著名人との対談

VOL.39

岸田ひろ実 氏 × 山本一郎

お墓は心を癒す場所

岸田ひろ実 氏 × 山本一郎

対談相手のご紹介

岸田ひろ実 氏 × 山本一郎

日本ユニバーサルマナー協会 理事

岸田ひろ実

kishida hiromi

1968年大阪市生まれ、神戸市在住、知的障害のある長男の出産、夫の突然死を経験した後、2008年に自身も大動脈解離で倒れる。手術により一命を取り留めるが、後遺症により下半身麻痺となる。約2年間に及ぶリハビリ生活中に絶望して死を決意するが、娘の励ましにより、娘が創業メンバーを務める株式会社ミライロに入社。

 

自身の経験をもとに、高齢者や障害者への向き合い方「ユニバーサルマナー」の他、障害児の子育てや人生観など多岐にわたる講演を行う。世界的に有名なスピーチイベント「TEDxYouth」に登壇後、日本経済新聞「結び人」・朝日新聞「ひと」・テレビ朝日「報道ステーション」などのメディアに出演。

 

2017年以降「厚生労働省 医療機関合理的配慮調査の検討委員」「国土交通省交通事業者向け接遇ガイドライン作成等のための検討委員」「情報通信審議会情報通信政策部会loT新時代の未来づくり検討委員」「観光庁 ユニバーサルツーリズムについての検討委員会」に参加。

対談の様子

山本:本日は対談を引き受けていただいて本当にありが

とうございます。この対談から1週間後に私はイスラエルに行ってきます。最近そのこともあり世界の宗教について改めて考えているのですが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つは元をたどると一緒になりますよね。神様が6日間で人間を創って7日目に休んだということに由来して、何もしてはならない日として「安息日」を定めている。

 

岸田氏:そうなんですね。宗教にはそういったいろいろな話があるなかで、この前仏教の話を聞く機会があり、いかに自分がうわべの部分しか知らないのか。こんなに深い話・教えがあるのに、なぜこんな基本的なことを子供たちに伝えないのか、と感じました。いろいろとインプットを増やすことで、さらにそれらが繋がって話すことが増えてくると感じていて、本当にいろいろ聞きたいです。

 

山本:一昨日、聖護院門跡というお寺に行って聞いた話ですが、人間はうまくいっているときにスポットライトが当たるじゃないですか。当たれば当たるほど影が長くなる。これには要注意しなさいということで、長くなるほどダークな部分が増えるということなんです。ただ、仏様というのは後ろから光が出ていて、「後光」といいます。後光が射すと相手が見えるんです。逆にスポットライトは当てられると相手が見えなくなってしまう。これが仏教の考え方だと。いい話を聴いたなと思いました。

 

岸田氏:色即是空とかも関連してくるんですかね。

 

山本:そうですね。般若心経は文字をすごく大事にしています。

 

岸田氏:京都のある名刹でお聞きしたのですが、

「一元絶対」、「二元相対」という言葉がとても難しくて、その場ではメモを取るばかりでなんとなくしか理解できませんでした。帰ってからいろいろ調べると、「一元絶対」というのは対になるものがなく、みんな同列のものだよ、という考え方。その考えを持ったうえで、「二元相対」、自分と他者があるという考え方をする。両方を持つことが、世界平和と言いますか、みんなが幸せになる社会を創ることにつながる。そんな言葉があることを熱心に教えていただきました。なるほど、と感じました。

 

山本:そのお寺の門主は12年間お堂に籠って修行なさると聞きました。

 

岸田氏:本当にすごい修行ですよ。本当に歴史的にも数少ない、大阿闍梨になられて。

 

山本:あれは外に一切出てはいけないので、食べ物も誰かが持ってきて。永らく行われていなかった修行ですよね。

 

岸田氏:そのことをお話になられていました。90分お話したのですが、もう90歳で。聞いたなかで印象的だったのは、いろいろな修行をしに来るらしいのですが、宗派を問わず受け入れているそうです。この間はキリスト教の方も受け入れていたみたいです。結局教えていることは仏教もキリスト教も一緒だということでみんな受け入れていて。そんな宗派を問わずという考え方をされているのはすごいです。

 

