著名人との対談

VOL.42

井沢元彦 氏 × 山本一郎

お墓の歴史、信仰の歴史、弔いの歴史。

井沢元彦 氏 × 山本一郎

対談相手のご紹介

井沢元彦 氏 × 山本一郎

歴史小説作家・推理作家・歴史研究家

井沢元彦

motohiko izawa

歴史小説作家・推理作家・歴史研究家。日本推理作家協会会員。

1954年、愛知県名古屋市生まれ。

早稲田大学法学部卒業後にTBSに入社。大学在学中には「倒錯の報復」が江戸川乱歩賞にノミネートされ、TBS入社後に「猿丸幻視行」にて第26回江戸川乱歩賞を受賞する。

31歳でTBSを退社して以降、作家業に専念する。1992年より代表作である「逆説の日本史」を執筆中(既刊24巻)。その他主な著書に、『言霊』『穢れと茶碗』『隠された帝』『天皇になろうとした将軍』『世界の「宗教と戦争」講座』『銀魔伝』『黎明の反逆者』『魔鏡の女王』『恨の法廷』『信濃戦雲録』など。

2012年4月より、種智院大学で客員教授を務めている。他にも、TV番組への出演、講演活動も積極的に行っている。

対談の様子

山本:よろしくお願いします。今日はお会いさせていただくことを非常に楽しみにしていました。我々はお墓の仕事をやっていて、いま霊園開発などをしています。日本のお墓文化というのは西洋と比べてすごく遅れていまして、江戸の後半くらいから一般庶民にもお墓が使われるようになりました。きっかけは諸説あると思うのですがどう思われますか?

 

井沢氏:諸説ありますが、ひとつは江戸時代に入り、戦国時代が終わったため生活が安定したということ、もうひとつは徳川家がキリシタン監視のために檀家制度を作ったということでしょう。要するに日本人は必ずどこかのお寺の檀家となることでお寺と檀家の人の結びつきが強くなって、それまでは極端なことをいうと菩提寺を持たなくてもよかったんですけど、菩提寺を持たなければならなくなりました。当然そこにお墓を建てて永代供養してもらうというかたちになっていったんじゃないかな。それがまあ有力な考え方ですかね。

 

山本:檀家制度ができたのは江戸時代がはじまってしばらくしてから?

 

井沢氏:今はローマ法王も日本にいらっしゃっていてキリスト教を悪く言うと悪いことのように思う人もいると思いますが、あの時代のキリスト教は非常に侵略的だったので、徳川はキリスト教に対して非常に強い警戒感を持っていました。例えば南米ではインカ帝国を酷いやり方で滅ぼして、住民を全員クリスチャンに変えて植民地みたいにしてしまう。そういうことをローマ教会の了解のもとにやっていたわけですから、日本が警戒するのも当然です。さらにさかのぼって信長の頃は、日本の大名あるいは天下人とキリスト教会の対立はそれほど先鋭化していませんでした。むしろ信長は輸入品だった火薬の原料の硝石が欲しいもんですから、キリスト教を保護していました。しかし、だんだんスペインやポルトガルがどういう国かわかってくると秀吉なんかも警戒しはじめて禁教令を出しましたし、本格的なものは徳川家が出した禁教令。その反動として島原の乱がおこったのですが、それで余計に警戒したんですね。キリスト教徒は危険だと。スペインやポルトガルの言いなりになって日本を侵略する手先になる可能性がある。だから徹底的に排除しよう。その流れの中で潜伏キリシタンがでてきたわけです。そういった存在を徹底的に排除するためにはどうすればよいかということで知恵を絞った挙句、考えたシステムが檀家制度。お寺が行政機構の一環となって国民を監視することで、逆にお寺はすごく楽になったんですよ。それまでは各宗派が信徒をめぐって競争していて、例えば日蓮宗の人が、「浄土宗なんかやめてこっち来い」みたいなことができたんですが、それができなくなりました。それで私もそうですけど仏教界が少し堕落しちゃったのではないかと…寝転んでいても信徒は逃げないし、お金は入ってきますしね。

