著名人との対談

VOL.35

宮脇修 氏 × 山本一郎

常に新しい、人が喜ぶことをやらなきゃいけませんよ

宮脇修 氏 × 山本一郎

対談相手のご紹介

宮脇修 氏 × 山本一郎

海洋堂 館長 かっぱ館 砦の長

宮脇修

osamu miyawaki

1928年、高知県大方町(現黒潮町)に生まれる。
15歳で南満州鉄道に入社し、中国で敗戦を迎える。
18歳で日本へ引き揚げてきてからは、マグロ漁船の乗組員、土佐の一本釣り漁師、広告会社勤務など、三十数種の職を転々とする。長男の小学校入学を機に定職を求めて就職活動をするが、どこにも採用されず断念。
1964年、大阪府守口市に一坪半の模型店「海洋堂」を開業する。斬新なアイデアと行動力を武器に、帆船ブームやガレージキットブームを日本に引き起こし、模型メーカーとなる。
1999年、海洋堂の企画・製作による「日本の動物コレクション」をおまけとして入れたフルタ製菓の「チョコエッグ」が爆発的にヒット。海洋堂ならびにフィギュアを作る「原型師」の存在が、広く知れ渡ることになった。

対談の様子

山本:お久しぶりです。館長と会うのも11年ぶりですが、11年前から館長は全然変わっていないですね。

 

宮脇氏:いやー、もう来年で90歳になるので卒寿祝いをやるんですが、やっぱり90歳の大台に乗ったらあかんやろね。みんなが10年前とも変わらんって言うけど、言われるほど自分は段々よたよたしてきてるから。

 

山本:そうですか。12年前に館長さんに言われて印象的だったのは、顔にシミがなく、その理由はよく笑うことや、という言葉です。

 

宮脇氏:まあ本当にね、声が大きいことと、隠し事ができないということが良いんじゃないのかな。

 

山本:館長は12年前からお変わりなく、むしろ若くなっていると感じます。

 

宮脇氏:みんながね、1020年たったときもひとつも変わらないと言うし、店をしていたとき、50年前60年前に来た子供たちが、今は5060歳になってきてるんですよ。そしたら、「おっちゃん変わってない。」って言うんですね。その頃は小さい模型屋で、「おっちゃん、おっちゃん。」って呼ばれていたんだけど、全然変わってないって。子供らはずいぶん変わるから名前はわからないんですけどね。

 

山本:すごいですね。

 

宮脇氏:鬼平犯科帳あるでしょ。僕は時代劇をテレビで見ないんですけど、半年前に、1回見たんですよ。梶芽衣子さん演じる、密偵のおまさがテレビに出てたんですよ。その目を見てね、魅了されたんですよ。今週に2回やってて、それを見ていても間に合わないから、鬼平犯科帳の書籍を全部買って来たんです。1ヶ月ぐらいで全部読んで、これは面白いなと思って、池波正太郎の剣客商売も買いました。11月半ば頃までで60冊読んだんです。それで明日は池波正太郎の文学館をちょっと見に行こうと思っていて。

 

山本:文学館は確か東京ですよね、それで東京に行かれるんですか?

 

宮脇氏:はい。

 

山本:そうですか。思ったらすごい行動力ですよね。私も漫画ですが、さいとうたかおの鬼平犯科帳は全部買いました。あれは勉強になりますね。

  

宮脇氏:本当に池波正太郎の転換力とストーリーの速さがものすごく勉強になって。今60冊なんですが、まだ20冊、池波正太郎の本があるんです。だから今でも本が読めるというのはありがたいな、と思います。そしたら昨日来た手紙があるんですけど、ある先生とは10年前から頻繁に手紙を送ってきてくれて、僕もそれに対応するのが大変だったんですよ。絵を一緒に書いてきてくれるんですけど、僕もそれに応えるのに10枚20枚の便箋で応えなきゃいけなくて。それで昨日久しぶりに10枚くらい来たんです。読んだらもう過去のことばっかり書いてるんですね。ああこれはもうあかんなと思って。これからの未来が無いんですよ。これは手紙として魅力がない。

 

山本:なるほど。過去より今なんですね。

 

宮脇氏:それで昨日家内にも、手紙の返事も書けへんわ、見るのもいややって言いました。そんなものなんですよ、手紙って。それで面白いのはね、先週の月曜日に生まれて初めておまさ役の梶芽衣子さんにファンレター書いたんですよ。

 

山本:館長が梶芽衣子さんにお手紙を書いたんですか?

