著名人との対談

VOL.34

木原俊壱 氏 × 山本一郎

みんなが年をとっても生涯現役で頑張れる社会へ

木原俊壱 氏 × 山本一郎

対談相手のご紹介

木原俊壱 氏 × 山本一郎

医療法人社団 親和会 京都脊椎脊髄外科・眼科病院  理事長兼院長

木原俊壱

shunichi kihara

1988年 佐賀医科大学(現:佐賀大学医学部)卒業・医師国家試験合格

1990年 西有田共立病院 脳神経外科 医師

1991年 聖マリア病院 脳神経外科 医師

1992年 佐賀医科大学(現:佐賀大学医学部) 医員

佐賀医科大学(現:佐賀大学医学部)
文部教官助手

1994年 米国カリフォルニア州 ロマリンダ大学 留学

1999年 大津市民病院 脳神経外科 医長

2005年 大津市民病院 診療局手術部診療部長 (兼 脳神経外科医長)

2013年 医療法人社団 親和会 京都脊椎脊髄外科・眼科病院 理事長兼院長に就任

2017年 TBS「スーパードクターズ」出演

対談の様子

山本:それでは今回の対談は、京都脊椎脊髄外科・眼科病院の理事長でもあり、院長の木原俊壱先生です。木原先生は、テレビのスーパードクターズなどでも取り上げられ、命をつなぐご職業ということで、私はとても今回の対談が楽しみでした。本日はよろしくお願いします。

 

木原氏:はい、よろしくお願いします。

 

山本:これが弊社のカタログです。

 

木原氏:これは洋風霊園なんですね。

 

山本:そうですね、はい。

 

木原氏:私の家のお墓は九州の実家の近くにあります。母がしょっちゅうお墓参りに行っています。だからもちろん場所は大事ですけど、やっぱり近いというのが大事だと思います。

 

山本:やはり近い所が良いですか。

 

木原氏:関西に来て思ったことは、お墓参りがなかなかできないということです。仏壇は毎日お参りしています。真言宗なので仏前で毎日般若心経はあげています。昔は全然憶えてはいなかったですけど、父が、私が30代の時に亡くなってしまって親孝行ができなくて、それから毎日般若心経をあげているんです。

だからそういう意味では、自分の息子のことも考えて、やっぱり近くにお墓があった方がいいな、と。こういう仕事していると忙しいですからね。近いとちょっと時間があるときにお墓参りに行けるので、そういう場所が必要です。

 

山本:息子さんも医療の世界に?

 

木原氏:そうです。今、関東の医大の3年生です。

 

山本:では先生のゴッドハンドが息子さんにも継承されるんですかね。

 

木原氏:そうですね。彼は非常に器用なので。僕が医者をやれと言ったことは一度も無かったんですが、1人で決めて1人で医学の道に進みました。

 

山本:素晴らしいですね。

 

木原氏:僕はまったくタッチしないんです。勉強に対して何も言わないし、家内に僕ほど面倒をみない人はいないって言われました。ただ、親が医者だったりすると教育熱心で、親が教えている友人も多いみたいですけどね。僕は娘も息子も1度も教えたことがないです。

 

山本:だから学ぶんでしょうね。教えると学ばないと言いますから。

 

木原氏:期待もしてなかったですけど、自分で決めていました。中高は非常に自由な学校で、野球ばっかりやっていました。とにかく今できることをやればいいからって、僕も言っていて。自分で医学部へ行くと決めていたみたいです。人生は1回だけですから、学校の先生とお話しした時に、まったくお話ししていなかったのですかと言われて、驚かれていました。息子はなんて言っていましたか、って聞くと、父を尊敬していますので医学部に行きたいと思います。僕にはそんな事を一度も言ってなかったので、本当ですかって思わず聞き直しました。

 

山本:うれしいですね。

 

木原氏:それはうれしかったですね、一番。

 

山本:お墓っていうのは代々受け継いでいくものじゃないですか。宝石の世界にはビジュト・ファミーユという言葉があって、祖母が娘に与えて、娘がまたその子に与えて、というふうに伝承という文化があるんです。日本では宝石の文化ってそういうふうにはなってないですけどね。海外ではそれが結構多いみたいです。先生の技術というのも本当はそういうものなのでしょうね。

 

