VOL.48
倉本美津留 氏 × 山本一郎
「太陽の塔」のような温かい霊園を創り続けてほしい
対談相手のご紹介
放送作家
倉本 美津留
mitsuru kuramoto
1959年生まれ、広島県出身。コメンテーター、MC、ラジオパーソナリティー、ナレーション、作曲、演奏、他、作家活動にとどまらず、テレビタレントとして活動展開中。放送作家としては「ダウンタウンDX」「M-1グランプリ」「情熱大陸」など、数々の人気番組を手掛けている。「ダウンタウンDX」では、人気キャラクターのトポス君の声も担当している。
対談の様子
山本:毎回対談をしていただく方は、伝統文化や、新しいものを創り出していかれている方々で、今回もとても楽しみにしていた方にご登場いただけることになりました。今回のゲストは放送作家で、脚本・演出、そして作詞・作曲なども手掛けられる本当にマルチにご活躍中の倉本美津留さんです。
倉本氏:はい、僕も今日は、お墓の未来を考えたいです。
山本:倉本さんを知ったきっかけは、「夜はクネクネ」という関西ローカルの番組の作家だったんですが、亡くなった私の両親が、深夜にも関わらず毎週楽しみに見ていたことを思い出します。
倉本氏:嬉しいですね。「夜はクネクネ」では恵まれた環境で、仕事をさせていただいていました。
山本:今日は、その母親の命日なんです。
倉本氏:そうですか。夜クネは、散歩しながら街行く人々と対話する番組の元祖でしたからね。
あれが元祖街ブラですよね。あそこで面白さが証明されてから、色々な街ブラ番組がたくさん出てきましたね。ガチでもあれだけ凄いものが出来るっていう。
山本:僕は、原田伸郎さんが大好きで見ていました。
倉本氏:僕、原田さんの大学の後輩なんです。京都産業大で、鶴瓶さん、あのねのねは先輩にあたるんですけど。この仕事始めたときに、後輩だと知って、やりやすかったですね。
山本:あの番組は、伸郎さんと角淳一さんとトミーズ雅さんが駆け出しの頃でしたよね。
倉本氏:トミーズ雅さんは一切しゃべらないんですよ。
山本:リュック背負っていましたよね。
倉本氏:プラカード持って、一切しゃべらないっていう演出だったんです。
山本:その時は全然ブレイクしてなかったですよね。
倉本氏:まだこれからだったので、すごい抜擢だったと思いますよ。そのかわりしゃべれませんでしたけど。ボディーガードみたいな立ち位置で、最終回に初めてしゃべったんだったかな。
山本:それから、いろいろ創られて、M-1も関係されたんですよね。
倉本氏:島田紳助さんが「M-1グランプリ」を作って、第1回は、僕は家で見ていたんです。紳助さんがやるなら、見とかないとあかんって思って。見たら、すごく面白い! だけどこうしたらもっとおもしろくなるんじゃないかなというアイデアも湧いてきたんです。そのことをプロデューサーに話していたら、それやったらメンバーに入って言われて、2年目に構成で参加して、今のかたちを一緒に整えていった感じです。
山本:なるほど。
倉本氏:審査員をどうするか考えたり、最終決戦のかたちや審査方法を整理したんです。
山本:三人が決勝戦にいくというのもなんですよね?
倉本氏:そうですね。
山本:あのM-1でチャンピオンになったら、一夜にしてスターになるという。
倉本氏:日本だけどアメリカンドリームみたいなことが起こるんですよね、M-1って。サンドイッチマンなんて優勝するまで、ほんとに無名でしたけど、今や日本を代表するコンビですもんね。ゼロから急に売れるという瞬間がおもしろいです。
山本:ちょっと変えるだけでそこまでになるのは凄いですね。
倉本氏:システムづくりが僕の仕事です。今も毎年毎年進化していってるんですよ。
山本:僕たちの業界は、どちらかというと、暗い業界で、倉本さんに変えてもらいたいです。
倉本氏:お墓ね。お墓グランプリかぁ……。
山本:僕たちは、霊園をハピネスパークという名前で最初にやるとき、友達になんで墓なのにハピネスなの?と、ずいぶんと云われました。実際にやってみると、誰にも云われないですし、明るくしていても怒られないし、なんですよ。
倉本氏:死をポジティブにとらえるのはどうでしょ。たとえば「寿命」って、寿の命っていう字じゃないですか。
山本:はい。
倉本氏:成仏とは、仏に出世するって言葉ですし。その時の記念碑としてのお墓なのかなって思えると、なんかお墓が誇らしく感じられるような気がしますよね。
山本:そうですね。みんなが、難しく暗くとらえてしまっていますよね。関西と関東だと、死生観は違いますかね?