 

宮脇氏:送ったんよ。今週当たり返事来るんちゃうかなと。待ってるんですよ。

 

山本:それも凄いですね。

 

 

宮脇氏:今彼女は71歳なんですよ。ロック歌手をやったり色々やってるみたいなんですけど。あの鋭い目が良いんです。

  

山本:確かに梶芽衣子さんは鋭い目をしてますよね。

 

宮脇氏:いい目をしてるから。この役者誰なんやろって。僕はその時、梶芽衣子さんなんて知らなかったんですよ。探したらオール読物に自伝がずーっと載ってて。それでオール読物を買って読んだりして。これはファンレター出さなあかん、と。生まれて初めて。どんな返事が来るか楽しみなんです。

 

山本:館長の行動力はマネなくてはなりませんね。

 

宮脇氏:こんな年代になってね、池波正太郎の本をこれだけ読ましてもらってるんだから文学館を見に行こうと思って東京浅草に行くんです。

 

山本今館長が言われたみたいに、僕も社内で同窓会に行くなって言ってるんです。昔の話ばかりになるじゃないですか。まだまだ私たちの年代は、今からのことをやらなくてはいけないですから。

 

宮脇氏:人間これからが大事ですからね。来年、再来年が大事でね、それが無くなったらもう生きてても仕方ない。もう早いこと死んだ方がええでって。

 

山本:本当に過去の話したら終わってしまいますよね。

 

宮脇氏:もう過去なんかね。その代わり年をとったら1日1日が速いんですよ。もの凄い時間が速い。することがいろいろあるから、ものすごく速くて。だけどそういう本でも読めるって事はありがたいと思います。自分の話ばっかりしててもあかんか。(笑)

 

山本:まだやりたい事がたくさんあることに、とても興味があります。

 

宮脇氏:やっぱり過去引きずったらね。生きる意味がないから。

 

山本:僕は本当に嬉しくて、今回対談していただいてありがとうございます。館長さんに12年前に馬之助君の試作品のフィギュアを頂いて、それからずっと飾っていたんですけど。今日お会いできると分かって、持って来させていただいたんです。

 

宮脇氏:うれしいね、ありがとうございます。

 

山本:館長さんが、高知の人達が、当時の知事も含めて帯屋町の連中が、海洋堂さんがイベントをすると凄い町興しになるけど、誰もこちらの要望している馬之助神社すら行ってくれない。そういうことならば、私が行ってきます。それから2日後に行ってきました。  

高知の人が行ってないのに、大阪の人が先に行ってしまったんです。そのことが感動したから、これをくれたんです。僕はそれが凄くうれしくて。私の母も高知県出身で、今従兄弟の息子も高知出身ですけど、うちの会社にいてですね。高知というと僕にとっては第2の故郷なんです。海洋堂さんがカンブリア宮殿や新聞に出たり、いろいろなものを見てると、四万十町の廃校に河童館を創っている情報が入るじゃないですか。

 

宮脇氏:おかげさまで、高知ではね。

 

山本:高知だけじゃないですよ、全国区です。

 

宮脇氏:こんな年寄りやけどね。やっぱりそうやってね、行動を起こしたら何か始まるから。今の日本人は全部そうやけど、皆怒らないんですよ、決断しないんですよ、そして信義が無い。僕らでも、高知で12年やって、まだ思い通りお客さんを呼べてないんだけど、知事が道を広げてくれて、観光バスが1ヶ所だけ通れない場所にバイパス通してくれて。その信義に応えないことにはね、お客が来ないとか言ってもあかんと思ってね。

 

山本:それは館長の実行力から皆さんに伝染していったんでしょうね。

 

宮脇氏:知事なんかよく理解してくれて良かったんですけど、地元がね。村意識と言うのがなかなか。このあいだも祭をやったらみんながビックリするほどの祭になって。大阪のちんどん屋で東西屋って言う、朝ドラで、ちんどん屋で出てる、そういう方も来てくれて。

 

山本:それはもう館長が持っているエネルギーが皆さんにそうさせるんだと思います。

 

宮脇氏:昨年はもっと大きな、自分達で山車も創って、龍を載せてね。そういうものをこさえてずっとホビー館から河童館まで曳いたんですけど。曳きながら考えたんですね。今年はこんなちいさい事じゃなしに、もっと大きく全国的な祭にね。お金も集められるようにして、今回1回やったから、日本全国の問題なんですよ。山とか海とか集落がね、本当に2人か3人、消滅集落っていうんですけど。10年ぐらい前は65才以上とかが半分くらいになって騒いでいたけど、今はもう2,3人しかいない。もう姥捨て山みたいなもの。市や町の人が訪ねて来たら死んでいるとかそういうところが多いんですよ。400年、500年続いているような伝統的な祭でも、もう出来ないようです。人が居ないからね。

 

山本:祭もそうですし、村も途絶えていっちゃうんですよね。

 

宮脇氏:この間もお話ししたんですけど、集落で昔から伝統的にお寺だとかお宮とかは皆檀家があったりして、集落によって食わしてもらってきた坊さんや神主さんがいるでしょ。ほんとは住民がいなくなるまで面倒を見ないといけない立場の彼らが、人が居なくなって金が集まらなくなると去ってしまっていなくなってるんですよね。これが現実なんですよ。そうなると神も仏もあるもんかって。

