著名人との対談

VOL.6

今村九十九氏 × 山本一郎

お墓参りも同じく、亡き人のために足を運んで偲んでいただく大事なことだと思います。

今村九十九氏 × 山本一郎

対談場所:今村九十九工房

DIGEST

伝統や文化、習慣や慣習、あるいは四季の移ろいなど、日本人は古( いにしえ) より多くの先人たちに学び、
現代に力強く生きています。しかしともすれば古い慣習に縛られたり、伝統や文化の風趣に浸る心のゆとりを失ったりしがちなのも事実です。
弊社、山本は常日頃より宗教人や会社経営者、評論家、文化人、タレントなど幅広い人脈を持ち交流を深めています。またこれらの人々との対話を
「いにしえの対談」として企画し、定期的に行っております。

対談相手のご紹介

今村九十九氏 × 山本一郎

仏師

今村九十九

tsukumo imamura

1951年・三重県伊勢市に生まれる
1961年・10才の頃から彫刻を始める
1966年・昭和の大佛師・松久朋琳に内弟子として入門
1976年・独立
全国、海外の寺院、在家の仏像・仏画を多数製作。
2005年に蓮華院誕生寺(熊本県)十三観音像をダライ・ラマ14世に開眼、入魂。
2009年に同寺広目天像製作に横綱白鵬に心象モデルを努めてもらう。

対談の様子

山本:

先生が仏師を始められたきっかけは何だったのでしょうか。

 

今村さん:

彫刻は子供の頃から好きで、10歳の時には彫刻でいろいろと作っていました。
そんな時、たまたま私の師匠、昭和の大仏師と言われた、松久朋琳先生にお会いする機会がありまして、
その時に「仏師になってみるか?」と言われたのですが、今、その時の事を思えば、10歳の子供が器用に彫刻をしている姿を見て、
冗談で言ってくれたのでしょう。それからしばらくは何もなく、中学を卒業する前に私は進路について考えたのですが、普通に高校に行き、
就職をしようかなと思いながらも、10歳の時に声を掛けられた師匠のことを思い出し、仏師の世界のことも気になりまして、
松久師匠に訪ねてみたのです。そしたら、「入門をするなら中学を卒業したらすぐにきなさい。」と言われ、そうでなければ入門は許しません。」
ということでした。私はいろいろと考えたのですが、15歳の時に仏師になる道を決断しまして入門することになりました。
しかし、その時は「仏師」という意味合いは解ってなく、「彫刻」ということが入口だったと思います。そうしてだんだんと
「仏像とは何か」、「その意味とは何か」ということを後に学んでいくことになったのです。

 

 

山本:

入門されてからの修行は辛かったのでしょうか。

 

今村さん:

新参者のお弟子さんには休みもなく、何時に終わるという決められたものもなく、
そして、師匠の身の周りのお世話、炊事、洗濯等をするわけなのですが、15歳の私には、食事を作ることも出来ずにその時はとても苦しかったです。
しかし、今となってみますと、単なる仏像を彫る、作るだけの訓練ではなく、仏師としての心の修行、
人間としての人づくりとしての修行もしていかなければなりませんので、その両方が必要だったんだということがよく理解出来ます。

 

山本:

お辛い修行を乗り越えることができた原動力みたいなものは何かあったのでしょうか。

 

今村さん:

弟子の頃、仕事が終わる時間はだいたい10時頃でした。それからが自分の時間となるのですが、
自分の作品を作ったり、研究する時間に充てますので、就寝時間は毎日、2時3時となりまして、朝は7時前には起きなくてはいけませんでしたので、
毎日毎日が寝不足で、じっとしていると居眠ってしまいそうでした。ただ、その頃は若かったので無理も出来たことと、彫刻をすることが好きだったので、
毎日が苦しいけれど、やりたいことだったので、苦しいことは仕方がないと割り切って考えていました。

 

山本:

今村先生はどのようにして技術を習得されていかれたのでしょうか。

 

今村さん:

昔の時代の事でしたので、師匠より手取り足とり教えていただくことはありませんでしたので、
師匠には年に1、2回教えていただくだけでもありがたかったのです。ですから、師匠の見よう見真似で、技術を盗み、自分で考えていくという感じでやってきました。

 

山本:

今の時代では考えられないことですよね。

 

今村さん:

今の学校とかは教えるんですよね。教わるから身に付かないのですよ。私の修行時代は師匠からは教えてくれなかったので、
自分で考え、勉強をしたので身についていったのですが、今の学校では自ら考え、勉強しなくてもいいので、教わった知識も定着しないのでしょう。

 

山本:

先生のところでは仏像を作りたいという若者は増えてきておられますか。

 

今村さん:

ここ6,7年の間に12人の者が弟子にして欲しいと訪ねてきましたけど、早い者は3カ月程度で辞めていきました。
でも、それは(仏像を彫る事を)形や頭で考えているのでしょう。「こうなったらいいな」、「こんなのが作れたらいいな」という考えだけなのです。
技術を習得するのに、苦しい修行があったり、時間がものすごく掛ったりするのが当たり前だという考えが、今の若者には無いのでしょう。
仏像を作るにはまず10年間修行することが基本ですが、10年修行したからと言っていい訳ではなく、
スタートに立つことができるというのが10年でありまして、10年で基礎的なものが習得できるのです。
私の場合は10年で独立したのですが、仏師というものがどういうものなのかが解るのにさらに10年掛りました。
そして自分なりの形になるものを作ることができるようになるまでに、30年という時間が必要でした。

 

山本:

仏像を作ることで一番難しいところは何でしょうか。

 

