家でいらっしゃいますが、まずは女優・草刈民代さんについてお話を伺います。というのも先日、草刈さんが主演されていた映画『終の信託(ついのしんたく)』をもう一度観ました。

この映画は、安楽死というテーマで、医師役の草刈さんが死の迫る患者に延命治療をすべきか安楽死という道を与えるか、まさに選択を迫られる葛藤を描いた映画でした。

 

草刈氏:私もあの映画を撮影するときに、その問題について勉強をしたのですが、自身では判断できないような状況を迎える前に延命処置をするかしないかを自分で決めて、周りにしっかり伝えておくことが大切だと知りました。

大切なのは、患者本人が何も判断できない状況になった時、「どのように考えるか?」ということのようです。延命をしないで生を全うすることが寿命なのか、機械に生かされて生き抜くことが寿命なのか、もう本人にはわかりません。

実際に機械による延命治療によって、何年も生かされたままということがあるそうです。もしもこんなことになると患者本人がわかっていたら、延命措置をするかしないかの判断は変わっていたかもしれないという方が結構いらっしゃるという話を聞きました。

 

山本:映画では安楽死(自殺幇助)がテーマでしたが、日本では患者が安楽死をお願いしても、医師がそれを手伝うと罪になります。安楽死が合法とされているのは、ベルギー、ルクセンブルク、オランダ、スペイン、の約4ヶ国ぐらいしかありません。

まだ安楽死についての法律は制定されていないのですが、容認はされているというスイスに日本人の方が行って安楽死を迎えるというテレビ番組がありました。その方は、身体がしんどく、余命半年しかないのだから1日も早くこの苦しみから解放されたいとおっしゃっていました。

身体に液体を入れられて亡くなっていくのですが、あまりにも自然に、そして安らかに眠りにつく様子に安楽死という選択は悪ではないという思いがしました。現実は安楽死を良いと思わない方が圧倒的に多いと思うのですが、『終の信託』を観た時に、自分が病で苦しい時にどこで解放されるのか、医者や家族がそれを決めるわけでもない、さまざまな考え方があると思いました。

私も15年前に母を亡くしたのですが、兄弟たちは母に長生きしてほしいから頑張れと言っていました。ところが、意識不明の状態が5日間続き、そんな母を見ているととても苦しそうで、もう苦しまなくていいんだよという考え方に変わりました。

また、私の友達がくも膜下出血で倒れて、生命維持装置を付けたことがありました。彼の父親は私たち友達に順番に電話をされて、1人ずつ彼に面会をしてほしいと言われたのです。全員に会ったあとに生命維持装置を外すということでした。ただ生かされている姿は見るに耐えないと。彼は36歳という若さでしたが、これまでよく頑張ったのだから、もう生命維持装置を外させてほしい。だから最後に息子に会ってやってほしいということでした。延命措置をしても手や足を触っても動かないし、ただ肉体があるだけなんですよという話もされていました。

私も最近、こういった相談をいただくことが増えていて、日本も安楽死に対する考え方が変わっていかないのだろうかと思っています。『終の信託』では最後、医師は罪になってしまいましたが……。

 

草刈氏:私の両親も『終の信託』を観たあと、絶対に延命治療はしないでほしいと言っていました。実際に、私の周りでも延命治療はしないで欲しいと言っている方が多いのですが、まず本人がどうしたいかを決めておかないと、家族が延命治療をしないという選択をした時に、周りの人たちから後ろ指をさされることがあるのだと思います。少しでも長く生きてほしいという姿勢を示さないと、酷いことをしたということになりかねない。でも実は、機械によって息をしているだけで、それが延々と続くということになる可能性が高い。お金もかかるし、何のための延命治療なのかもわからなくなってしまう。結局、長生きの方向性がわからなくなってしまうんですね。そういった話は数多く聞きました。

いっぽうで海外では、癌に限らず心臓の病でもあまり延命治療をさせないようです。映画では自分で呼吸ができなくなることを防ぐために延命装置を付けるのですが、それをやれば心臓が動いている間は生きているということになる。でも果たしてそれが幸せなのか……。

 

山本:たしか映画では、身内の方が延命治療をするかしないかを判断できず、曖昧なままなんですよね。

 

草刈氏:はい。だから処置として装置を付けてしまうのですが、患者に外してくれと言われていた医師が、果たしてこのままでいいかどうか悩みます。映画では医師が患者に心を寄せすぎていたということもありますが、普通はそこまで立ち入らないですし、そこまでの判断をしてはいけないということになるのです。