 

山本:言い方はなんですけど、檀家制度のおかげでお寺は「顧客」が必ず見つかるわけですね。

 

井沢氏:顧客が見つかって、その顧客は逃げないわけですよ。デパートなんかもそうですけどふつうはサービスの競争をしてお客を引き留めようとする努力が必要なんですが、一度決まると先祖代々そこに属さなきゃいけないんで。顧客が逃げることのない絶対的な企業になっちゃったわけですね。

 

山本:そのあと江戸の260年の時代が終わるくらいにかけて、庶民もお墓を立ててもよいという流れになったというのは、何が本当のきっかけだったのか?

 

井沢氏:やっぱり檀家制度がびっしりあるなかで、お寺と結びつきをしっかり持たなければならなくなって、一つお墓を作ってしまえばそこに代々…つまり先祖代々のお墓があるってことは一つ作ればそのお寺を動かないよ、他にいったりしないよ、と。戦国時代まで信仰は個人のものだったんですけど、それが家のものになっちゃったんです。だったらお骨をどこに葬るかということで、お墓を一つ設けることになったと思うんです。

 

山本:斬られた人がいて遺体をお寺にもっていくとそのへんに埋めておけというように、お寺さんが優遇してくれた時代があったというのを昔書物で読んだことがあるんです。

 

井沢氏:そこのお寺に墓ができればそのお寺に永代供養してくれということになって、これを供養の費えにしてくれと言って、お金が入りますからね。それはお寺さんにとってはすごくいい話ですよね。だから、無縁墓よりは先祖代々の墓に入れたい。そもそも先祖代々の墓っていうのは先祖崇拝で、儒教の考え方が少し入っています。外国はみんな個人のお墓ですよね。たとえばハプスブルク家の墓という墓室があってそこに納骨堂というか納棺施設みたいなのがあることはありますけど、一つの石碑にまとめちゃうのは日本独自のものじゃないですかね。

 

山本:そうですね。まあそのあと廃仏毀釈が起こっていろいろな方向転換があって、明治時代にお墓が結構建つようになったんですけど、それも檀家制度の庇護のもとみたいなものが?

 

井沢氏:これは外国人なんかにはわかりにくいと思うんですよ。明治に仏教を大弾圧してお寺も結構焼かれましたよね。それでお坊さんが神官、つまり神主になったりすることもあった。ということで、お墓はものすごく減ったと思われる人が実は結構多いんですけど、お墓はほとんど変わってないんですね。つまり、江戸以前の昔は神道が重視されていて、神道において「死」は穢れなんで、できるだけ排除しようとするわけですね。その名残で昔は遺体を捨ててたんです。これは相当な貴族でもそうで、たとえば藤原氏でも藤原道長なんて平安時代の人で栄華を極めたんですけど、実はお墓がないんです。庶民だったら京都に化野(あだしの)や鳥辺野(とりべの)とか、まさに遺体を捨てる場所があって、そこに捨てていたんです。ですがだんだん仏教の考え方が浸透してきて「死者を供養しよう」という話になると、ポツポツと個人の墓ができるようになりました。例えば武士が敵を討ち取ったり、首をとったりしても、その胴については丁重に葬るというような。あるいは、首も後で丁重に葬るということで、それは個人ですよね。そんななかで、日本という国は最初に神道というものがあって、その後仏教が伝わってきて、神道はできるだけ結婚式とか七五三とかそういったおめでたいもの、一方で死者を悼む、葬るっていうことは神道ではなく仏教がやろうという分業制がね、ある程度できた。だからそれがものすごく強かったってことです。実はあの明治の廃仏毀釈でお墓を完全に無くしたところっていうのは、薩摩藩つまり鹿児島県だそうです。あれはもうあの藩全体が仏教を捨てて神道になろうということになり、お墓とか仏壇とかいらないっていうことで藩主の菩提寺まで無くしちゃったんです。これはたぶん薩摩藩だけじゃないかと思います。