倉本氏:それはわかりませんね。僕個人がそう思ってるだけじゃないかな。
山本:芸人さんが死ぬと、笑わすとかって話を聞くじゃないですか。棺桶から出して、一緒にダンスを踊るとか聞いたことがあります。
倉本氏:芸人だったら死に笑いを添えるということはありえるでしょうね。
山本:アメリカ南部の黒人が多い地域なんかは、それこそ棺桶から出してダンスしたり、宴会をしたりしていました。
倉本氏:めちゃくちゃ派手なお葬式の文化が世界にはあったりしますよね。大阪はなんでも笑いにする文化があるから、東京は相対的に見るとおとなしかったりするんでしょうかね。
山本:意外と東京でもあるんですよ。でもちょっと成金っぽくなって、格好悪いというか、言い方は悪いですけど
倉本氏:お墓はご先祖様が眠っている場所だから、親しみがあるはずだし、そこで学べるし、癒されるみたいなことができたらいいですよね。ちょっとパラダイスみたいなイメージで。
山本:お化け屋敷とは違うんですよね。
倉本氏:お墓詣りを楽しんでもいいのかもしれません。楽しみながら、先祖を想ったり、自分のルーツを見つめたりできる場所になったらいいのかもしれませんね。
山本:弊社の霊園に108年前の電車を置きました。
倉本氏:108年前?
山本:それを直して、法要施設として使っているんです。それで今度、違う弊社の霊園に昭和25年の電車がやって来ます。電車内はソファーとかを置いて、リラックスできる部屋を創りたいと考えています。
倉本氏:なんか楽しそうやから行きたいって、子どもが思えるような場所にしていったらいいかもしれないですね。
山本:倉本さんは、子供が楽しめると聞いたら、どんな発想になりますか?
倉本氏:宝探しとか? ゲームと大事な学びが連動しているようなことがあったらいいかもしれません。電車などの乗り物も楽しいですよね。それ動いたらいいんじゃないですか?ジャングルクルーズみたいに。
山本:じつはそれ10万坪ほどある上海の霊園にあるんですよ。トラムで回るみたいな。でも、ダメだと思う部分もあって、お墓参りしている人に、中国人の運転手がバンバンクラクションを鳴らすんです。日本ではありえないですよね。お客様に対して・・・
倉本氏:巡るのが楽しいお墓がたくさんあったらいいですけどね。
山本:そうですね。景色とかもですね。
倉本氏:大阪万博のパビリオンて、すごく魅力的だったじゃないですか。あのぐらいの個性的なのがいいですね。
山本:その時の記憶は5歳だったんですが、倉本さんは覚えてられるんですね。
倉本氏:めちゃくちゃ覚えてます。当時小学生で、大好きでしたからね。
山本:その時の記憶はかすかにあるんですよ。並んで疲れたというイメージでした。太陽の塔に圧倒されたことは覚えています。岡本太郎さんが駄々をこねて屋根を広げたんですよね。
倉本氏:そうそう、屋根の高さは決まってたんですよね。日本を代表する建築家の丹下健三さんが決めて、その屋根の下で広場を作るという話だったのに、後から依頼された岡本太郎さんが考えたのは70メートルもあって。屋根に穴を開けてね。最高ですよね。
山本:どっちもすごいですよね。穴を開けろ!丹下さんに云った事も凄いし、穴をあけるってオッケーした丹下さんも凄いし。
倉本氏:岡本さんは、万博に対してネガティブだったという話もあって。人間が偉大だと言い過ぎているのではないかと。人類の進歩より凄いのは、原始だと。それでみんな頼みにいかなかったんだけど、最終的に岡本さんに頼んだら、バーンと天井に穴開けて。いまだに残っているのは太陽の塔だけですからね。屋根は無くなりましたけど。
山本:はい。
倉本氏:すごいエピソードですよね。
山本:霊園には樹齢千年のオリーブを入れてるんですよ。
倉本氏:そうなんですか。それをもっと謳ったらいいんじゃないですか。愛・地球博のとき太陽の塔の目を光らせる企画をやったんです。その光の光合成で、キッコロとモリゾーが生まれたというストーリーにしたらどうかなと。35年ぶりに目が光りました。
山本:すごいですね。
倉本氏:太陽の塔は万博の象徴なんだから、愛知の時も建てたらいいんじゃないかって言ったんですけど、予算がないから実現しなかったんですよね。
山本:話の規模が凄いですね。もともと目を閉じていたのに、目を開いて、名古屋に光を届けるっていう発想が面白いです。
倉本氏:おもしろかったですよ!
