著名人との対談

VOL.43

カジポン・マルコ ・ 残月氏×山本 一郎

墓マイラー感謝の気持ちを伝えに世界へ

カジポン・マルコ ・ 残月氏×山本 一郎

対談場所:ハピネスパーク 千年オリーブの森

対談相手のご紹介

カジポン・マルコ ・ 残月氏×山本 一郎

文芸研究家・墓マイラー

カジポン・マルコ・残月

kajiponmz marco zangetsu

1967年生まれ 大阪府出身。

文芸研究家にして墓マイラーの名付け親。歴史上の芸術家や冒険家など偉人に「ありがとう」と感謝の言葉を直接伝えるため、10代の終わりから33年にわたって墓巡礼を続け、世界101カ国、2520人に墓参。「民族や文化が違っても、人間は相違点より共通点がはるかに多い」をモットーに、テレビ、新聞など各メディアで墓巡礼の素晴らしさを語り続けている。NHKラジオ第一放送『ラジオ深夜便』出演中。著作に『東京・鎌倉有名人お墓お散歩ブック』(大和書房)など

対談の様子

山本:本日の対談非常に楽しみにしていました。実に5年振りぐらいですよね。

カジポン氏:お久しぶりです、今日はどうぞよろしくお願いします。

山本:先日、テレビ番組の「笑ってコラえて!」を拝見しました。

カジポン氏:なんと、それはありがとうございます。

山本:カジポンさんといえば、墓マイラーとして、世界中のお墓へ行っておられますが、墓マイラーになられたきっかけを教えてもらえますか?

カジポン氏:僕が10代の頃の話になるのですが、好きになった女性が美術大学を目指していまして、その子に気に入られようと絵画や画家について無茶苦茶勉強しましたが、あえなく振られてしまいました。次に好きになった女性は音大生だったので、クラシックや作曲家について今度も懸命に勉強し、こちらも豪快に散りました・・・次は図書館の受付の子に恋をしました。何とか気に入られたくて、難しいドストエフスキー全集などたくさんの本を借りにいきましたが、こちらも恋は実りませんでした。失恋のつらいときに私が感じたのは、この体験のおかげで、世界的な芸術作品に触れることができ、音楽や絵画、書物の中にある人の優しさを感じることができたということです。作者に感謝したいという思いがつのりました。


山本:そのきっかけは面白いですね。しかしちょっと違う前向きかな?

カジポン氏:その感謝の気持ちを直接伝えに行きたいと向かったのが、ロシアのドストエフスキーのお墓でした。お墓参りに行き、墓石に手を触れていると、古い写真の中や空想の人物とは違い、本当にいたんだという感覚になりました。また、私を勇気付けてくれた書物の言葉に血が通ったように感じました。それが19歳の時でした。

 

山本:それから墓巡礼の旅がはじまったんですね。現在、何か国くらいのお墓参りに行かれているのですか?

カジポン氏101ヶ国になります。

山本:すごいですね、101ヶ国で何名くらいのお墓参りをされたのですか?

カジポン氏2500名ほどです。同じ人に何度も墓参りに行ってますから、延べ数ですと1万人以上になります。

山本1万人ですか、すごい数ですね。私もヨーロッパの墓地に行って感じるのですが、日本の墓地は木を見て森を見ずという感じの霊園を創ってきたと思います。石がどうとかというお墓を創ってきたなと、そうではなく全体の空間創りとかランドスケープを大切にしていかないといけないと考えています。

カジポン氏:たしかに、ヨーロッパの公園墓地は空間を大切にしている気がします。

山本:昨年行ってきたスロベニアにある墓地では、平坦地でバリアフリーを重視した創りになっていました。外国の墓地で初めて車イスでお墓参りしているところを見ました。


カジポン氏:それはすばらしい!最高ですね、それ。

山本:はい、すばらしい墓地でした。カジポンさんのお墓参りについての考えをお聴かせいただけますでしょうか?