木原氏:そう思います。医療は公的なものです。僕のことをテレビがゴッドハンドとかスーパードクターとか言いますけど、やっぱり1人の腕自慢で終わってしまうと、医療の価値として問題だと思います。それをどう継承していって、広めていって、世のため人のためにどれだけ役立つかというところが一番大事なので、僕の今後の人生はそこじゃないかなと思っているんです。もちろん現役でバリバリ手術もやっていきますよ。やっていくけれど、やっぱり一番大事なところは後継者をつくりながら、そういう人たちが活躍できるような病院を作っていくことじゃないか、と思いますね。

 

山本:先生とお会いさせていただいてたくさんお話ししている中で、まだまだたくさん患者さんがおられるので、その待ちを減らしていくことがお仕事の1つなんでしょうね。

 

木原氏:たとえば人口の問題があって、東京や神奈川、埼玉は患者さんが多いんです。するとやっぱり東京とかにも病院があれば良いと思いますし、海外の患者さんも増えてくると、メディカルツーリズムもやりながら、必要なら海外にもそういう拠点が要ると思います。色々考えますよ。いろんなところから患者さんに来ていただいて、こういうふうに話しをさせていただいて、そこら辺の医療事情を聴くと、なぜわざわざ僕の所に来たのかっていう事がよくわかります。今は仕方がないかもしれないですけど、将来的にはそういうところに後継者を育てて、地域に貢献するような、人と病院を育てていかなくちゃいけないですね。患者さんも良し!そのご家族も良し!そして我々も、関係している人たちも良し!の三方良しが私の理想なんです。

 

山本:先ほど聞いた話ですが、先生の実家ってお寺さんじゃないですか。真言宗であれば空海さんも医療に精通していましたよね。

 

木原氏:そうですね。医療とか薬とか食べ物とか、全てに精通していましたよね。

 

山本:先生にはそうした遺伝子が組み込まれているのではないですか。

 

木原氏:多分いつの時代も考えることは一緒だと思います。空海の時代とかはものすごく疫病が流行ったりだとか、そういう事で亡くなったりする人は多かったし、栄養事情も悪かったようです。空海もそういうことを考えて、唐に渡っていろんな勉強をしながら、何がこれからの日本に必要なのか、お茶とかもそういわれていますよね。必要なのかっていうのを考えながら学んで、必要なものを日本に取り入れてきたっていう、ああいうふうに誰かがそういう種を植えないと芽は出ませんから。そういったことを継承していかなくてはいけないですよ。だから一番大事なのは、僕が死んだ後です。死んだ後のことを考えて、今やっていかなくてはいけない。

 

山本:先生のようなことをできる人がたくさん増えて、延命して快適な生活を送れる人が増えたらいいですよね。

 

木原氏:それでやっぱり、力のある人が生涯現役でバリバリ仕事をやることで、社会貢献もできますし、医療費も減らせますよね。一石二鳥、三鳥、ってこのことだと思って。そういう人を増やしていかないと、これから超高齢化社会になりますから、社会が活性化していかないと思います。今までみたいに、もう決まった年代になったら定年になって引退して老人ホームに入って、ということをみんながやっていたらパンクしてしまいますし、その人の人生にとっても社会にとっても損失ですよ。今までみたいな高齢化社会じゃない時代の常識っていうのはもう通用しないと思います。

 

山本:スーパードクターズを僕も見させてもらいましたけれど、86歳のおじいさんが車椅子で入院し、手術の次の日から歩けているという。すごいと思います。

 

木原氏:1ヶ月後には耕運機で畑作業もやっていましたね。逆に言うと、ああいう人も治療しなければ、あのまま車椅子か寝たきりになって、数ヶ月の間に介護生活になっているかもしれないんです。86歳から何歳まで生きるかわからないですけど、もし96歳まで生きれば10年、100歳まで生きれば15年は介護生活で、そのうちにだんだん認知症になり、周りの人が介護ですごく疲れてしまう。大変な思いをしたりするわけじゃないですか。そういう事を減らすことで社会全体が活性化して、パワーが落ちないようにしたいんです。結局ああいうふうな感じになると、介護する人の方にパワーを吸い取られてしまって、社会の活力が失われていくと思うんです。介護疲れって言いますけど、それが個人的な問題だけじゃなくて、社会としてそうなってしまいかねません。

 

山本:いま日本は世界一ですよね。健康寿命じゃなくて元気な年齢でない期間が・・・

 

木原氏:そうなんです。寿命は世界トップクラスですが、皮肉なことに健康寿命が短いので、介護とか寝たきりの期間も世界でトップクラスなんです。そういう褒められない、笑えない現実があります。健康寿命と寿命をなるべく同じにするように、これからは生涯現役を目指すというのが一つの目標です。先ほどお話ししたみたいに、亡くなった時には1年先、2年先、3年先までスケジュールが詰まっていた、というのが理想的だと思います。