山本:日本人というのは八百萬の神々というのを基本的な考え方で持っていて、こんな国は世界を探しても日本しかありません。結婚式はキリスト教でやるけど家は仏教、なんていうのもざらです。最近の子供のなかにはクリスマスがキリストの生誕祭だと知らない子も多いらしいですけどね。こんな自由な国があっていいのかと。48日はお釈迦様の誕生日だと知らない人も多いですけど、寛容に許してもらえる文化というものがあって素晴らしいと思います。一方で一神教はその神しか信奉しない、その考えしか許さない、と少し怖いところがあります。他を許さないというか。

 

岸田氏:先生もそのようなことをおっしゃっていました。こんなにも多くの宗教があって許されている国というのはなかなかない。禅問答のこともおっしゃられていました。みんな自分が一番だと思っている。それは当たり前で、自分が一番大事で大切、それでいいんです。でも忘れちゃいけないのが、自分が一番だと思っている人が他にもいっぱいいる、ということなんですよね。自分が一番だけども、目の前にいる人も自分が一番と思っていて、そんな人々がうまくやっていく方法を考えていかなくてはいけない。なるほど、と。そういう話を聴いてまた納得することとか分からなくなることとか、奥深さを実感して、もっと仏教を深く学びたいと感じました。

私は大正生まれの祖父、祖母と同居をしていて、毎日神棚に参拝するときに、「あれこれ考えずに感謝だけ伝えればいいんだよ」と教えられました。「そんなに欲張ってあれしてこれしてと頼むものではない」と。昔は意味が分かりませんでしたが、この歳になって本当にその意味が分かりました。みんなでお墓参りするとき、お墓をきれいにしてお花とお線香をあげて、帰ってくると気持ちがすっきりしますよね。物心ついたときから「手を合わせて、ご先祖様に感謝を伝えるだけでいいよ」と言われて育って、産んでくれた両親、ご先祖様、出会った人々、出来事、すべてが今の自分の形を作ってくれている、と解釈しています。

 

山本:僕の亡くなった父がよく言っていたのですが、「大体神社に1年に一回しか行かないのに50円ぐらいしか賽銭しないで宝くじが当たるようにとか、事業がうまくいくように、とか。そんな投資が世の中あるか?」と。確かに言っている通りかな、と思いますが、今でも神社に行くという文化がしっかり残っているのは国民的にすごいことですよ。行かなきゃいけない、と厳格な決まりがあるわけでもないですから。

 

岸田氏:本当に気ままなものですよね。行けば気持ちがすっとするというか、よし頑張ろうと思えるような。お墓に行ってもご先祖様に守られていると、思いこむ、ではないですけど、それを感じる、ある種お守りになっているのかなと感じます。

 

山本:ユダヤ教には安息日という、金曜日の日没から土曜日の日没が絶対に休まなければいけない事になっています。友達とご飯を食べに行くとかでもなく、家に居なくてはならない。電気をつけるのもダメで、蝋燭の灯りを使う。ご飯をつくるのもダメ。そんな文化が何千年も続いています。イエスは安息日に病気の人を救おうとして非難されたとの言葉も残っています。それが良い悪いとは、宗教それぞれで違うので一概には言えませんが、日本人にはそういう厳格さはありません。

 

岸田氏:最近は仏教の話を聴く機会があったり、鎌倉のお寺様とも親しくさせてもらったりしていますが、お話をしていると、忘れていた基本的なもの、祖父祖母から聞いていたようなことをまた思い出させてくれます。古き良き日本人ならではの教えというか。

 

山本DNAから日本人なのでしょうね。

 

岸田氏:そうでしょうね。落ち着くこの感覚。いろいろ問題があるじゃないですか、いじめとか、極端には凶悪な殺人とか。罰を重くしても結局それはなくならない。じゃあどうしたらいいのかなって思ったときに、良いか悪いか分からないですが、「神様仏様がちゃんと見ている」、「お天道様が見ている」、「生きているうちに悪いことをしたら地獄に行って閻魔様に嘘ついたら舌を抜かれる」とか、そんな話を聴いていたら、怖くて悪いことができない。こっそりでも悪いことはできないような感覚があって、そういう教えが広がってもいいのではないでしょうか。

 

山本:最近はそういったことは教えませんよね。

 

岸田氏:そうなんですよ。お天道様が見ているよ、とか。

 

山本:科学的に考え過ぎなのと、偏ったことを教えるのは良くないという流れですかね。特に偏った考えとも思いませんが。

 

岸田氏:多分そうですよね。公に言うのが憚られるからでしょうか。

 

山本:話は変わりますが、今日聞きたかったことがありまして、一度大病を経験され、そのあと生きるか死ぬかというのを経験されたじゃないですか。その前とその後で大きく人生が変わったことがあると思いますが、何かそういったことはありましたか?