 

山本:そうですね。

 

宮脇氏:そういうことになるんですね。

 

山本:村も廃れていってしまうんですよね。

 

宮脇氏:だから村も消滅していってしまうんです。高知県で300ぐらい、もうすぐ消滅していく村や集落があるんです。

 

山本:47都道府県あればもっとでしょうね。

 

宮脇氏:もう現実の問題としてね。そこまではみんな政府も何も考えないからね。東京やら大阪やら人口が集中しているところだけは大丈夫だと言うだけのこと。

 

山本:人が集まる所だけ集中しているだけですからね。僕らのお墓の業界も全く一緒で、村とかの単位でどんどんお墓が無くなっているわけじゃないですか。もうお墓参りに行かなくなり、そういう集落のところってだいたい場所が悪くてお墓参りすらいけないんです。本当に墓場になっています。人が減るっていう問題と長生きっていう問題をもうちょっと循環させないとそういうものはどんどん増えていきますからね。

 

宮脇氏:まあ現実に集落に10年以上暮らしていますからね。もうどうしたものかと。初めは帯屋町とかそういう所へ来てくれて、桂浜へ人が来るからって。そんな繁華な所じゃ人が来て当たり前だから、そんなところ面白くないって言って、高知の市外からかなり離れたところでやったんだけど、そりゃあ大変ですよ。今度は高知の隣の南国市っていうところがあるんですけど、そこに工場を作るんです。南国市と県で工場を創るっていうことで、それはうまく街の真ん中だから、良いんですけど。

 

山本:工場っていうのは、フィギュアを創るための工事ですか?

 

宮脇氏:そうです。工場だったら鉄骨で簡単なものを創ればいいじゃないですか。だけど、今日本の風景、景色といえばどこの町に行ってもきらびやかなのはパチンコ屋だけなんですよ。もう夜でもキラキラしてね。でも他の所は、火が消えたようなものですよ。ネオンついているなと思ったらパチンコ屋、そんな感じです。今度の工場に関して南国市にも言ってあるんです。ただ四角いものじゃなくて、宇宙戦艦ヤマトみたいな感じで、道に飛び出すような、ミサイルを出しているような。華やかな工場を最初に創れよって。工場は工場なんだけど、形だけでも珍しいものがあったらそれだけで観光客が来るだろう、だからしょうもない鉄骨の工事創るなと言っています。

 

山本:それは面白いですね。

 

宮脇氏:そういうふうに考えていかないと、人が楽しめる、喜ぶってことはありえないから。殺風景な工場に行っても、そこでフィギュア創っているって言っても面白くない。

 

山本:本当ですね。それに工場の外観が独特だと働く人も楽しくなるでしょうね。

 

宮脇氏:そうですよ。話は変わりますが、働く人に関しても、70歳前後の高齢者だったら3時間働いて次々交代していくようにしていけば良いんですよ。8時間まるまる働かなくても3時間働いたら次の人に替わっていってね。そういうふうに高齢者の方々を雇っていったら良いんですよ。

 

山本:雇用にもいいですからね。町が活性化します。

 

宮脇氏:南国市だったら自転車でも行けるから。3時間もかかるっていうなら無理ですけどど、そんなんではないですから。

 

山本:そのフィギュアを一から創る人たちも育てていかれるんですか。

 

宮脇氏:いえ、一から創るのでは無く材料を用意する作業になります。

 

山本:材料を創ってまた持ってきて、という感じになるんですね。それは良いですね。宇宙戦艦ヤマトみたいな形の工場で(笑)

 

宮脇氏:南国市や県にそうやって発破をかけているんですけど、いざとなったらやるかどうか。

 

山本:それをやらずにただの四角い箱を作ったら確かに面白くないです。

 

宮脇氏:もうやめや、って言ってやろうと思ってます。

 

山本:もともと館長は最初のプラモデルのお店を創る時も、棒を倒して右に倒れたら、とかだったんですよね。

 

宮脇氏:棒ではなく、木刀を立てて東西南北でね。それがプラモデルの方に行って。手打ちうどんかプラモデル屋のどちらかの二択だったんです。

 

山本:プラモデルと手打ちうどんっていう選択肢はどうしてだったんですか。

 

宮脇氏:プラモデルは、子供がまだ幼稚園やらそういうときだったから買って創ったりしてたんですよ。一番の理由としては資金が要らないってところだったんですけどね。手打ちのうどんは、自分で技を持っていたからなんです。大阪でガラス張りの中で手打ちしたら受けるんじゃないかと思ったんだけど。

 

山本:それを聞くと手打ちうどん屋でもおもしろい店になっていたでしょうね。

 