原作小説は実際に起きた事件がモチーフになっていますが、その事件が起こって、どういう場合なら罪になるということが法律で決められたそうです。それゆえに、いまは死に関して本人のはっきりとした意思がないといけないと思います。

海外などでは、どういうふうに死ぬか、を選択するのは自分だという考えが当たり前のように存在しているようです。もともと個を重んじるという文化なのでしょうが、日本の場合は死を自分で決めるということがはっきりしていませんね。

これはすべての考え方に影響しているのではないでしょうか。日本人は自然にこうなるといった独特な自然観を持っていますが、世の中がこれだけ西洋化されて、それに合ったシステムができてしまうと、自己というものを持っていないとシステムの中でおかしなことが起きてしまう。死を含め、きちんと自分で選択できないと、これまでの考え方に引っ張られて「なぜ、こんなことになってしまうのか?」という状況に陥ることがあると思います。自分で選択できる世の中になっていかないと、これから大変なのではないかという思いがありますね。

 

山本:ここ数年、日本では終活がブームになり「エンディングノート」というものが流行っています。ノートには人生の終焉までのライフステージにおいて、何をすべきか、最後はどうすべきかを書いていくのですが、そこに記されたことは法的には無効なんです。死んだあとどうすべきかという身の処し方は遺言状でないと有効になりません。

 

草刈氏:そのお話も聞いたことがあります。おそらくそういったことを多くの人は知らないんでしょうね。だからこそ、正しいことを広めていかないと。エンディングノートに書いておけば大丈夫だと思って宣伝されるままに買ってしまいますが、実は無効だということは宣伝では公言しません。エンディングノートは遺言状を書くための材料になるとひと言添えればいいと思うけれど、売る側はノートが売れればいいので、そこを理解していないと買う側は商業的なことに振り回されることになってしまいます。

私は『終の信託』に出演して、そういった情報を知りましたが、情報がないと素直に受け止めてしまう。売る側が目立つための情報ばかりです。日本はそんな情報ばかりがあふれる国になってしまったのですから、自分たちが正しい情報は何かを見つけていかないといけないと思っています。

 

山本:たしかに海外では“Yes”か“No”しかありません。自分で判断してどちらかを決めていくのが当たり前です。しかし日本には、「どちらでもいい」という選択肢があります。

私の父親はあまのじゃくだったのか、「俺が死んだら葬式はしないでくれ」と言いながら、友人には長男である私に向けて「長男は盛大に葬式をしないといけない」と言っていたようで、結局どちらなんだと思うことが多々ありました。

 

草刈氏:おそらく昔は、話し方も含め、はっきりものを言うことが無粋だったんでしょうね。失礼に当たるのではないかと相手を気遣ったり、イエスノーで短絡的に判断することが格好悪いことだったり。昔はそれが日本人の美徳でもありましたが、いまはそうは言っていられなくなってしまいました。言われたことを真に受けて、実はそうではなかったという状況にみんなが理解し始めていて、自分ならどうするかということをきちんと考えないといけない時代になったのだと思います。エンディングノートは、そういった意味ではその一歩として、自分の死をどうするか、死んだあとはどうしてほしいかを考える一助になると思います。

 

山本:ここは弊社の事業にもつながっていく問題なのですが、子供の代に迷惑をかけたくないから死んだあとのお金は全部出すといったことを言われる方が多くいらっしゃいます。その時は、将来何かあった時には子供に頼むしかないのでは、と私は伝えます。ですが、子供に頼みにくいような親子関係の方も実に多い。そこに「どちらでもいい」という答えがいつもあります。

 

草刈氏:やはり、私達日本人は歴史的に自分で責任を取るという教育を受けていないんでしょうね。自分で決めて、自分で責任を取りなさいと言われてきていないことが、いまの状況を作り出しているのかもしれませんね。本当は子供たちときちんとつながっていないといけないと思っていても、かえって迷惑をかけてしまうからお金は全部出すといった発想も出てくるのだと思います。

でもいまは、子供もいないお一人さまという方も増えています。そうした人が増えてくると、どちらでもいいとは言っていられなくなる。そういったことを1人ひとりが自覚しないといけないですし、多くの人が気づいているのではないでしょうか。

 

山本:それは、お墓やお葬式だけに限ったことではないですよね。子供たちといかにつながっていくかということは、これまで先祖が培ってきたものを未来にどう昇華させていくかということにもつながってきます。