 

岸田氏:変わったことですか。うーん…まずは生きているだけで儲けものっていうことです。本当にそれは思っていて、よく「強いですね」「岸田さんだから乗り越えられた」と言われますけど、全然強くもなく、乗り越えたわけでもなく、経験したから強くなったとも思いません。ただ流されるままに進んで、その都度その都度いろいろなことがあって、とにかく死なないように選択して今生きているだけで。今何も辛いことがないかというと、そうではなくて。でも、「生きていたらきっとうまくいく」と思えるようになったんです。なので、すごく落ち込むこととか、大きな壁が立ちはだかることもありますけど、それをゴールとは思わなくなったというか。それはありますね。だからもう生きているだけで丸儲け、生きていることがそれだけでいいことだ、と。欲が無くなったのかもしれないです。

 

山本:やっぱり今そうやってお仕事をされて、出会う人とかもすごく変わったと思いますが、使命を持つというか、そういう感覚はあるんですか。

 

岸田氏:本当にこれが使命だと気づいたのはごく最近のことです。別に私は学歴があるわけではなく、すごい肩書があるわけでもなく、ついこの間まで一生懸命主婦をやっていて、私が伝えることなんかあるのかなって。「私なんて、」と思うこともありました。でも「私なんて、」と思うことを重ねるほどに私の言葉とか、会っていただいた方に「元気もらえた」とか、同じように落ち込んで死のうかと思い詰めていた人に「私も死なずに生きていこうと思った」とか、そんな嬉しい言葉を頂くと、伝えることだけでそんなに元気を持って帰ってもらえる人がいるのなら、これはやり続けなくてはならない。それが使命だとは思いましたね。本当に最近です。

 

山本:サラリーマンをやっていた人が60歳で定年して、やる事がなくなって病気になって亡くなっていくとか、霊園の仕事をやっていたらそういう人は結構多いですね。人間は使命感が終わってしまうと、死を迎えるものなのかなと。

 

岸田氏:そうですね。大きく言うとゴール、生と死ですよね。私は夫が39歳で亡くなって、そのとき私は36歳でした。うちは父が56歳で亡くなっていて、ある程度の年齢、高齢になってから亡くなるという感覚だったので、今まで元気だった30代の人が突然亡くなるなんて思いもしなかった。親は別として、30代の夫が亡くなるなんて思ってもみなくて、初めて死を自分のものとして考えました。「人は死ぬんだ」。昨日までここで元気に普通にしゃべって笑って怒っていた人が、その体はあるけれど、もうそこに魂は無い。それは一体どういうことだろう。儚いって言葉はこういうことなんだ、人って儚いなっていうことは生きてこそで、ここに同じ物体、身体があっても、死ぬってこういうことだと本当の意味で死を思いました。親の時にはそれをあまり感じませんでした。生きていることは当たり前のことじゃない。講演でもよく話すけど、1日を大事に生きることと、感謝の気持ちをちゃんと言葉で伝えるということは本当に大切です。夫には伝えることができなくて後悔したことが多くあったので。そんな事を言っていたら今度は私が89割の可能性で死ぬっていう病気にかかって、人ってこんなかたちで死んでいくんだっていう体験をしました。娘は、私が倒れてからずっと見ているんですよね。死を宣告されて手術をして助かった。でも私自身は倒れてからの意識があまり無くて、自分では死ぬとは1ミリも考えていませんでした。苦しそうにしていたらしいですが、私は全く意識が無くて苦しいとは感じず…もし死んでいたらあのままだったんですよ。死ぬとは思わずに、自分の感覚としては苦しいとかは無く、寝ている状態が続くのかな。結局命を助けていただけましたが、あの時何かの差で死んでいてもおかしくなかった。「ああこんな感じで人って死んでいくんだ」と考えると、朝、目が覚めて生きているこのありがたさというか、生きているのはすごいことだとわかりました。本当に身近な人から死を教えてもらって、自分の体験からまた死を知ってから、生きていることはありがたいと感じています。

 

山本:必ず人は亡くなりますが、やっぱりその時に何を遺すかなんでしょうね。

 

