著名人との対談

VOL.40

田原総一朗 氏 × 山本一郎(前編)

今こそお寺さんたちと団結を!

田原総一朗 氏 × 山本一郎(前編)

対談相手のご紹介

田原総一朗 氏 × 山本一郎(前編)

ジャーナリスト

田原 総一朗

soichiro tahara

1934年、滋賀県生まれ。

60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。
64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。
テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』で
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。

98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授を歴任する(2017年3月まで)。 
現在、「大隈塾」塾頭を務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数。

また、『日本の戦争』(小学館)、『塀の上を走れ 田原総一朗自伝』講談社)、『誰もが書かなかった日本の戦争』(ポプラ社)、『田原総一朗責任 編集 竹中先生、日本経済 次はどうなりますか?』(アスコム)など、多数の著書がある。

 

田原総一朗 氏 公式サイトより引用

対談の様子

 

 

 

山本:本日は対談の申し出を受け入れていただきありがとうございます。私は大阪で株式会社西鶴という会社をやっております。井原西鶴から名前を取りました。創業してから23年になります。

 

田原氏:お墓を創って売っていらっしゃる?

 

山本:はい。あとは霊園を創ってお墓を販売しています。

 

田原氏23年目になるのですね。なんでそういうお墓の商売をやろうと思ったのですか?

 

山本:もともと霊園をやろうという考えはありませんでしたが、最初は「すごく利益が上がるから」ということで始めました。

 

田原氏:その前は何をやっていたのですか?

 

山本:「先着一万名様にコッププレゼント」とか販促品を企業に売る仕事をやっていました。そこから縁があってお墓の仕事をすることになりました。

 

田原氏:なんでそこからお墓という発想が出てきたのですか?

 

山本:困っているお寺さんがあってですね。

 

田原氏:何で困ってらしたのですか?

 

山本:お金ですね。お寺の中にお金が残らないので、敷地内でお墓を販売して収益を取っていく必要が出てきまして、それに協力したんです。

 

田原氏:昔は檀家さんがたくさんあったけど、どんどん減っているわけね。檀家が減るとお金が入ってこないからね。

 

山本:それをやっているうちに、「なんていい仕事なんだろう」と思いまして。販促品を売っているときにはあまり感謝されませんでしたが、お墓を売っているときにはお客さんが感謝してくれて。お金を頂いて感謝していただけることがいい仕事だな、と。

 

田原氏:お墓の商売っていうのはまずどこから始まるのですか?まずお寺がありますね、そのお寺が墓地を持っているの?

 

山本:墓地の用地はあるので、それを開発しなきゃいけません。

 

田原氏:墓地の用地を開発するのはお寺ですか?それともお寺に頼まれてあなたの会社が開発するのですか?

 

山本:後者ですね。そこでお客様がいろいろな理由で、亡くなったり、将来のためだったり、田舎に帰れないから家のある方にお墓を持ってくるとかで、お墓を建てていく。

 

田原氏:墓地の開発をして、お客さんはどうやって見つけるんですか?

 

山本:お客さんは広告からです。新聞であるとかチラシであるとか、今であればインターネットで広告を出して、お客さんが見学に来るところから始まります。

 

田原氏:最初は墓地・墓苑をつくるときにお墓はひとつもなかったわけね。

 

山本:そうです、無かったです。

 

田原氏:今は墓苑をいくつぐらい持っていらっしゃるのですか?

 

山本:今は3つあります。

 

田原氏:お墓の数はどれくらい?

 

山本:全てお墓が建てば1万基ぐらいになりますね。

 

田原氏:へえ、すごいな。なるほど。で、お墓って買うのに一基でどれくらいするのですか?

 

山本:様々な大きさがありますが、標準で言ったら150万円ぐらいの価格になりますけど、今は墓石と別で樹木葬というものがあります。

 

田原氏:どういうものですか?

 

山本:樹木の下に埋葬して石を置くという方式で、最近主流になりつつあります。厳密な定義はないのですが、ひとつのシンボルツリーがあったり、1本ずつの樹木があってその前に埋葬したりですね。大きい石ではない、樹木の間でお墓を建てるというようなものです。

 

田原氏:お墓っていうのは例えば仏教だといろいろ宗派がありますね。宗派によってお墓の形は違うのですか。

 

山本:ええ、以前は違うことが多かったです。十字架であるとか神道だったら上をとがらせるとか、で、普通の和墓、和風のお墓で細長いものだとかがありますね。あれはもともと仏壇の位牌からあのような形になりました。地震が起こったり、生活スタイルが変わってきて、だんだんお墓の大きさよりもデザイン性とか小型化が重視されたりしているのが実情です。

 

田原氏:そもそもお墓って日本でいつから始まったんですか?

 

山本:江戸の後期ぐらいから一般の市民も建てられるようになりました。

 

田原氏:それまでは天皇や貴族の古墳なんかありますよね。一般の市民や町民、村民はお墓が無かったんですね。

 

山本:古いお墓に行くと石コロがポンポンと置いてあったりして、そこに埋めたよ、という印みたいなものがあります。

 

田原氏:江戸時代からですか。

 

山本:はい。ですからあの形は江戸時代からの仏壇の位牌に由来しています。

 

田原氏:仏壇の位牌からですか、それを石で大きくするわけね。

 

山本:当時は石工たちが手作業で作っていたので、どうしても長方形と正方形を重ねた形でしか作れなかったというのがあって、あのような形のお墓が多かったです。

 

田原氏:ところでお墓って石から削り出しますよね?もとの材料はどこにあるのですか?

 

山本:もとの原石っていうのは世界各国にありますが、原石ごと今は中国が一大集積所になっていまして、台湾の西側の厦門っていうところで墓石に加工して送ってきてもらっています。

 

田原氏:中国で作られたお墓が日本に送られてくると。中国でお墓の形にするんですね。

 

山本:そうですね。

 

田原氏:いつ頃そうなったのですか?

 

山本 15年位前からですね、主流になったのは。

 

田原氏:僕は別に中国から買った記憶はないもんな。うちのは日本で作ったのでしょうね。それではもう日本には墓屋さんは無いのですか?

 

山本:あるんですけど一部に限られていますね。日本では10%ぐらいしか作っていません。

 

田原氏:なんでそんなに中国で扱うようになったのですか?

 

山本:もともと人件費が安いっていうことから始まりました。韓国から中国に流れてですね、で、世界中の石がいま中国に集まっています。

 

田原氏:世界中が?アメリカやヨーロッパとかも中国から?

 

山本:そうですね、ヨーロッパの原石を送ってきてヨーロッパに送り返したり。一大集積場になっています。

 

田原氏:火葬っていうのはいつから始まったんですかね。

 

山本:日本で、ですか。定かではないですが明治時代あたりから継続的に行われているのではないでしょうか。

 

田原氏:それ以前は土葬ですか。埋めるわけね。江戸時代は土葬ですか。

 

山本:はい。いまでも台湾とかでは土葬用のお墓があって、火葬すると親不孝だという文化もあります。

 

田原氏:日本で火葬が始まったのは明治以降ですか?

 

山本:昔は座棺といって、寝る棺ではなく座る形式でしたよね。棺を埋めて、何年か経つと上に石とか木を建てたりしていたようです。

 

 

後編に続く・・・・