 

山本:僕も耕運機でお仕事していたおじいさんが印象的でした。何もしてなかったら無理だったでしょうから。

 

木原氏:そうですね、だからあの方もまさか自分が車椅子に乗っていた時には、こういうふうに畑仕事ができるようになるとは思わなかったって仰っていたじゃないですか。弱ってきて車椅子に乗って、これはもう年だからしょうがない、あきらめるしかないよ、といろんな病院で言われたらあきらめちゃいますよね。そしたらそこでもう終わりじゃないですか。だからそういう人の人生を、もう一回取り戻させてあげたい。そういうふうな思いが強いですし、ああいう人が社会で増えてくるとみんなが年をとっても生涯現役で頑張れるんだ、という意欲とか希望とかそういうものが生まれてくるじゃないですか。そんな社会にしていかなくちゃいけないですよね。

 

山本:本当ですね。言っておられた三方良し、みんなが元気になるっていうのはそういうことなのでしょうね。

 

木原氏:治療を受けないままだと介護を受けて10年とか15年過ごした期間が、死ぬまで現役でバリバリ働くように変われば介護に使うエネルギーとかお金も社会に還元されますよね。それに携わってパワーを奪われていた人も他の所にパワーを回せるので、やっぱり世の中がもっとパワーアップできるはずです。

 

山本:健康社会というのはどういうところに気を付けたらいいのでしょうか。

 

木原氏:やっぱり一番は予防ですね。今まではどちらかというと検診で悪いところが見つかって、それから治療するというイメージがありました。これからは治療をする前、未病の時から予防していって、治療をせずに済むように、そして治療をしなくてはいけなくなっても、大掛かりなことにならず社会復帰できるような、そんな形に持っていくべきです。

 

山本:皆さんにそういうふうに考え方が浸透していったらいいですけど、医療はどうしてもネガティブから始まっていますよね。

 

木原氏:そうなんですよ。だからどうしても、医療は進歩しているのに、あるいは、外科医とか病院によって同じような治療を全く異なるようにやっているのに、そういうのを知らずに一般的なイメージで考えてしまう人が多いです。結局、怖いからとか、失敗したら大変だからとか、周りからもやめておけと言われるからだとか、色々な情報が入ってきて、二の足を踏んで病院を敬遠してしまっている人も多いと思います。それは患者さんにも問題があるかもしれないけれど、僕たち医療サイドにも問題があって、僕たち外科医や医療サイドも、「今はこんな時代ですよ。」「高齢者でも安全で負担の少ない治療ができますよ。」ということを一般の人にもっと知ってもらう努力が必要になっています。

 

山本:その通りですね。予防ですか、いい話ですね。

 

木原氏:つまり、悪くなったから病院で診てもらうっていうイメージがあるじゃないですか。そうじゃなくて、ある程度の年齢になったら、たいしたことはないかもしれないけど、ちょっと気になるから診てもらおう、と思うことが大事だと思います。すると、治療するほどじゃないですけど、こういうことを気にするとひどくならないで済みますよ、と助言することができますよね。そんなレベルの時に診てもらう習慣がつけば、手術とか治療をしなくて済む人が増えるはずです。手術が怖い、治療が怖いから悪くなっても病院に行くのを躊躇したり、敬遠している人が多いじゃないですか。それが結局手遅れになり、大きな後遺症を残して、もうちょっと早く診てもらっていればこういうふうにならなかったのに、という形になっている。患者さんももちろん意識を変えてもらわなくてはいけないですけど、僕たち医療サイドも、そういうふうな誤解とか恐怖を払しょくするような情報を提供していく必要があります。知ってもらうことで、それだったら受けてみようという人はいっぱいいると思います。

 

山本:最後に、先生のお墓に関する想いをお聞かせください。

 

木原氏:最初にも言いましたが、元々お墓参りは欠かさなかったのですが、今は郷里から離れてしまい、近くにお墓があればいつでも行きたいです。やはりご先祖様あっての今の自分ですから。感謝の気持ちが自ずとお墓参りという形になりますね。お墓とは折に触れ行きたくなるかけがえがないものではないでしょうか。『人は二度死を迎える』という言葉があります。一度目はいわゆる肉体的な死です。二度目は人々の記憶から消え去ったときです。亡くなった方が人々の記憶の中で生き続け、生きている人が亡くなった方と会うためにもお墓は大切なものだと思います。

 

山本:ありがとうございました。