 

山本:そうなんですね。

 

井沢氏:そして実はそれと同じことをやったのが天皇家でした。天皇家も菩提寺というものがあって、位牌もあり、お墓についても仏式の石塔のものがあったんですが、明治に「仏教はそもそもインド・中国を経て渡ってきた外来思想」ということで全部排除して、今の御陵、古墳みたいなものにしちゃったんです。お寺さんが天皇の霊を供養することに文句は言わないけど、天皇側からは頼まないということにしました。模範を示したつもりだったと思いますけど、それを一番見習ったのが薩摩藩なんですよ。ところが薩摩と同盟を結んでいた長州藩はもともと本願寺さんの力がすごく強い地域で、そういう傾向に対して長州の場合はかなり歯止めがかかったんです。仏教は今までこれだけ日本を支えてきたから尊重すべきだ、と。それで分かりにくいんですよね。全体が廃仏毀釈でダメになったように見えるけれどもそうではない。

 

山本:その当時18万か所ぐらいあった山岳信仰を、今の山口県と鹿児島県、長州と薩摩は全てなくしてしまったという、その根絶やしはすごいと思います。やっぱりその山岳信仰も武家と繋がっていたという考え方なんですかね。

 

井沢氏:山岳信仰は檀家みたいなのもないですし、弾圧しようという人間にとっては弾圧しやすかったでしょう。それともう一つ、山岳信仰はかなりの部分で神道と重複する部分がありますよね。例えば富士山信仰とか館山とか、ああいったのはもともとそこにいらっしゃる神様を祀るもので、その後に仏教が入ってきたという経緯があるものですから、それを純化と言うかね、しようとしたんじゃないでしょうか。

 

山本:今のお話で明治維新のときの廃仏毀釈で僕が大好きだった東寺なんかの救王護国寺の五重塔の一階部分も絵が全部削られていたりとか・・・

 

井沢氏:あそこは真言宗の総本山のような。まあ高野山がありますけど。京都における京都本社のようなものですからね。

 

山本:仏像も国宝のものが一番多いのは東寺ですよね。

 

井沢氏:数がありますからね。ただ、大きなお寺の中には跡形もなく無くなっちゃったのもあるんです。いま奈良県の天理市と呼ばれているところはもともと内山と言ったんですが、永久寺という寺があったんです。永久というのは元号で、比叡山延暦寺や東叡山寛永寺というお寺もそうですけど、元号を冠したお寺というのは極めて格式が高い。元号というのは天皇が定めるものですから、元号を冠したお寺というのは天皇家によって建立を許された特別なお寺なんです。興福寺の近くでもありますし、相当財宝というか寺宝、仏像や仏画の類があったはずです。今はそれがボストン美術館に一部あってね。日本にあったら国宝だろうと言われているようなものが海外に流出しちゃっているわけです。だからやっぱり我々はあまり意識してないけど廃仏毀釈の傷跡っていうのはすごく大きいです。

 

山本:興福寺も奈良公園になってますからね。もともと興福寺の土地ですもんね。

 

井沢氏:そうです、おっしゃる通りで。奈良公園というのはあの辺一帯を指します。日本人は公園というと囲いで囲われたちっちゃな砂場があって、子供の遊具があるみたいなところを考えるんですが、実は公園っていうのは例えばイギリスとかニューヨークにあるパークというようなものすごく広くて森あり池ありっていうところなんです。それの基準で言うと、日本で英語の“パーク”と呼べるのは奈良公園だけなんですよ。じゃあなんで昔からずっと首都だった奈良にそんな広い土地が公園にするほど余っていたのかっていうと、実は明治の廃仏毀釈のときにあそこにあった興福寺の施設が相当壊されて更地になったからなんです。