 

草刈氏:お墓のことにしても、子供が遠くに住んでいてほったらかしになると何が起きるのかということも、その時にならないと、なかなかわからない。大変な思いをする人が増えていかないと、多くの人は自覚できないことかもしれませんね。もちろん、これだけ急速に世の中が変わってくると、お墓に限らずすべてにおいてそうだと思います。

 

山本:その通りですね。ただ日本は世界でも有数の墓参り国と言われており、国民性であると思います。日本は、お酒や果物をお墓にお供えして帰りますが、こうした習慣も日本人特有です。私はかなりの数の海外のお墓を見に行きましたが、こうした習慣は日本以外にはなかったですね。

 

草刈氏:やはり神仏という言葉があるくらいなので、日本人は神様と仏様がイメージの中で一緒になっていくのでしょう。亡くなったあとの魂には神が宿り、その魂は家族を守ってくれるという意識が脈々とありますし、仏様は自分に一番近い存在です。それがお供えにもつながっているのではないでしょうか。

芝居という観点から見ると、たとえば伝統芸能である能は、もともとは死者を弔うことから誕生したそうです。主人公を「シテ」と呼びますが、シテが演じる役柄には、神や亡霊の武者、亡霊の女などがいて、昔は登場する人物を弔うために演目をつくってお寺で上演していたそうです。それを知って、亡くなった方に思いを寄せるというのは、とても日本的な発想なのだと知りました。

 

山本:私は亡くなった家族に対する考え方、宗教観については、日本は素晴らしいと思っていますが、お墓の話となると草刈さんがおっしゃったように、大変な思いをしたくないということでどんどん合理化されています。

たとえばアメリカは、お墓にも大量生産という考え方があって十字架がたくさん並んでいるだけのお墓だったりします。逆にヨーロッパは1つずつお墓が違っていてオーダーメイドです。

日本はずらりとお墓が立ち並んでいますが、その様子を嫌う若い世代が増えて、お墓の形もたくさんできるようになりました。ですが、それもだんだんと淘汰されていて、環境が良くないと買わないというような世界観に変わってきています。

たとえば、ビルの建物の中にボタンを押すと自分の家のお墓が出てくるものもあります。私はこれには大反対です。建物が老朽化したら補修が必要ですし、蜘蛛の巣のような数のエレベーターはメンテナンス費用が驚くほど掛かります。当然、建物を建てるとお金もかかるわけです。

やはり、日本はお寺離れやお墓離れが進んでいっているのではないかと思います。

 

草刈氏:今、日本は何でも合理化しようとする傾向にありますが、日本人の文化として大切に残さなければいけないものまで合理化してしまうのは、とても危険なことですね。

 

山本:そうなんですよ。いまでは葬儀に参列すると、気を遣うからということで「ドライブスルー葬儀」というものもあります。実際に行くと、お布施を入れる場所も決められていて、モニターに向かって手を合わせて帰るのです。私は、そういったものがお寺離れ、お墓離れを作り出しているのではないかなと思います。

 

草刈氏:『終の信託』やお墓の話などをしていて感じるのは、日本でも価値観がすごく変わっているということ。死生観というものも日本人の精神的な文化の1つであって、死というテーマをあらためて考えることも大切なのだと気づきました。山本社長は合理化のためにドライブスルーにすることに異を唱えたり、お墓参りをしたり、子供の代へと受け継ぐなど、単なるビジネスではなく日本の文化として考えていらっしゃいますが、これは価値観の変化とともに考えていかなければならいないことですね。

いまもコロナ禍やウクライナ侵攻があって世界が揺れ動いています。その時に何をするか、こういった時だからこそ何をしていくか、という新たな価値観をきっちりと見つけて模索していく。そこから新たな文化として生まれてくるものがあるはずですから。

ロシアによるウクライナへの侵攻は、世界のバレエ業界の中で大きな影響を及ぼしていると思います。

 

山本:新たな価値観をきっちりと見つけて、模索していく。それが新しい文化を築いていくというのは、ビジネスでも芸術でも変わらないと思います。そこで今度は、芸術家、バレエ舞踏家としての草刈民代さんについてお話を伺いたいと思います。

草刈さんは75日に開催された「キエフ・バレエ」を支援するための慈善公演をプロデュースされましたね。

 