岸田氏:そうなんですよね。今はそんなに言われなくなりましたが、やっぱり大病をしているのでこうやって仕事をしてあちこちに行っていると、ゆっくりした方がいいんじゃないのとか、仕事をそんなにしなくてもいいって言われていたんです。けど、それだと後悔する、というかやっぱり人に必要とされて頼られて、誰かのために何かをしたい想いの方が大きくて。でもそれをすることで実は元気になっているんですよね。どんどん毎年元気になっていって。誰かのために何かをする、誰かの役に立てることをしているということがものすごく嬉しい。誰かに何かを遺したいっていう想いがものすごく強いのだと思います。

 

山本:僕も、なんでお墓とかああいう空間を創るようになったかっていうと、今あるビルや多くの建物って多分百年後にはないものが多いと思うんです。よほどのものでない限り。その一方でお墓って、百年後どころか二百年後、三百年後まで残っていますよね。その二百年後に誰かが見たときに、道が通れない、汚い、水道も無いような迷惑物件を創ってはいけない。よくぞ百年、二百年前にこんなものを創って、よく考えてあるね、というものを創らなきゃいけない。そう考えたら世界の偉人たちが遺したものってみんなそうじゃないですか。

 

岸田氏:そうですね。私、西鶴さんのインスタもフォローさせてもらって見させていただいています。例えば私が小さい頃に行っていたお墓とか、岸田家の先祖のお墓とか、やっぱりイメージとしては人里離れた寂しくて古くて…まあ古いのはいいと思いますけどね。でもやっぱり子供心に怖いような、何もないのにあえて行きたいとは思わない場所が多いと思います。けど、西鶴さんの霊園に行かせてもらうと楽しいんです。例えばお墓に供えるお花にしても、いかにも仏様の花という雰囲気では無くて、お花屋さんのお花できれいだと感じますし、いろいろなところに隠されているユニークな置物とかもかわいいし。霊園内も空が広くて開放感があって、ヨーロッパの庭園のような…自然と楽しくなる場所ですよね。蛇口なんかすごく好きで。あんな雰囲気のところに子供のころから行っていると、何もなくても連れて行ってほしいと思うようになりそうです。古いものと新しいものが融合されていて、また行きたいと思えるというのは素晴らしいことです。人もそうですよね。「またあの人に会いたい」と思えるのは大事で、そうありたいと思います。

 

山本:ユニバーサルデザインとしてここを変えたらいいよという点はありますか?

 

岸田氏:いつも行かせていただいていますけど、無かったですね。場所・設備としてもそうですけど、スタッフの皆さんが本当にウェルカムで迎え入れてくださるので、そこもまた嬉しいです。

 

山本:多分逆からだと思います。お墓が「陰気だな」「行きたくないな」「怖いな」という感覚を持っている人がうちの霊園に来て、「明るい」「きれい」と感じて、よく「ありがとう」と言っていただきます。そのうちにこちらもどういうことをしたら人が喜んでくれるか分かってきます。分かってきたら、それをもっとやっていこうという文化が出来ますよね。一方で、怖くて人里離れていて暗くて、そんな場所で働いていたら働く人も陰気になっていくんじゃないですか。

 

岸田氏:社長の霊園ではプラスのループができているんですね。

 

山本:とにかく霊園は明るく創ろうと思って、働いている人自身が夜になっても怖くて帰りたいとは微塵も思わないですから。

 

岸田氏:本当にピクニックのように、お天気だから牧野霊園に行ってみようっていう気分になります。他にたくさんお墓はあっても、そんなところ見たことないです。

 

山本:牧野霊園は1000件以上お墓が建っていて、最近お客さんに言われることがあって、「カフェ創ったらいいんじゃないの」と。

 

岸田氏:本当にそれは思いました。周りには住宅地もあって、高齢化の進む社会の中で、目的もなく集まれる場所があるといいですよね。スターバックスとかだと若い子が多くて、ビジネスマンがパソコンしていたりしますが、そうではなくて老若男女問わず「ちょっとお茶飲みに行こう」というコミュニティがあったらいいなと思います。良いふうに歴史と新しいものやユニバーサルデザインが融合した大成功事例ですよね。

 

山本:以前対談していただいたジャーナリストの上杉さんという方からも、「いつカフェを創るんですか?」と最近よく言われています。

 

岸田氏:創りましょう、カフェ。絶対良いと思います。

 

山本:僕もなんでそんなふうに思うようになったかって考えてみたら、毎日お墓参りに来る人が結構多いんですよ。あるとき仲良くお話ししているお客さんがいて、「昔からのお知り合いですか?」と尋ねたら、「ここでお墓参りしているうちに仲良くなったんです。」と。今では外で一緒にご飯食べに行くそうです。そういう方たちから「ここにもそういう場があったら毎日来れます」と言われました。