 

山本:奈良市役所もそうですね。大きい土地ですよね。

 

井沢氏:大体あの辺にあるのはみんな興福寺の土地だったんですけどね。

 

山本最近思うんですが明治維新の廃仏毀釈と同じような感じで、現代では檀家制度は完全に崩壊していますから、潰れかけているお寺さんは山ほどあってですね。

 

井沢氏:もう墓じまいという言葉がありますよね。先ほど新たな霊園を開発しているとおっしゃっていたんですが、今後人口が3分の1になるだろうと。とても維持できないからどんどん墓じまいしていこうという、まあ墓の廃止ですよね。それをなさっている人が多いなかで逆に新たに作るというのはすごいことだと思うんですが。どういう方向性なんですか。

 

山本去年オープンしたところは霊園自体が1万坪ぐらいあるんです。そして、敷地の残っているところで、樹木葬をして欲しいっていう要望がありまして。今は後継者がいなかったり、女系家族、男の息子さんはいるんですけど未婚、そしてまた離婚とかで跡を継いでいけない方がびっくりするぐらいいます。お墓が1万坪あって管理費はもらえているので、そのお金でゆくゆく管理できるのであれば樹木葬しましょうかということで始めました。

 

井沢氏:ではかなりボランティア精神ですか。

 

山本霊園側から管理料を出してもらわなければならないんですけどね。話は変わるのですが、僕は合祀するのが嫌なんですよ。

 

井沢氏:合祀というのは生前縁もゆかりもなかった人たちを一つのお墓に祀るということですよね。

 

山本その通りです。よくテレビで管理料を払えなかった人のお骨を集めて、穴を掘って、そこに骨壺から廃棄している映像をみて、いくら亡くなったからと言ってこれは嫌だなと。合祀も嫌だなと。

 

井沢氏:新しい霊園に新たに合祀墓のようなものは建てるんですか。

 

山本いや、合祀墓はなくて1000坪が全部合祀墓のような形で、買っていただいたら動かさない。最初にお金をいただくと、もう永久的にそちらへ置くと。それでいいんだったらそこを開発してもいいよということで、受けた仕事をやりました。それが意外とですね、昔でいえば何千万もかけてお墓を建てるような人が後継者もいないからここにしよう、と決めてくださるんです。お墓はA4の大きさの石で、シンボルの木を中心に据えています。

 

井沢氏A4といいますと?

 

山本:コピー用紙の大きさでですね、その下にカロート(納骨室)があってそこに納骨するようになるんですけど。そこが結構需要があるようで、お話を聞くと「後継者がいない」、「土に還れるから良い」とか、特に多いのは「人間死んだらみんな一緒やろ」とか「わからんやん」というセリフなんですけど、「合祀はやっぱりいや」とか「家族で眠りたい」という人がこんなにも多いんだなと。

 

井沢氏:今おっしゃった墓地を経営する側としては管理料というのをいただいてますよね。でも後継者が途絶えて管理料が払えなくなると、普通は墓石を外してお骨は別の場所に移して、また新たに売るんじゃなかったですか。

 

山本:そうなんです。それに皆さんがどこか引っかかっていて、僕たちも合祀というか、お墓を潰すの嫌なんですよ。隣接した一万坪ある霊園の今まで入った管理料と、これから入る管理料とで一緒に経営管理してくれるのであればやってもいいということで、今回の樹木葬霊園は経営しています。その樹木葬の霊園では、最初に管理料とかを全ていただきますので建ててしまった後はもう何も支払わなくてよいというシステムをとっています。

 

井沢氏:それはずっと維持されていくわけですか。

 

山本:そうなりますね。

 

井沢氏:茶々を入れるようで恐縮ですが、どんどん人が死んでいくと場所が足りなくなったりしないんですか?

 

山本:一応限定で3000名だけということで今はやってます。全部埋まったとしても宗教法人側から管理料が入るので、そのお金で管理していくことになります。

 

井沢氏:樹木葬というと周りに木がいっぱい生えているんですか?