草刈氏:日本のバレエの歴史は、ロシアとは深い繋がりがあります。私としては、ロシアの侵攻による今の状況をただ見ているわけにはいきませんでした。

また、今こそ日本でもバレエダンサーの存在の意味を表現できるとも思いました。バレエというのは、世界と繋がっています。今回出演したダンサーのほとんどは海外で踊っているので、それぞれの活動の場でウクライナ侵攻について感じたことや、実際に体験したことを書いてもらいました。それをプログラムやHPで発信しています。


それは、「なぜ踊っているか?」「踊っていることがどういうことなのか?」ということにも繋がっていると思うんです。この公演をそうした発信の場として、自分たちから伝えられることがあるし、そのメッセージを読むことで、この侵攻について理解を深めてもらうことができると考えました。

 

山本:素晴らしいですね。「なぜ踊っているか?」「踊っていることがどういうことなのか?」ということを伝えることが、ウクライナ侵攻などさまざまな問題を考える1つの発信の場になる。これは草刈さんにしかできないことです。

 

草刈氏:今回のプログラムの中にはアメリカのモダンダンスの創始者マーサ・グラハムの作品もあります。それは1937年のスペイン内戦をテーマに作られたもので、ちょうどピカソが「ゲルニカ」を描いた同じ時期に作られた作品なのです。アメリカでもスペインの内戦を受けて、アーティストたちが反戦を訴えていた時期でもありました。

マーサ・グラハムが戦争中の人々のことを思って作ったもので、少し暗いソロですが、こうした作品が入るだけでもプログラムに重みが出ます。後半には「二羽の鳩」という本物の鳩が出てくる作品や、コッペリアから「祈り」という作品もやりました。そして、最後には「森の詩」というキエフ・バレエオリジナルの伝統的な作品をキエフ・バレエから来た2人に踊っていただきました。

ウクライナの人たちを支援するという公演としては、すごく意味のあるものになったと思っています。

 

山本:すごいですね。プロデュースというお立場から、こうした作品の流れを作るには、それにふさわしいダンサーが必要ではないですか?

 

草刈氏:それについては、いま海外で踊っているダンサーをネットやインスタで探して、私からメッセージを送りました。「草刈さんからメッセージ⁉」と、みんな驚いていたようですが、声をかけられたのはこういうことだったんだと、私のやりたいことを全員が理解してくれました。こういう試みが、ダンサーの社会性を育てていくことに繋がると感じています。

 

山本:バレエを通じてウクライナ支援をするというのは、まさに草刈さんにしかできないことですね。今回のチャリティー公演はどのようにして支援金が集められたのですか?

 

草刈氏:今回の支援は、ウクライナ支援といった大上段からではなく、キエフ・バレエ支援という具体的な形にしました。バレエでウクライナを支援するといって“dance for peace”のようなイベントにしてしまうと公演の意図が曖昧になり、おそらく日本ではお金が集まらないと思ったからです。ですから、ウクライナ支援としては、キエフ・バレエを支援するという形で、お金を集めることにしました。

そして、715日から89日にかけて、キエフ・バレエの公演(注:キエフ・バレエ・ガラ2022)があるのですが、そのインフォメーションになればいいという思いもありました。テレビのニュースや新聞などに取り上げてもらえれば、この公演を通じてさらにウクライナ支援が広がり、私の活動もそうした一助になるのではないか、日本で支援できることは、実際にキエフ・バレエを見に行くことだということが伝わるだけでもいいと思っていました。

チャリティー公演では、入場料は無料にして15000円以上の寄付をお願いしました。集まった寄付はすべてキエフ・バレエに送り、協賛金はキエフの本拠地での舞台製作の費用にあてることになっています。

バレエの世界でも、こういった貢献ができたことが、何かに繋がっていくと良いと思います。ヨーロッパでは、こういうチャリティー公演がたくさんあり、ウクライナ支援をしています。日本でも、キエフ・バレエが来るたびに、ウクライナの侵攻を思い出してもらうことが、日本の人が気持ちを寄せるサポートになると考えています。

私がやっている小さな活動が、ウクライナに紐づいてくれればという思いです。これはバレエでしかできないことですし、バレエだからこそできることと思っています。

 

山本:草刈さんの活動はけっして小さなことではないと思います。草刈さんのように培ってきた経験を通じて世の中に発信していける人、そういった人たちがまた新たな文化を築き、新しい価値観を生み出していくことが社会を変えていく。草刈さんのお話を通じてさまざまなことを感じました。

本日はありがとうございました。