カジポン氏:何故そんなにたくさんの方のお墓参りに行くのですか?とたびたび訊かれます。それは、今の自分があるのは、おじいちゃんやおばあちゃんなどの先祖のおかげというのはもちろん、人生で影響を受けた人たちのおかげでもあるからです。大好きな人や、感謝すべき人が亡くなっている場合、御礼を伝えることができるのがお墓参りです。ですから、お墓へ行ってお願いをしたことはありません。必ず感謝の言葉を伝えています。お墓は見に行くものではなく、会いに行く場所であり、僕にとって、墓は石ではなく人そのものです。
今の自分があるのは、辛い時期に支えてくれた曲や作品を創ってくれた人のおかげでもあり、僕はありがとうの言葉をその国の言語で伝えるようにしています。例えばロシアだったら「スパシーバ」とか。

 

山本:確かに感謝の心は、一番大切ですね。

カジポン氏:お墓参りは故人の偉業を伝えることにも繋がります。この人はこんな曲を書かれたとか、こんな作品を創られたということを、お墓参りが話のきっかけとなって伝える機会も少なくないです。何と言いますか、大好きな映画作品を語るときに、監督のお墓に行ってないと、感動のもらいっぱなしで申し訳なく感じてしまいます。時間と懐が許す限り、何回も同じ人のお墓に行っています。

山本:何回もですか。何回も行くことで、どんな変化がありましたか?

カジポン氏:墓は四季によって、朝昼晩の時間によって、また天気によっても表情や雰囲気が変わっていきます。加えて墓誌に座右の銘が追加されていたり、新たにベンチが設置されたりと変化がみられます。なので、墓は生きていると実感するようになりました。

山本:たしかに表情は変わりますね。

カジポン氏:例えば、坂本龍馬の墓は、朝と夕方では墓石の陽の当たり方がまったく違います。朝は日陰ですが、午後3時くらいから太陽に照らされて光り輝きます。しかも朝行ったときは無かった花が夕方には供えられていたりします。

山本:京都の東山ですよね。

カジポン氏:チャップリンのお墓に行ったとき、「前回来た時は観ていなかった映画を先日観ました」とか、ゴッホの絵でも「あれから、あの絵を観ましたよ」とかその後の報告をすることもあります。あと結婚した時に「うちの家内です」とか、自分の子どもが生まれた報告をしに行くこともあります。うちの子、いま10歳なんですが観光なしで20ヶ国の墓地に直行しています(笑)

 

山本:うちの会社の海外研修と似てますね(笑)

カジポン氏:ああ、そうなんですね(笑)

山本:カジポンさんは、お墓にいろんな報告をしに行かれているのですね、そういったところからもお墓というのは、「石ではなく人」だというカジポンさんの考え方が良くわかります。

カジポン氏:墓巡礼中、うちの子が5歳の時にこんなことを言いました。「お父さん、この人は、こんなに色々な人がお墓に来てくれてさみしくないね、死んだけど死んでないね」って。山本さん、この言葉を聞いて、その通りだなと思いました。

 

山本5歳ですばらしい経験をされていますね。「死んだけど死んでない」ですか、良い言葉ですね。

カジポン氏:可笑しかったのは、子どもが2歳くらいの時に、川を渡る時に○○橋と刻まれた橋の欄干の石柱に向かって手を合わせてお参りしていたことです。縦長い石に漢字が彫られているため、お参りしなきゃと思ったようです。

山本:そうなんですか、かわいいですね。たしかにお墓と橋の欄干、形は似てますね。

カジポン氏:うちの子にとって墓地は癒しの場ですから、肝試しとか通用しないです。
お墓は、ありがとうを言いに行く場所だと思っています。

山本:小さい頃から、大切なことを学ばれて、素晴らしいと思います。
お墓参りを通して、伝えていきたいことはどんなことでしょうか?