宮脇氏:クリス・ウェイラスという男がいて、アメリカ人で僕と30年来の友達がいるんです。彼はグレムリンとかザ・フライという映画で、アカデミー賞を獲った男なんです。35年ぐらいの付き合いなんですけど、大阪のうどん屋に連れて行ったんです。そこでうどん食べて、そしたら彼曰く、館長がうどん屋になったらこれ以上になっとるわ、って。いろいろ趣向を凝らすって彼らも知ってくれていますから。

 

山本:結果的にはそれがプラモデルの方にいって、一坪半から始められて。

 

宮脇氏:そこで3年目には1坪半の長屋を2階建てにして、15mを店にしたんです。それでその三分の二の10mを削って、底を掘ってプールにしたんです。なんでかというと、夏に子供たちが模型の船や潜水艦を走らせる場所がなかったからなんです。皆さん想像はつくと思うんですが、創ったものでどこで遊ぶのか。お風呂場とか、川に行ったら怒られるし、流れて無くなる、結局その無責任なところをどうするのか?それでプールを創ったら大変な賑わいになったんです。冬はそこにコンパネを敷いて、セメントで谷や山をこさえて、砂を敷いて、そこに全部爆竹の線をひいて爆発させるんです。手前から戦車を走らせて、その向こうでスイッチを入れて爆竹に点火するんです。100発爆竹が埋まってるんです、地雷が。砂のかぶせ方でいろんな爆発の仕方をしてね。そんなジオラマを作ってね、3年間日本一戦車を売ったんですよ。

 

山本:それは買いに行きますね。体験できると違いますよ。

 

宮脇氏:そこで走らせるために待たなきゃいけなくって、予約が1週間先だったりするんです。みんなが戦車を持ってきて走らせたいんだけど。

 

山本:僕らもタミヤ世代だったんで戦車とか創りましたね。

 

宮脇氏:そのタミヤの戦車を三年間、僕が日本一売った。だから三年目にはもうタミヤやらイマイっていうプラモデルの会社から呼ばれて、東京やら九州へ行って講演したんです。どうやって売ったらいいのかって。小売り屋に話をするんです。それでもみんな真似しないんですよね。

 

山本:それはなぜでしょうかね。

 

宮脇氏:だから常に新しい、人が喜ぶことをまずはやらなきゃいけませんよ。

 

山本:今の話で、普通のプラモデル屋さんは、今も昔も箱を積み上げているだけですからね。

 

宮脇氏:海洋堂が初めて展示するっていう店の方式をやったんです。だから全て初めて。人の真似は絶対にしない。

 

山本:面白いです。今の館長の話を聞いていて、僕もなんで海洋堂さんのファンかっていうと、僕は51歳ですけど、子供のころは買えなかったんですよね。フィギュアとかおもちゃを。買えても今見たら造形がひどいじゃないですか。ずんぐりむっくりばっかり。今みたいな本物そっくりのものが当時あったらどれだけ喜んだだろうかと思います。結局あの時を懐かしんで僕たちは買っているっていうのは、本当に今の子供だけじゃなくて、いろんな年齢層、60歳以上の人までお客さんになっているんじゃないかって思うんです。館長の、「体験させる」ことからずっとヒットして、ただ積み上げるだけの愛情がない所と違って、今のおもちゃ屋さんもほとんどそうですからね。

 

宮脇氏:ほとんどの商いっていうのは自分が仕入れて売るっていう、そこに想像力がないから。僕が商売やった時は1964年でオリンピックがあったし新幹線が通った時だったんです。来たお客さんが求める模型がないって言ってきて、それがエアフィックスっていってイギリスの品物なんです。普通大阪の問屋なんかが持ってないもので。僕は簡単に模型屋始めたもんだからお客さんに知識を入れてもらわないと分からなかったです。それが小さい1/72のサイズで100円だったんです。その100円を仕入する為に新幹線に乗って、東京で5つぐらい仕入れて知らない顔をして置いておくんです。そしたら前のお客さんが来て、「あれ、イギリスのやつがある。どうしました?」って。あなたに教えられて仕入れましたよって言ったら喜んでね。その人が大阪一の飛行機創りだったんです。プラモデルでね。それから店にいろいろ飾るものをくれました。

 

山本:それはもうお金以上の価値ですよね。

 

宮脇氏:そういうふうに思い切って踏み出すと良いもの、良い関係性が得られるんです。

 

山本:皆さんそんな100円のもののために東京に行ったりしないじゃないですか。

 

宮脇氏:そらしないよね(笑)新幹線代だけでもなかなか大変で。

 

山本:とにかく館長のお話を聞いていると、行動したら全て還ってくる。それが習慣化しているってことですよね。

 