今村さん:

難しいところとは、仏像の細かい細工とかではなくて、仏様の表情を作ることが難しいですね。
表情にすべて仏様の心と働きをださなくてはならなくて、表情を出すという事は仏師でも、ある程度の一線を越えないとその表情を出す事ができないのです。
それには技術だけではダメなのです。表情にもたくさん表現するところがありまして、体つき、手のしぐさなどがありますが、
やはり一番は顔の相(そう)にすべてを出していくというところが一番難しいところです。だからその表情がでなければ失敗なのです。

 

山本:

その難しい作業に、先生はどのような想いでお仕事に取り組まれているのでしょうか。

 

今村さん:

仏像を作るために、仏師は精魂込めて作りますので、自然と仏像に魂が入っていく訳です。そして、
出来あがった仏像にお坊さんが開眼法要をし、魂を入れていただき、その仏像に信者のみなさんが長い間、一生懸命に拝んでいただくという三者の関係があって
、仏像に魂が入っていくのではないかと私はこの仕事をしていて思うのです。この間、新しい仏像の開眼法要があり、
その席で信者の皆さんに「拝んでいくうちに仏像は仏様になるのですよ」というお話しをさせていただきました。

 

山本:

仏像もお墓も手を合わして拝まないと、ただの木や石になってしまいますからね。

 

今村さん:

そうです。家でも人が住んでいない家だと長持ちしないですよね。人が持っているエネルギー的なものが科学的には解明されてはいませんが、
私は目に見えないものがあるのではないかと思うのです。

 

山本:

外国の方が京都のお寺に行き、仏像を見ると「生きているみたいで怖い」という感想を言われるそうです。
今は日本人より外国人の方が感受性が高いのでしょうか。

 

今村さん:

外国の方には仏様という先入観がありませんから、仏像をご覧になられ、
素直にそう思われるのでしょう。東洋人は精神的な面で仏像を見ますが、西洋の方々には人間に置き換えて見られるのでしょう。
ところで、お釈迦様が亡くなられ500年間は仏像というものは作られることはなかったのですが、西洋と行き来が盛んに行われたガンダーラ地方
(今でいう所のパキスタン)で、仏像は初めて誕生したのです。それまでの東洋人はお釈迦様を仏像にするという行為が恐れ多く、
そのような発想自体がなかったのですが、西洋人の神様や神話を形にする文化の影響を強く受けたガンダーラ地方で
その地方の方がお釈迦様の像を作ったと言われています

 

 

山本:

先生がお生れになられた地の伊勢で、お伊勢さんがパワースポットというブームとなっており、
若い人もたくさん参られているそうです。最近の方々の宗教離れが進んでいく中で、このような現象は、
神社に行くひとつのきっかけとしては大変良い事かと私は思うのですが、先生はこの現象についてどのようにお感じになられていますか。

 

今村さん:

京都大学の鎌田先生から教えていただいた言葉があるのですが、
「神はあるもの、仏は成るもの。」という言葉に、私は簡潔に表わされていると思うことがあったのです。
神さまは絶対的な存在として祀られ、仏様の場合は努力して修行して成るものということなのですが、今の時代、
宗教的な教育なり下地なりがありませんから、神様も仏様もゴチャゴチャになってしまっています。
お伊勢さんには意味が解らずに拝まれたりしているかも知れませんが、ただ、その地に足を運び、
祈りなり願う事なりは人としてとても大切なことだと思います。

 

山本:

「神はあるもの、仏は成るもの。」大変重い言葉ですね。

 

今村さん:

私は、お墓参りも同じく、亡き人のために足を運んで偲んでいただく大事なことだと思います。
私の家族は月参り、お盆、お彼岸とお参りに行っていまして、私はその事が当然の事とだと思っていました。
小さい時の記憶としてお墓参りにことが強く残っています。こういうお墓の業界に山本さんは努力しておられると思います。

 

山本:

ありがとうございます。お墓をいくら建てていただいてもお参りに来られなくてはただの石なんですよね。
もっとお参りの事など啓発していかなければならないと思っています。

 

今村さん:

ぜひ頑張っていただきたいですね。そのためには、もっと小さいお子さんがお参りに来られないとダメですよね。
小さい時の思い出とか印象とかはとても大切なものになるのです。お子さんは純粋にお参りに来ますから
、その時の事を大人になっても大切に思うことが出来るのです。

 

山本:

私どもの霊園(ハピネスパーク牧野)には、すべり台や砂場を用意しています。霊園で楽しく遊んでもらい、
お墓参りが楽しい事だと子供達には思って欲しいのです。

 

今村さん:

それは良い事ですね。霊園で半日ぐらい遊べたらいいですね。

 

山本:

最後に、仏教や宗教の仕事に関して、私は仏事業界がとても危機に直面しているのではないかと思っています。
「仏壇を買わない、墓を建てない、お葬式もしない。」このような風潮は良くない事だと思っています。お骨が魂ではなく、
物として取り扱われたりしている事がとても寂しくも思いますが、このような風潮に今村先生のお考えをお伺いしてもよろしいでしょうか。

 

今村さん:

形だけで供養をやってきて、精神的なものが無いのがこのような風潮になったのではないのでしょうか。
精神とは、信仰とは何かということを今一度、考え直すことが大切ではないのでしょうか。その置き忘れた精神をもう一度、掘り起こしたりすることが、
仏事業界にとって、大切な仕事ではないのでしょうか。

 

山本:

貴重なお言葉、ありがとうございます。本日はお忙しいところ、誠にありがとうございました。