 

岸田氏:創れるんじゃないですか?駐車場のスペースとか。

すごく楽しそうです。お墓でカフェに行きたいってなかなかないですよね。そう思わせてくれるあの雰囲気って、場所がバリアフリーなだけではなく、スタッフの皆様の明るい対応の賜物だと思います。インスタの投稿を見ても、すごい気持ちを込めて投稿されているんだろうなと思いながら「いいね」を押しています。

 

山本:ありがとうございます。岸田さんみたいな方に押していただけると本当にありがたいです。カフェとか利益を上げる事は置いといて、あそこに創るには公園みたいなのものを併設しなきゃいけないと思います。人が集まる場は創れるんじゃないかと思います。これから企業として目指すところはそこではないかと。

 

岸田氏:ちょっと前に聞いたのですが、アメリカでは例えば公共の美術館を夜にはバーにしたりとか、博物館をカフェにしたりとか…誰でも無料でそこに入れるんです。そこで新しいコミュニティが出来て、芸術家とビジネスマンが新たなプロジェクトを立ち上げるきっかけになったりして。日本にはなかなかそういう場所はありませんよね。カフェとかレストランとかバーとかはあるけれど、誰でも入ってよくて、誰でも集まれるコミュニティをつくる場所がない。日本にもそういう場所があってもいいと思いますが、なかなかできないようです。

 

山本:僕がバルセロナに行ったときに、世界遺産になっている病院があって、古い病棟はもう病院としての役目を終えてカフェになっていました。すごくおしゃれなんです。病院の中なのにビールも飲めるんですよ。

 

岸田氏:ニューヨークの美術館でもバーとして開放しているときは、大騒ぎではないですけどギターの演奏をしている人がいたり、自由に場所を使っているそうです。そこからいろいろなものが化学反応を起こして、イベントだとかプロジェクトが生まれたりする。日本もそういう有効活用できていない場所を、そういったコミュニティにしていきたいですよね。日本では高齢化が進んでいて、退職されたあと何もすることがないけどすごい能力がある人が多いので、若い人とまた協力していけるような場所があるといいと思いますね。

 

山本:僕は最近何を遺していくかということを結構考えています。ゴールと言いますか、それを考えて物を創っていかなければならないと思うんですね。失敗する人の原因っていうのは、ゴールがあいまいで、後からこれが足りないあれが足りないとなってしまう。そう言って100点と思って満足するのもダメで、改善を繰り返して良くしていきたい。まあ流石に2030点のことばかりやっていると周りもついてこられなくなるので、ある程度高得点は維持しなければいけません。

 

岸田氏:私はちょうどこの仕事を始めて6年になるんです。これまではとりあえずがむしゃらにやっていたのが、この1年ぐらいは自分が元気に働けるのはどのくらいだろうとある程度想定して、「ゴールをどうしようか」、「私は何になりたいのか」を悩んでいます。「このままでいいのか」とか。おかげさまでスポットライトを浴びる場所にたくさん行かせてもらう機会があって、それはそれでありがたいですが、私の目標は有名になることではないので、何が目標なのかを悩みながらやっと少しずつ見えてきたかな、と思います。ということで今年はインプットを多くしようという年にしています。

 

山本:明治時代を創った後藤新平さんが、「金を遺して死ぬ者は下だ。仕事を遺して死ぬ者は中だ。人を遺して死ぬ者は上だ。」という言葉を遺したのですが、最近なんとなくその言葉が分かってきました。確かにそうだな、と。最近物事への取り組み方を考えて、人・物・金を大事にとセミナー等で言われているのを、物・金・人ではないかと考えはじめました。たとえ良い人材がいても、ろくでもない物しか無かったらお金にならず、いい人材もいなくなってしまいます。今は根性論でゴリ押して物を売るようなことはできない時代ですし、経営者としては良い物を創ったらお金になり、そういうところに良い人材も集まるのではないかと。

 

岸田氏:ものすごくわかります。

 

山本:そういう環境で、人を遺していく。人・物・金の3つも順番を変えるだけでロジックが随分変わるものです。

 

岸田氏:そうですね。その都度その都度順番を思い出して意識しないと、気が付かないうちに逆になってしまい、うまくいかなくなりますよね。

 