宮脇氏:僕はね、商いの基本は「負けて勝つ」ってことだと思うんです。「損して得とれ」っていう昔からのことわざもありますよね。最近鳥井新次郎の本を読んだんですが、あの人はすごいアイデアマンで、初期は僕とよく似たことするなという感じでした。誰かにこういわれたらしいんです。お前は商いで儲けた部分を全部使っているが、資本として残さなければいけない。僕自身も儲けて、それはうまいんだけどそれを次の夢につぎ込んでしまうんですよ。そしたらいつでも金が無い。だからだんだん大きくはなるんだけど火の車みたいにね(笑)

 

山本:火の車ではないと思いますけど。

 

宮脇氏:金を持ったら夢が描けない、と。僕の高知の友達で2部から1部に上場した人がいるんだけど、その人は儲けたら蓄財もするし、それからさらに儲ける。そういうふうにできている人もいるんですが。さっきも言ったんだけども、夢を追っていると河童の砦でもね夫婦の老後の資金を全部つぎ込んだりしてね。家内もそれを認めてくれるからいいんだけど。そういうところが僕の商いの欠陥。

 

山本:いやいや欠陥ではないですよ。館長はやっぱり夢がなかったら面白くないですよ。多分過去の手紙を書いたりしちゃいますよ。

 

宮脇氏:チョコエッグがヒットした時なんか億の単位で売れましたからね。だからビルも建てました。その時はボーナスを年4回払いましたよ。みんながやってくれたから、みんなに還元して。そしたらこっちは無くなっちゃって。(笑)そういうことばっかりなんです。儲けた時はスタッフに、そういう気持ちになって。だからいつでも火の車で、だれも火の車だということはわからないから。そしたら高知ではどんどん建物創っていくから、どれだけお金を持っているのかと思われて(笑)

 

山本:でもそれは投資ですよね。

 

宮脇氏:そうですね。お祭りの時に友達に200通ぐらい、祈るような気持ちで、「寄付してくれ」とは言えないから「祭りをやるから協力してくれ」とお手紙を書いたんです。毎年門真市の駅前で祭りをやるんですけど、門真で寄付を集めよう、ということになって。寄付は集まっても30万か40万ですって言われて、もうちょっとほしいねんけどなと思っていたら350万集まったんです。友達のポケットマネーとかの寄付もあったんですけどね。ありがたいものだな、と思いましたね。

 

山本:それはもう館長の人徳ですよね。夢がありますね。

 

宮脇氏:結局手紙のタイトルには、夢と人間の楽しみに共鳴できるんだったら寄付して、と。来年やるときは友達でなくて企業にお願いしようと思うんです。協賛してくれと。造形をドローンで撮ったりしているから。全部企業に協力させてもっと大きくしてやろうと思っています。派手にやったろうと。だからそうやって一つの事をやると次の発想ができるんです。

 

山本:やっぱり次々発想が出てくるのは海洋堂さんという会社はずーっとそれが文化になっているんでしょうね。

 

宮脇氏:フィギュアというのは日本の文化になっているじゃないですか。それに日本ではだんだん職人が少なくなっているんですよ。昔は職人というのは何年か修行して初めて認められるんです。今はそういう修行する段階がなくなっています。うちの場合は職人を育てているわけではないんです。修行しているわけではない。フィギュアを創るのが好きで好きなものを創っている。それには僕は一切文句をつけないし指示もしません。だから自然の、猿なら猿を創って売り物になるには、器用な子なら3年や4年、でも不器用な子では5年たっても6年たってもダメなんです。一生懸命やっているんだけど、売り物になるものができない。でもある日突然売り物になるものを創れるようになるんです。それが僕らの会社で職人と呼べる人間です。けど、大体の企業は4年も5年も待てないんですよ。だから職人は育たないんです。

 

山本:館長さんのそのお考え、12年前に聞かせていただいて、ずっとそれを続けているわけじゃないですか。その入り口の大魔神も大映がつぶれてほったらかしになっている大魔神を祀っていますよね。大魔神っていうのはお金がないあの時代に苦労して特撮を創ったではないですか。1年に3作も作る必要はなかったと思うんですけど。今見ても面白いですよね。勧善懲悪が徹底していて。

 

宮脇氏:大映がつぶれるときにただでやるから取りに来てといわれて、取りに行って、魔人様だから祠を用意したんです。

 

山本:それで創ったんですね。

 

宮脇氏:まあね。今度歌舞伎の猿之助と息子が友達で、襲名披露があって私の息子が行くんですけど、それをフィギュアで創ってくれと。詳しくは聞いてないけど。

 

山本:それはおもしろいですね。歌舞伎のフィギュアなんて見たことないですよね。

 

宮脇氏:面は創ったことあるんですけど。

 

山本:館長はこれからどんなフィギュアを創っていこうと思っておられるんですか?