 

山本:当霊園については中心にシンボルの木があって、周囲も緑に囲まれていますね。

 

井沢氏:私のイメージだと木の根方に遺骨を埋めて自然に還すみたいなのを想像していたのですが。

 

山本:明確な定義は全くないのが現状です。埋めた後に木を植えるとか、1本のシンボルになる木があってその周りに埋葬するとか…

 

井沢氏:それも樹木葬なんですか?

 

山本:そうなります。

 

井沢氏:私が勝手に思っていたんですけど、樹木葬というのは遺骨が木の養分になるのかなと。

 

山本:必ずしもそうとは限らないですね。僕たちはどちらかというと大きなシンボルツリーがあって、それを中心として周りに眠ってもらうという形式です。

 

井沢氏:墓地の象徴みたいな感じで?墓石の代わりというか、その代わりに象徴的な木があると。

 

山本:そうですね。うちの場合は1件ずつ石もあってそこに手を合わせられるようにしていますが。ただ皆さん樹木葬といえどもシンボルの木があって、その周りに100個くらい石があって、そこの一番端のほうだったら、自分のお墓が分からないからいやだとか、目の前でお参りしたいと。家族いないけど、いつでも最後埋まったらいいねと言ってる割には、1件ずつ目の前でお参りしたいというんですよ。僕、この点はなんだかんだ言って日本人なんだなと。そういう埋葬の仕方をみなさん考えていらっしゃるという。ちょっと説明が悪かったかもしれないですけど…。

 

井沢氏:いやいや。勝手なイメージで、樹木葬というのを木がいっぱい生えているところに五月雨式にお骨をいっぱい埋めていくのかなと思っていました。山のこの辺に埋まっていますよっていう感じかと、そうでもないんだ。

 

山本:森みたいなところでGPSを設置して、自分の墓はここだみたいなところも確かにあります。それはそれで人気があるんですかね。ヨーロッパの世界遺産で「スコーグスシュルコゴーデン(森の墓地)」というところは、森に骨壺を持って行って場所がわからないようにお骨を撒くという習慣があったりします。場所は特定されないんですね。こんな感じで、定義が全くなくてですね。

 

井沢氏:それだと昔の鳥辺野(とりべの)とか化野(あだしの)とかみたいな形ですけどね。

 

山本:まあ火葬してお骨になっているので、遺体から異臭が漂うようなことはないですけどね。

 

井沢氏:ちょっと聞いちゃっていいですか。山本さん自身は亡くなってからどうされたいんですか?

 

山本:僕はお墓があって後継者もいるのでずっと続けていってもらいたいと思っています。お墓を受け継ぐという文化は残していきたい。

 

井沢氏:代々のお墓が既にあるんですか?

 

山本:ええ、はい。自分の霊園で建てました。

 

井沢氏:では、ご先祖様はそこに?

 

山本:はい、眠ってます。でも、皆がそういったお墓をもつのは社会事情からして難しいですよね。もう後継者がいなかったら。ただ皆さん、今のやり方で満足しているかというと満足していないようなので、これから2050年まで死者がどんどん増えていく時代のなか、どうしてやっていくのかな。

 

井沢氏:それとテレビで以前見て衝撃的だったんだけど、廃されたお墓が集積されているところがありますよね。すごいですよね、あれ。

 

山本:怖いですよ。

 

井沢氏:なんか怖いですし、ああいうのはもう再利用しないんですか?

 

山本:我々としては、既に魂を抜いているので、もう産業廃棄物となります。マニフェストいただいてすべて加工して、砕いてまた再利用してるんですよね、業者さんが。

 

井沢氏:あ、例えば道路の砂利とかにですか?