山本:セミナーを鵜呑みにして「人・物・金、人をとりあえず大事にしないと」と言われることがありますが、人を大事にするからこそ良い物を遺すべきなんです。それで初めてお金が集まって良い人にも出会うことができます。旧態依然な人は「良い人を集めればいいんだ」と言いますが、それで良くしていくのは難しいですよ。ロジックって大切だなと感じますね。それを基にゴールを考えていくべきです。

 

岸田氏:そうですね。自分が遺せるもの、遺したいものはなんなのか、まだ悩むことは多々あります。

 

山本:今度千年オリーブの管理棟を建てていくなかで、また見ていただきたいです。

 

岸田氏:ガイアの夜明けの取材を千年オリーブでも受けてもらいましたが、あの反響はとても大きかったです。「身体を悪くしてお寺はいけなくなったよね」「お墓参りに行けなくなったよね」というコメントをたくさんもらいました。たった5cm10cm意識するだけで行けるようになるということにこれまで気づかなかったのか。霊園をきっかけとして、自分の身近でもそれを意識するようになったようで、目から鱗だったみたいです。霊園のバリアフリーやユニバーサルデザインっていうのはインパクトが強かったようですね。

 

山本:そう思ってくれる人がいたのは素敵だと思いますし、逆に僕らの業界の人は思っていません。「こんなに通路に場所取れない」「2列ある生垣を1列にしたらもっと数が増やせる」と言われることがありますが、そうではありません。そういう人たちは全部お金から考えはじめるのでしょう。10cmという数字だけ見たらたいしたことないですけど、全然違いますからね。

 

岸田氏:本当にそうなんです。私は車いすがこれで2台目に

なりますが、前の車いすより2cm横幅を狭くしたんです。それだけで行ける場所がものすごく増えましたよ。駅の改札も前は専用の改札しか通れなかったのがたった2cmでどこの改札でも通れるようになったり、今までは入れなかった部屋にも入れるようになったり。たった2cmで本当に人生が大きく変わります。

 

山本:もうそこがゴールを決めずに物を創っている。

 

岸田氏:車いすの想定までされていることは珍しくて、改札なんかだととにかく数を増やしたい、ホテルのバリアフリールームは1.5倍の面積が必要だからなるべく数を減らしたい、とどうしても考えてしまいます。採算があわないとおっしゃられる方も多いですが、これからの高齢化社会を考えるとそうも言っていられなくなってきます。

 

山本:今度千年オリーブの森に初めてオストメイトのトイレも入れますし、ミライロさんと出会って取り組まなければいけないことが分かって本当によかったです。トイレを大きくするというと、これまでだったら「なんでそんな無駄なことを」と言われていましたが、今では弊社の取り組みをわかってもらっているので、「今度はどんなトイレにされるんですか」と楽しみにしていただいています。他の霊園などでもおいおい設置されるようになると思います。これからは岸田さんにも頑張っていただいて、オストメイトなどのいかにも「病院的」なデザインを、見た人・使った人が明るくなるように変えていってほしいと思います。

 

岸田氏:西鶴さんのお手洗いとか本当にきれいですからね。

 

山本:明るく創らないとね。医療機関のモノは陰気ですよ。

 

岸田氏:本当にそうで、ショッピングモールとかの多目的トイレは明るくなったんですけど、病院なんかはまだまだ寒くて冷たくて、開けた瞬間に気が滅入るような、自分が病人だと意識してしまうような雰囲気があるところが多いです。なぜ多目的トイレをきれいに明るくしてこなかったのかと思ってしまいますが、それはやっぱり固定観念でしょうね。こういうものしか見てこなかった。いずれは自分達も高齢者になったら、と思うと取り組み方も変わってくるんじゃないかと思いますけどね。

 

山本:人は自分が困らないと変わらないですからね。

 

岸田氏:なかなか変われないですよね。本当に自分がそうだったのでよくわかります。車いすに乗るまでは「車いすの方がどんな風に困っているのか」とか、「道ってこんな坂になっていたのか」とか、「行けない場所がこんなにあるんだ」とか、やっぱり気づいていなくて。自分がそうなって初めて「この生活のしづらさをどうにかしなきゃ」と考えるようになって、動けるようになりました。他人事なうちにはなかなか変えられませんよね。

 

山本:僕たちはいつも元気をいただいていますが、今後もユニバーサルデザインのことをご指導していただきたいです。本日は本当にありがとうございました。

 

岸田氏:こちらこそありがとうございました。