 

宮脇氏:大阪駅の向こうに門みたいなビルがあるでしょ。あれがなかなか観光客に有名らしくて、あれをデザインした人と弊社があの建物をガチャポン用に作ったんです。それを見ていて、こんなもの売れるのかと言ったんです。あそこの39階と40階にガチャポンを置いて、それがこの1ケ月で3万5千個売れたんです。それで新聞に載って。ガチャポンは馬鹿にならんと思いましたね。

 

山本:会社の中で館長が夢を追いかけてきたことが文化となっているんでしょうね。

 

宮脇氏:文化になったことで僕もいろんな国の賞をいただいたんだけども、私の息子は中学しか出てないんですよ。それが大阪芸大の教授になったんです。それはうちのフィギュアを日本の文化として創ったから。だからおそらく国始まって以来のことなんですよ。

 

山本:教科書通りはいかないってことですよね。

 

宮脇氏:やっぱり夢を追い続けるということは難しいし。

 

山本:夢と収益と両方いるんですけど、収益ばかりに目を向けると面白くないものになるかもしれないし。

 

宮脇氏:兼ね合いが難しいんだけど、僕は兼ね合いを考えないから。けどまあみんなが、高知なんかではタクシーに乗っても、「四万十の館長ですか」とか言ってくれるんです。それぐらいだけど金は一銭もない。いっぱい持っていると思われてるのに。

 

山本:あと館長に聞いておきたいことがあって、死生観っていうのはどういうふうに考えられていますか。

 

宮脇氏

自分で死生観について考えたり、遺言とかについて考えたりはしてないけど、どんなに年をとっても明日、明後日の事を考えるようにしています。寝る前に先のことを考えることを習慣づけています。寝る前に明日のことを考えて、起きたらそれを実行する、という感じで。それだけの事です。

 

山本:実は前回対談させていただいた方がスーパードクターの木原さんという方だったんですけど、その先生も生涯現役であることが大切だとおっしゃっていました。昨年105歳で亡くなった日野原先生は3年先までスケジュールを入れてたみたいです。

 

宮脇氏:あの方なんかは105歳まで身体も気を付けて生きてきたと思うんだけど、僕らみたいなでたらめな男はあんなに長生きはできないと思うんですよね。その代わりね、一番下の女の子が4年生、一番上が85歳で十何人いるんだけど、全員にラブレターを書いてるの。四年生の子に手紙を出したら、その子は書道とかはやってなかったんだけど、読売かなにかのコンクールで100人の中に入ったんですよ。そういうふうに手紙をだすことによってものすごい進化があるんですよ。子供が育っていくから当然同じことは書けないんです。これはラブレターなんですよ。さっきも話したように過去にこだわるのはもう終わりですよ。この4年生の子は高知へ行ったときに、そのお母さんが看護師で、僕が足を手術した時にそこの病院でものすごく一生懸命やってくれたんです。それからお母さんに手紙を書くときは娘2人にも、合わせて3通書かないといけない。で、3通帰ってくるんです。そういう付き合いなんだけど、子供はね、本当に進化するのが早い。高地に行くと焼き肉を一緒に食べたりするんだけど、ご主人はビールを飲まないんです。僕がおいしそうにビールを飲んでいると、4年生の女の子が「館長はビール飲むのにお父さんはなんで飲まないの?」って聞くんです。それで「私が20歳になったら一緒にビールを飲んであげるからそれまで生きて」って言ってくれて。

 

山本:100歳ですね。それは生きとかないといけませんね。

 

宮脇氏:馬之助神社は集落で管理しています。その集落は全員歳をとって管理できなくなってしまって、館長管理してくれないかと言われました。まだもうちょっと難しいんですけどね。

 

山本:先月海外に行ったんですけど、その時ある僧侶が言っていた言葉がすごいトンチンカンで、「これからはお布施もカード引き落としできればいいんじゃないか。」と。そんなことをしたら宗教活動が無茶苦茶になりますよね。社寺仏閣も税金掛かるかもしれません。その人にメリットを聞いたら、「ポイントがたまるから」カード会社は良いですよね、手数料すごく入ってきますから。館長とは正反対なチープな考え方をする人がいるんです。

 

宮脇氏:大阪やら東京に行ったら、山奥の集落にはなかなか帰ってこないんです。父親やら親戚やらを世話しないといけないという現実の問題があるから。これは厳しいんです。本当に人間の愛情とかそういうものが大事かという事が集落にいるとよくわかる。

 

山本:面白いですね。ここに来させてもらうのは2回目になりますが、いると本当に幸せになります。

 

宮脇氏:四万十に築150年たった古民家があるんです。茅葺ですけど。その茅葺を全部大工さんにお願いし、河童館を創った瓦屋さんと左官さんが去年の日本の職人100人に入ったんですよ。

 

山本:いま霊園を開発しているんです。今日はなにか勇気を頂きました。やっぱり人と同じものを創っては駄目だと思います。僕もだいぶ変っていると言われるんですけど。

 

