著名人との対談

VOL.25

中村徹信 氏 × 山本一郎

お寺とは造“縁”業である

中村徹信 氏 × 山本一郎

DIGEST

お坊さんとは縁を造る造縁家、お寺は造縁業であるべきだと思っています

対談相手のご紹介

中村徹信 氏 × 山本一郎

天台宗 檜尾寺 住職

中村徹信

tetsushin nakamura

天台宗 檜尾寺(近江西国三十三ヶ所観音霊場第30番)の住職
警備会社最大手セコムの顧問を勤めた。
現在は退職し、大手警備会社相談役と檜尾寺の住職という2足のわらじで、お寺の普及に励んでいる。

対談の様子

山本:

今日はどうぞよろしくお願いします。
中村先生は今年でおいくつになられましたか?

 

中村氏:

今年で70歳になりました。

 

山本:

そうなのですね。お会いして約20年近いお付き合いになります。
こちらの霊園を始められてどのくらいになるのですか?

 

中村氏:

そうですね。14年くらいになります。以前この辺りは、檀家さんのお墓が5ヶ所に分かれて、埋葬墓と石塔墓が混在していました。お墓参りするにも、お墓が山の中にあり、草を刈ってからでないと行けませんでした。年配者だとお墓参りに行くことが難しく、子供が小さい頃にお墓参りする習慣がだんだん無くなっていました。これは日本人の根幹に関わる問題だと思い、お寺の周りの田をお墓にし、過去・現在・未来と来世につなぐためにお墓を提供して、子供たちに教えていくことにしました。こちらの霊園を始めてから、地域の皆さんにも大変喜んでもらって良かったです。

 

山本:

先生はお坊さんをされながら、以前は上場企業セコムで働かれていた企業人でいらっしゃいましたが、民間から見たお寺はどうですか?

 

中村氏:

180度違う世界ですね。しかし、お寺は、檀家さん、信者さんにご縁を結んで成り立っています。民間企業のビジネスでも、ご縁が無かったら長続きしないので、ご縁は両方に共通すると思います。石につまづくのも、今日こうやって山本社長とお話ができているのもご縁だと思っています。わたしは、お坊さんとは縁を造る造縁家、お寺は造縁業であるべきだと思っています。会社を辞めても未だに相談されることはありますし、仕事以外でもいろいろな相談を頂くことがあります。

 

山本:

先生がセコムに入られた時は、まだ社員も少ない状況だったのですよね。また創業者の飯田さんも現役社長でいらした頃ですよね。

 

中村氏:

そうですね。現在は最高顧問の飯田さんと一緒でした。最近放映されているテレビドラマ下町ロケットのように、セコムは絶対によその真似をしなかったですね。自分のところで開発も、開拓も全部行っていました。組織が鮮烈で、社員教育には徹底してお金をかけていました。ただ、人がやることだから、いろいろな事故や事件やトラブルが起こります。
最近は何もかも隠す事件が多いですが、これが発覚したら会社がつぶれるのではというようなことも全てをオープンにしていました。そういう企業カルチャー、社風でした。

 

山本:

セコムの黎明期から大企業に成長されたという革新的な部分と、一方お寺の伝統的な部分を経験されたということですね。

 

中村氏:

ここまで育てていただいたのは、この2つのお蔭です。その2つは2面性ではなく、使い分けでもなく、ミックスされるのですね。そのミックスされたものが、他のお坊さんにないものになったように思います。
天台宗の山田猊下とお話しさせていただいた時、お坊さんの世界だけでなく、企業での仕事と両方の世界を知っていて、天台宗でも貴重な存在だとおっしゃってくださいました。恩を受けたらそれを返す大事さを感じています。軸はお坊さんでも、会社に行ったら企業人、帰ったらお坊さんにならなければならないので、その間にできたものは、他の人ではやりたくてもやれないこと。当時はあまり思っていませんでしたが、そういう機会を与えて下さった仏様のお蔭さまに感謝です。結果としてたまたまセコムに入り、創業者と相通ずるものがあり、この人のために何とかしなければならないということが大事。会社で社長のために、大変な危機状態の時に団結して能力以上のことをしなければならないという意気に感じることが必要だと思います。

 

山本:

その当時は飯田さんも熱い方だったのですね。
セコムがモデルとなったドラマのザ・ガードマンもありましたが、警備の世界に革命を起こした方ですね。

 

中村氏:

熱かったですね。石原慎太郎の太陽の季節のモデルと言われた太陽族でしたから。
セキュリティーはものすごく大事です。日本人は安全に対して鈍感です。人間が人間らしく暮らしていくということは社会全般に大切なことで、それが1つの文化だと思います。セコムは当初、安全安心文化と盛んに言っていました。
現在では、消防や警察だけではまかないきれないので、民間の警備会社と総合して、社会の安定を保っています。その社会安全のインフラの礎を築いた創業者の飯田さんはすごいと思います。

 

山本:

水と安全は無料と言われた時代に、それにお金をかけることがリスクにならなくなった社会安全のインフラを築かれたのはすごいですね。

 

中村氏:

リスクはどんなものにも、つきものです。山本社長が霊園を始められた時もリスクがあったはずですよね。思いつきでなく、計算をしつくして、人より一歩か半歩でも先に出る。この世には石橋をたたいて渡らない人もいます。どんなことでも、たとえうまくいかなくても、思い切ってやれば、失敗したことがばねになっていきます。世の中で起こっている事件や若者を見ていると、お坊さんと学校の先生が悪い。特にお坊さんは、間違っていることは間違っている、正しいことは正しいと言える立場なので、それを放棄しているのはいけないと思います。

 

山本:

最近神社では、兼務されている宮司さんが増えていますが、お寺もそうなるのでしょうか。

 

中村氏:

どっちかに傾斜してしまうことが多いですね。また軸をお寺に置いてくれればいいが、企業に傾斜してしまうことが多いですね。

 

山本:

これからはお坊さんも経営を学ぶ必要があるのではないでしょうか。

 

中村氏:

絶対に必要ですね。お墓の檀家さんはいろいろな宗派の方がいらっしゃいます。わたしも他宗のお経をあげられないですが、天台宗でよければとお話しています。また、皆さん気さくにいろいろな相談に来てくれますし、皆さん定着してくださって、仏様の話を少しずつしています。

 

山本:

これからのお寺の存続を考える時、葬式しない、仏壇揃えない、お墓建てないということが加速的に増えてきています。

 

中村氏:

それに加えて戒名いらないというのがものすごく増えています。
今の宗教は心の問題よりお金の問題にされています。そうなると景気の先行きが不透明になると、若い人はお金にシビアになります。そこは、お坊さん、長老の人、親が、家庭の中でも言っていかなければならない。ご先祖様があって今の自分があるということを伝えなければならない。

 

山本:

寺、仏壇、お墓もすべてはなくならないとは思うのですが、いろいろ形は変わっていくのではないかと思うのですが。

 

中村氏:

形は変わってもいいと思いますが、心の根底の変えてはいけないものがあるので、何でも簡素化で、そこまで変えたり失くしてはいけない。地元の行事の時も、若い人は仕事などで時間がなかなかとれなくて参加できない。仕事も大事だけど、できないなかでその行事をどういう形で残していくかを考えていく必要がある。文化を守るとは、守るとは残して伝えていくものです。
仏様がいい例で、仏像ができて、皆さんに拝観してもらって、そこでいろいろなお話をして、残していかないと思ってもらう場を持つのがお寺だと思います。せっかく形あるものを無にしてしまうのはもったいない。お墓でも、昔は荘厳華美で、行くところまで行ってしまったら、だんだん下降気味になっています。究極、お墓は石ころでもかまわないと思います。大事なのは先祖を祀ることであって、それをなくしたら、感謝する心もなくなってしまう。お墓は、形はどんなものでも残さなければならない。最近、散骨や樹木葬があるけれど、お墓があって皆がお墓参りをされて、ほっとした顔を見るとこちらもうれしい。例え立派なお墓を建てても、お参りしなくなったのでは意味がない。お墓参りに行くということは、亡くなった方と時空を超えての語らいや相談できる一つの場所ですし、家では仏壇や神棚、外ではお墓やお寺だと思います。霊園に行ったら心が洗われるという聖域、そういうものがなかったらお墓としての役割はないと思います。四季折々の花が咲き、常にきれいしておく。その管理は大変だけど、お参りに来て喜んでもらえる方がうれしいので。
お墓は清浄の地であり、次のすみかで入るところはきれいでないと話にならない。参道が長いのは、一歩一歩あかを落としていくための道で、そこにたどりつくまでのアプローチが大事。

 

山本:

日本人は厳しい心と、優しい心を持ち合わせていますよね。

 

中村氏:

赤塚不二夫さんを知ってるよね?私の知人から聞いた話なのですが、すごい人だったようですね。
締切が迫った原稿を担当の出版社の方に渡したところ、その原稿をタクシーに置き忘れてしまったようです。いろいろ探して原稿が出てこなかったので、赤塚さんのところにその担当者がそのことを伝えに行きました。すると赤塚さんは、なんとかなるだろうと言って、その担当者のことを怒らず、その担当者を自ら誘って飲みに行かれましたようです。飲んで帰ってきて、徹夜で原稿を書いて次の日に届けたということです。その後しばらくして置き忘れた原稿が見つかって、担当者がその原稿を赤塚さんのところに持って行ったところ、今後このようなことがない戒めのために、担当者に持っておくように言われたようです。
人の失敗を許すということはなかなかできないことです。天才バカボンの「これでいいのだ」に通じるものがあるのでしょうね。赤塚さんも破天荒な人だったらしいですが、漫画に人柄がよく出ているようです。

 

山本:

先生、今日はいいお話をありがとうございました。