山本:そういうところが、倉本さんはアーティスト的な感じですよね。イベント屋とかって、そんなことって思いつかないじゃないですか。
倉本氏:ひらめきを世に出さないと、自分が役に立っていないと思うんです。
山本:それはアーティストですね。神秘体験と似ていますね。
倉本氏:閃きはどこから出てくるのか、不思議なものです。
山本:はい。
倉本氏:閃いたことを使っていないと罰があたるような。太陽の塔って、目に見えない世界と目に見える世界を繋いでいるような気がするんですよね。
山本:今でも、高速道路越しに通ったら必ず見ますからね。
倉本氏:道路から見えるんですよね。これだけは残してと大阪府民が運動したんですよ。市井の人たちの希望で残っているというのは尊いことですよね。
山本:潰さなくて、これは文化ですからね。
倉本氏:アートじゃないですか。サグラダファミリアと一緒です。
山本:僕、今話にあがったガウディが好きで、バルセロナに5回くらい行ったんですけど。
倉本氏:僕、新婚旅行バルセロナでしたよ。
山本:今、(サグラダファミリアは)大分できてきているんですけど、同じ感覚になるんですよ。岡本太郎さんは影響受けはったんだろうなと思うんです。
倉本氏:同じ感覚で生きていたんじゃないですかね。
山本:なるほど。
倉本氏:思想が近いような気がするんですよ。
山本:ガウディは、教会とか住む物が多かったじゃないですか。またちょっと違う感じですけど。
倉本氏:日本人のスケール感じゃないですよね。
山本:そうですね、まったく違うと思います。
倉本氏:太陽の塔は、世界遺産にはなってないですよね。
山本:なってないですね。
倉本氏:世界遺産にしたいですよね。
山本:丹下健三さんを黙らせたって凄いですよね。僕は、代々木の競技場はいつみても格好良いと思っているんです。
倉本氏:代々木の中にも太郎さんの作品がいっぱいありますからね。体育館の壁に。だから調和してると思うんです。
山本:凄い話ですね。考えられないぶつかり合いだったと思います。
倉本氏:自分のデザインが壊されるわけですからね。でも、それを最終的に受け入れた丹下さんはすごいですよね。懐が深い。
山本:イタリアでは、ミケランジェロを認めたラファエロですか。ラファエロはミケランジェロが嫌いだったじゃないですか。でも、彼の絵をみて認めてしまったという。そういうことは、日本ではあまりないですよね。
倉本氏:未来と過去と現在を繋いでいる太陽の塔は、お墓にも通ずる精神があるような気もします。思いを馳せるし、未来にも繋がっていることを感じられる。
山本:太陽のイメージのような霊園を創っていくことに今回は多くの学びを得ました。
太陽のイメージがある霊園って、素敵ですよね。絢香さんの「絢香 THIS IS ME ~絢香-10th anniversary BEST~」というジャケットの”楽樹”を当時それを制作された美術監督の方にお願いして復元してもらって、千年オリーブの森という霊園の建物の中に入れているんです。今はそこで商談や休憩をしてもらっているんです。
倉本氏:その樹が霊園にあるんですか?
山本:はい、霊園の中にあるんです。霊園の宗教法人の住職が、こんな事を言われていたんですよ。はじめて楽樹を見たときのインパクトは、生まれて初めて太陽の塔をみた時と同じだわと。
倉本氏:エネルギーがバーンと出てきてるんでしょうか。
山本:この楽樹、6メートルあるんです。それを管理棟の中にいれるのは、管理棟の高さを6メートルにして、トイレ棟を分けて、間を通路にしてバラのアーチを創ったんですよ。そしたら同業者の方が見たときに、こんな樹をいれたら派手過ぎてお客さんに怒られるんじゃない?と言うんですね。僕は、そんな事は云われないよ。その結果、派手と言われた事はなく、これがあるから良いと云ってくれて、契約してくれる方が沢山おられます。
倉本氏:ほう。
山本:派手な感じは全然しないんですよ。圧迫感もまったくないですし。最初はおじさん達がなんと云うか心配でしたけど。今はおじさん達がこの樹良いねと云うんです。太陽の塔の話を聞いて、この樹の話が繋がっていったのも、なんとなく分かりました。霊園やお墓って、陰気じゃないので、明るいものであります。また色々新しい霊園創りに力を貸して下さい。
倉本氏:今日はありがとうございます。
山本:ありがとうございます。今後ともよろしくお願い致します。