宮脇氏:なんであれ、安易な人の真似、人がやっていることをしたら長続きしません。僕は親父の墓を南国市の方に持って来たんです。本当は墓も持ってこなくていいんだけど。その周りに桜を植えて、今はもうだいぶ大きくなったんです。そしたら息子でも孫でも桜を見に来るだろうと。そういう事が大切だと思うんですよ。今から先、墓だけ拝みに来ることは減ると思う。僕らでも行きませんから。

 

山本:考えないとだめですね。

 

宮脇氏:これから先、墓という考え方、その発想から変えていかないといけない。僕らみたいな歳ではもう墓という概念がない。君たちみたいな若い人たちだと、もっと墓は無いと思います。

 

山本:おっしゃる通りだと思います。僕らも空間を創るのが仕事だと思っているんです。

 

宮脇氏:墓っていうのはこれから海へまくとかそういう方向へ終わっていくようにも思うんです。それが一番動物として、自然の中で生きるものとして、骨がそこに埋まるっていうそれぐらいのものしかないんじゃないかと。だんだん、本当にそういう自然の中へ帰っていく方向に。人工頭脳が出来る時代に墓参りは無いかもしれません。僕らはこれからは病気になったり、ちょっとぐらい金ができたらロボットに介護してもらうことになるでしょうね。あと5年も10年もたたずにそういう時代になりますよ。ものすごいAIの進化が速い。我々が考えるよりも。いま中国の成長が速いのはそこにあるよね。人工頭脳に力を入れているから。

 

山本:例えばスターウォーズのC3-POとかR2-D2とかが家政婦代わりに相手してくれたりしたらマニアはたまらないですね。

 

宮脇氏:スターウォーズの話を聞いて思い出したけど、ジョージルーカスのILMっていうスタジオに日本人で一番最初に入ったのは僕なんですよ。この間テレビで見たら雰囲気はずいぶん変わっていましたけど。僕が行ったときは普通の家でしたよ。その地下がすごい広さで、映画のスタジオがあるんです。クリスウェラスが1ヶ月交渉してくれて何とか入れたんです。ゴールデンゲートブリッジを渡って、サンフランシスコに入った右の土地は全部ジョージルーカスの土地ですよ。アメリカには50歳を過ぎてから行ったんです。金がないとき。一番安い韓国の飛行機に乗って行って、向こうについてもホテル代もなく。友達の友達の家で、ソファーをベッド代わりにしましたよ。だけど、そういう経験があったから今の海洋堂があると思う。アメリカにいる間は好奇心いっぱいで寝ている暇なかったね。

 

山本:40年近く前ですよね。ちょうど第1作のスターウォーズが上演されたときですね。

 

宮脇氏:ニューヨークの自然史博物館にロスの大学教授が紹介状を書いてくれて、そのときに創っていた恐竜のフィギュアを持って行ったんです。学芸員は全員発掘で出払っていていなかったんですが、受付の人が爬虫類の世界的権威がいるというのでその人に電話してみましょう、と。電話したら5分くらいなら会えると言われて、実際に会ったら結局4時間話していました。それからその人とはアメリカに行くたびにご飯に行ったりしています。そんなこともあって、自然史博物館の前にある大きい恐竜はうちのフィギュアをモデルにしているんですよ。

 

山本:すごいですね。それこそ今お話しにあったスターウォーズも海洋堂に創ってほしかったです。アメリカのフィギュアは最初びっくりするぐらいひどかったですからね。

 

宮脇氏:うまいこと金儲けできていたら今頃もっと楽だったんだろうけど、いつまでも兵隊で走らなくちゃいけないんですよね。

 

山本:そこに行ったという日本人はそんなにいないですよね。

 

宮脇氏:まあ、商いというのはどんなところに成功の芽があるのかわからないですけど。

僕が一番創りたかったのは、プランクトンです。あれを拡大したらどう見ても怪獣なんですよね。それを創りたかったんです。それを創ろうと思って何十年も考えて、でも、当時のプラスチック加工の技術じゃあの透明度が難しいんですよ。それが、ニューヨークの自然史博物館に行ったらずらーっと並んでいたんですよ。それを見てもうひっくり返りましたね。こんなことが出来るのかと。聞くと、ドイツのガラス職人を40人呼んできて創らしたみたいです。模型というのは大きいものを小さくする思い込みがあって、小さいものを大きくするっていう考え方がないんですよ。だからそれをやってやろうと思っていたんだけど、ニューヨークの自然史博物館に先を越されてしまいましたね。それでもう僕はこんなことは考えんぞ、と帰ってきました(笑)その驚きはすごかったですね。だけど今はそれができるんです。「創れるものは星の数ほどある」というのが僕のキャッチフレーズだけど、プランクトンとかも創れると本当に面白いと思います。やっぱり、考えなくちゃいけない。

 