 

山本:ええ、はい。

 

井沢氏:そうか。じゃああれは再処理される前だったのかな。棹石がばーと並んでいる…

 

山本:いや、あれはそのままだと思います。昔の墓塚みたいな感じで。

 

井沢氏:うー、やっぱああいうのが増えるのも嫌だな。

 

山本:その一帯が陰気になってしまいますよね。本当の墓場になってしまうのではないかと。昔、廃仏毀釈というのは武力によって起こりましたが、それに近いことが現在起きている気がしてですね。歴史は繰り返しているなという風に思います。

 

井沢氏:それはつまり、武力による廃仏毀釈の場合はやっている主体が政府だったわけですけど、いまは誰が…

  

山本:今は庶民の方がお寺なんかいいやとか、どんどんなんかこう…

 

井沢氏:そうだねえ。まあ、西洋のカトリックでもプロテスタントでもきちんとした信者は減ってきているんですけど、ずっと教会の果たしてきたカウンセリング機能とかそういったものがありますよね。日本のお寺の場合はちゃんとした住職さんは努力しているんですけど、全体が努力しないような、寝転んでいてもお金が入ってくるような格好になっていたから、明治になって自由競争になったはずなんだけど、逆に対応しきれなくって。たとえばなあ、僕はホスピスなんかね、もっとお寺さんが経営してもいいと思うんです。でも行政的にもそういう風になってない。意外にキリスト教系にはそういうのがあったりするんでね。そういうことももっと真剣に考えていかないと、檀家だけで維持するというのは本当に少子化のせいで難しい。特に地方なんか行くと大変ですよね。

 

山本:月参りには誰も呼ばないですもんね。都心もそうなんですけど。これから我々の業界が生き残っていくためには歴史的に見てどういう風にしていかなければならないでしょうか?

 

井沢氏:そうですね、やっぱり今おっしゃったように日本人の特性、まあ「合祀は嫌だ」とかそういうものに具体的にどう対応するか。まさにやってらっしゃる樹木葬がそうだと思うんですけど、それに対応するシステムをいろいろ考えて、構築していくことではないですかね。

 

山本:今もう一つやっていることが建物の中にちょっと面白い樹を入れたりとか、建物に子供たちが来てもらえるようなコミュニティを作っていこうと思っていてですね、そうすることで、その子供たちがまたお墓参りにくるという。

 

井沢氏:沖縄なんか大家族なこともあって、お盆みたいなときに先祖のお墓の前でみんな集まって騒いで飲食していますからね。

 

山本:それも少子化になってどんどん集まる人も少なくなるでしょうね。何か最後に僕らの業界的に直さなきゃいけないところはありますか?こういう対談をさせてもらったら必ずそういうことを言ってもらってるんですけど。

 

井沢氏:えー、そうなの。困ったな、それは。あの、いままで基本的に日本人は9割方仏教でやってきたんだけれども、最近はキリスト教の方もいらっしゃるし、もう宗教はいいとおっしゃる方もいるし。例えばキリスト教の方が亡くなったとして、まあ火葬はしたとして、そちらの霊園には入れるんですか?

 

山本:ええ、入れます。

 

井沢氏:入れるの。もう宗派を問わず?

 

山本:はい、宗派を問わず。

 

井沢氏:それはいいですね。私の知り合いが関西の方で亡くなったんですけど、そこはカトリックが強いところで、お墓はちゃんとカトリック墓地じゃないとだめだ、みたいな感じで。で、亡くなった方は洗礼を受けていたんだけど、家族はそうじゃななくて、それで自分たちはどうすればいいか非常に困っていて。要するにお墓に入るためにはキリスト教に改宗しなければならないんですよね。それもまた不便だなと思いますので、そうでなくても一緒に入れるような、あるいは並べられるようなお墓があるといいと思いますね。

 

山本:はい。ありがとうございます。また頑張って歴史を変えられるように頑張っていきます。

 

井沢氏:この調子なら大丈夫です。

 

山本:いえいえ、とんでもないです。どうもありがとうございます。