カジポン氏:お墓参りで一番学んだことは、人間というのは相違点より共通点の方がはるかに多いということです。過去の歴史を見ると、不況になると生活の苦しさを誰かのせいにしやすくなります。最近ではネットなどで、攻撃的で他人に容赦ない人が多いので、ちょっと待てよと、違う部分を見すぎやろと思うわけです。相違点がない、なんてきれいごとは言わないです。たしかに違いはある。だけども、はるかに共通点の方が多い。喜怒哀楽というのは人間同じなんです。それを芸術作品や各国の墓巡礼を通して知ったんです。

山本:なるほど。

カジポン氏:山本さん、僕の英語能力は中学一年生の2学期レベルなのに、101ヶ国行けるということは、それだけ色々な人に助けられているということなんです。駅員さん、街の人、いろんな人が助けてくれているんです。だから僕は人間に絶望していませんし、こんなにも優しい人が世界に溢れていることを知ったのは、墓巡礼のおかげなんですよ。


山本:それは私も思います、弊社もヨーロッパ研修に行きますが、現地の人達は私達にとても良くしてくれます。

カジポン氏:日本にいると、ニュースで外国は怖い事件がたくさん起きるところという印象を受けますが、実際墓巡礼に行くと、良い人とたくさん出会うわけです。
僕は強盗や車上荒らしにあったこともありますし、たしかに外国にも犯罪者や悪党はいます。
悪党もいますけど、そのあとに山ほど良い人と出会うんです。いつもそうなんです。
ガンジーの言葉でこんな言葉があります。
「人間性への信頼を失ってはならない。人間性とは大海のようなものである。ほんの少し汚れても海全体が汚れることはない」と彼は言っています。
少しの悪のしずくが落ちたところで大海の美しさは変わらないと、僕もそう思っています。だから良い話を子供たちに聞かせてあげたいんですよ。

山本:本当にそうですね。

カジポン氏:汚れたところだけを拡大鏡で見たり、すぐに優劣をつけたがるのは、僕はどうかと思います。例えばお墓でいうと、江戸時代なんかはね、赤の他人、行き倒れの旅人のために村で墓を建ててあげるとかしてたわけです。貧富の差にかかわらず誰しもが、誰かを助けたり助けられたりして生きてきました。

山本:日本でも近年色々な埋葬方法がありますが、カジポンさんの考えを教えて下さい。

カジポン氏:これはあくまでも墓マイラー的な考え方ですが、ぜひ石の墓に眠ってほしい、そう切望しています。いつでも逢いに行けるからです。石の墓には、命日が刻まれていたり、その人の好きな言葉が刻まれていたりと、故人が生きた証を遺すことができます。
画家のフィンセント・ファン・ゴッホは生前に絵が1枚しか売れず貧しかったのですが、描き続けられたのは弟テオの仕送りのおかげです。テオは兄が37歳で命を絶ったことに打ちのめされて衰弱し、半年後に33歳で亡くなりました。僕は墓石に刻まれた命日から、これらの事実にたどり着きました。2人の墓は肩を寄せ合うように並びツタの葉で繋がっています。ツタの花言葉は「死んでも離れない」。
ゴッホ兄弟の墓にはこのような物語がありますし、今日見学させていただいたハピネスパークのお墓も、故人がどんなに愛されていたかが分かる墓石がたくさんありました。その人が生きた証や生きた痕跡は、残してほしい。墓石には、人の心に届くラストメッセージが刻まれているんです。

 

山本:たしかにその通りだと思います。

カジポン氏:それと、子孫がルーツを辿れるようにするためにも、僕はお墓は必要だと考えています。すべての人に生きた証として墓を遺してほしいですね。生きている時間より、死んでからの時間が圧倒的に長いのですから。

山本:それはその通りですね。

カジポン氏:どの国の墓地を訪れても、故人を想う家族の同じ光景、同じ表情がありました。悲しみを胸にたたえた人もいれば、お婆ちゃんやお爺ちゃんに「会いに来たよ!」と声をかける和やかなファミリーもいて、思い思いに追悼しています。
先ほどもお話ししたように、人間は文化や国籍が違っても、相違点よりも共通点の方が、はるかに多いです。違いを尊重し同じところを共有したいと思います。
私の好きな言葉のひとつに「一墓一会(いちぼいちえ)」があります。世界のお墓を訪ねて感じたのは、すべてのお墓には、それぞれの物語があり、大切な人を思う心は世界共通であるということです。

山本:「一墓一会(いちぼいちえ)」ですか、本当に良い言葉ですね。

カジポン氏:ぜひ長生きして、祖先や恩人の墓へ「ありがとう」を伝えに行きましょう、そして先人からもらったバトンを次の世代に全部受け継ぎましょう。

 

山本:カジポンさん、本日は貴重なお話をありがとうございました。