山本:常に考えていますよね。普通の方と物の見方が違いますし、満足することなく新しいことに取り組んでいる印象です。一つ終わったら間髪入れず次に進んでいますよね。

 

宮脇氏:満足することはないですよ。生きている間は仕方ないじゃないですか。

 

山本:会社でも満足したら終わりということはよく伝えていますね。

 

宮脇氏:満足なんていうのはね、人間にはないと思うんです。仮に金が今あってどうするのか、と。贅沢しようにも限界がありますし。

 

山本:館長がおっしゃる通り、満足、という人間欲がないとだめだと思うんです。強欲はだめですけど。欲があると人に与えられますし、無いと発想もなにも生まれない。

 

宮脇氏:僕はあなたのような形では商売してこなかったですけど、将来は霊園にしても何にしてもどうなるのかイメージしとかないといけないですよ。

 

山本:100年後200年後の事をですね。古いお寺さんはしっかり考えてますからね。どうやって来てもらい知ってもらうのか。

 

宮脇氏:さっきの話でも言っていましたが、お墓の周りに桜を植えたら花見ついでにでも来てくれるだろうと。そういうことなんですよ。付加価値をつけていかないと墓参りなんかなかなか来ないですよ。僕自身そう思っていますから。

 

山本:うちの業界だと木を見て森を見ずの商売をやってきているところがほとんどですから。森を創っていかないといけないですね。墓石が生きるのも周囲の環境が大事です。

宮脇氏:僕が高地に行くとき、国道と違う海岸を行くと回転するビルがあって、それはつぶれたらしいんですけどいつか手に入れてやろうと思っていたら、そのうちにそれが霊園になったんですよ。もう10年ほど前かな?もうその霊園はだめになったみたいで、通る度に面白いなと思うんですけど。ただ珍しいというだけで人を集めても持続力がないんですよ。

 

山本:物語が要りますからね。

 

宮脇氏:それから次に何ができるかという考えがないとね、そのビルが面白いというだけじゃ霊園にしてもあかんな、と。そこから先がないから。

 

山本:今日のお話を聞いていろいろ考えないと、と思いました。館長が言っていましたが、僕も人が創るようなものを創りたくないんですよ。

 

宮脇氏:僕は「創る」という言葉を大事にしていてね。「作る」という感じだと、誰かがすでにつくったものを作ることになるんです。だから僕は海洋堂のキャッチフレーズの時にこの「創る」しか使わないですね。人の真似をしないという。

 

山本:大魔神もお寺さんに参っていただいたんですよね。

 

宮脇氏:そう、ここに置くまでは200坪の倉庫に置いていて、移動の時には金剛組さんに頼んでお坊さんを呼んで魂抜きをやってもらったんです。お坊さんたちは、皆さんの思い入れが強くて魂を抜くのが大変だったと言っていましたね。次にここに移してから魂を入れるときは比叡山の僧侶に来てもらったんです。日頃から色々な人に拝まれたりしていると人間の想いが入るみたいです。

 

山本:大魔神を祀る前提で設計するっていうのもなかなか変わっていますよね。

 

宮脇氏:寝殿造りで創るっていうのもアイデアですから。だれも会社の中にあんなもの創ろうとは思わないですよね。

 

山本:フィギュアの市民権を確立したパイオニアですね。

 

宮脇氏:お賽銭箱まで設置しましたよ。お賽銭というと河童館の入り口にお賽銭箱がおいてあって、馬之助のフィギュアとかを置いているんです。去年そこで、馬之助神社までバリアフリーで行けるようにするための寄付を募る場所として設置したお賽銭箱の金額を確認したんです。いくらだったと思いますか?28万円も入っていたらしいんです。

 

山本:集まりましたね。

 

宮脇氏:足りない金はこっちで補填して道を作りました。

 

山本:今日は本当にありがとうございました。

 

宮脇氏:また今度10年経って来たら100歳ですから生きているかどうかも分からないですけど。今年は90歳の卒寿でパーティーをやろうと思っているです。

 

山本:おめでとうございます。

 

宮脇氏:やはり新しいことをこれから先もっとやらないといけないですよ。今までのような安泰ということはもう無いと思います。状況は次から次へと変わっていくから。だからこそ色んなことをやるのは難しいけど面白い時代だと思いますね。

池波正太郎記念館に明日の朝行って、その後頭に鍼打ってもらうんです。そこに月に2回小泉元首相が来るんです。そこの院長が僕の頭を3回ぐらい撫でて、「小泉さんより神経使ってますね」って言われましたよ。(笑)

 

山本:まだまだ仕事が尽きないですね。

 

宮脇氏:僕のところは家内が1つ上で、夫婦そろって元気なんです。

 

山本:館長、本当にありがとうございました。

 

宮脇氏:今度会う時に生きているかわからないけど、元気でいきましょう。奇想天外な霊園創ってくださいな。