著名人との対談

VOL.4

杉山芙沙子さん × 山本一郎

父やご先祖の方とお話しをして手をあわせていると「自分と向き合える」という感じがするのです。

杉山芙沙子さん × 山本一郎

対談場所:five and five

DIGEST

伝統や文化、習慣や慣習、あるいは四季の移ろいなど、日本人は古( いにしえ) より多くの先人たちに学び、現代に力強く生きています。
しかしともすれば古い慣習に縛られたり、伝統や文化の風趣に浸る心のゆとりを失ったりしがちなのも事実です。
弊社、山本は常日頃より宗教人や会社経営者、評論家、文化人、タレントなど幅広い人脈を持ち交流を深めています。
またこれらの人々との対話を「いにしえの対談」として企画し、定期的に行っております。

対談相手のご紹介

杉山芙沙子さん × 山本一郎

パーム・インターナショナル・スポーツ・クラブ 代表

杉山芙沙子

fusako sugiyama

1949年(昭和24年)生まれ。
聖心女子大学卒。
娘・杉山愛のコーチ、チームディレクターとして世界ツアーを共に転戦。
自身が代表を務めるパーム・インターナショナル・スポーツ・クラブで、現在も多くのジュニア選手を育成している。
著書は「一流選手の親はどこが違うのか」「杉山式 スポーツ子育て」等

対談の様子

山本:

私はお墓参りというのは子供達にとって「身近な教育」ではないかと思っていまして、以前、
あるタレントの方が少年院に講演に行ったときに、ほとんどの家には仏壇が無く、またその子供達のほとんどがお墓参りにも行ったことがないということを
聞いて帰ったそうです。その講演に行ったタレントさんは「教育の原点はお墓参りや供養ではないだろうか。」ということをおっしゃっていたことに共感したのですが、
杉山さんにおかれましては、テニススクールで子供達との関わりの中、何かお感じになられたことはないでしょうか。

 

杉山さん:

私の父の実家は山口県で、そこのお寺さんに父の家のお墓がありました。父が亡くなり、
次男ということもあってお墓が必要になったのですが、実家近くにお墓を作っても、遠方なので、お参りには行くことは難しいと思ったので、
お寺さんと相談して、私の自宅近くにお墓を建てました。

お墓ができた時は当たり前ですが頻繁にお参りに行っていました。私は最初、お墓参りって「何かしてあげよう」という思いでお参りをしていたのですが、
そのうちにお墓参りを終えて帰ってくると清々しい気持ちになっている自分に気づいたのです。寒い日も暑い日もきれいにお墓を掃除して、
父やご先祖の方とお話しをして手をあわせていると「自分と向き合える」という感じがするのです。
私のテニスアカデミーの中では、「日常の生活を見直す」ということに取り組んでいまして、内容は子供達に自分のチェック項目を作らせて、
自分で管理させるようにしています。特にこちらからはあれこれ言わないようにしていまして、その中には、
仏壇や神棚のお水を変えるということをやっている子供もいます。

 

 

山本:

アカデミーの子供達で、仏壇や神棚の水を変える子供って年齢的にはどれぐらいの子供ですか。

 

杉山さん:

いろいろです。小学生や中学生の子供達もいます。
朝ごはんのときに家族のお箸を揃えるのと同じ感覚で、家の中ではその子の役目なんでしょうね。
私たちのスクールではこのように子供達に考えてもらい、行動をしてもらうように促しています。

 

山本:

そういう活動をされているスクールって、大変珍しいと思いますし、すばらしいですね。杉山さんの本を読ませて頂き、
詳しくお伺いしたいのですが、宮里愛さんや石川遼君、錦織圭君のように世界で活躍している若い天才肌の方がおられますが、
天才肌の子供が生まれてくる背景とはどういうものなのでしょうか。

 

杉山さん:

それは親の幼児期における教育だと思います。親子間のコミュニケーションが出来ていたり、
子供が今、何をしているのかをお母さんもお父さんもわかっているご家庭は、子がどういう大人に育って欲しいかということを常に考えている親だと思うのです。
今は、こういうコミュニケーションが家庭の中で失われつつあるので、日常生活を見直し、自分と向き合うというのが大事ではないかと思うのです。

 

山本:

世界で活躍されている若い方達の共通点みたいなものは、本を書かれて思ったことはありませんか。

 

杉山さん:

彼らが育ってきたのは、幼児教育におけるお父さん、お母さんの躾だったり、
家庭教育がしっかりしていたからだと思うのです。例えば家族団欒で楽しくスポーツを始めたりしていまして、最初からテニスだけ、
ゴルフだけ、サッカーだけ、といったことを子供に押しつけたのではなかったのです。家族で何かを一緒に取り組む中から、
彼らは家族団欒というものをツールとして使い、自分たちの何かを見つけていったのではないのでしょうか。

 

山本:

では、そのツールさえ作ってしまえば、未知の天才が生まれる可能性もあるのですね。

 

杉山さん:

何にでも通じることだと思うのです。例えば子供が疲れていて、早く寝たいなぁなんて思っている時に、
これを放っておいてそのまま寝かせてしまうのは良くないことで、ちょっと我慢させて30分ほど机に向かうことをさせれば、
明日、学校で泣かなくても済む訳です。これを自分で判断させて決めさせないといけないので、こういうのは普段からやっておかないと、
大事な時に判断できなくなってしまうのではないかと思うのです。 だから普段の生活の中から、お父さん、お母さんは自然に指導をしていくことにより、
コミュニケーションが変りますので、お互いに良い相乗効果が生まれると思うのです。
最近の子供はいろんな情報を扱うことが多く、忙しい日々を過ごしているので、自分自身や親との向き合う時間がとれなかったりします
また、テレビゲームで自分の世界に閉じこもってしまい、自分自身と向き合えなくなってしまう子もいますので、自分自身と向き合う時間を持ち、
それにプラスして家族と向き合う時間を持つことの積み重ねが人間力を上げていく方法ではないかと思います。

 

山本:

子供には、強制的にさせることはできないのでしょうね。

 

杉山さん:

そうです。自発的にさせなくてはダメです。どうしてかと言うと、その子供は親の言う事に納得していないから従わないのであって、
自発的に取り組ませるためには、子供に納得してもらうまで親子、あるいは友達と話し合うことが大切です。しかし、
今の子供はコミュニケーションの取り方が上手くないので、自分の気持ちが通じなくなると逆ギレしたりして激しい行動になってしまいます。
もちろん、親の方もコミュニケーションが上手くないと、「これしなさい」と強制してしまいますので、
「どうしてしたくないのか?」と子供と深く話し合いをする必要があると思います。

 

山本:

私たちの業界では、お寺さんが宗教離れで悩んでいることを相談されることが増えてきているのですが、そんな中で、
東京でも大阪でも葬儀後の法要を四十九日までしないところが増えているのですが、このことにお寺さんは「怒っている」だけなんです。
宗教っていうものは主体的するものであって、決して押しつけるものではありませんよね。しかし、私は思うのですが、先ほどの話の中で、
杉山さんがおっしゃられたように、お寺さんは信者さんに仏事のことや法要の意味を教えていないと思うのです。

 

 

杉山さん:

四十九日までやる意味とか、亡くなった方にどのような事をしなくてはならないのか、
そういう事を上手くお話ししてもらえれば、「あ、なるほどね」ということになると思いますよね。
スポーツスターもそうなんですけど、時々、親のプレッシャーにつぶれてしまう子供がいるのですが、
子供は勉強してどんどん成長していくのに、親が勉強をしていなくて、子供を上手く扱えなかったり、
まわりのプレイも見えていない。親が勉強していれば、子供がどれぐらいのレベルなのかが分かるので、
子供にプレッシャーもかからないと思うのです。だから、お寺さんの方も、現代の人や、信者さんは、どれぐらいのレベルなのか、
勉強しておかなければならないと思うのです。そうすれば信者さんも納得されるかと思います。もちろん、
信者さんにも勉強してもらわなければいけませんよね。
檀家さんと住職さんとのコミュニケーションが上手くいっているところは、檀家さん側が強制的ではなく、
当番制でお寺をきれいにお掃除しています。そういうお寺はお寺さんの方がお掃除をしなくても良い訳です。

 

山本:

お寺さんが掃除してなくて、檀家さんに掃除させるお寺が多いですね。

 

杉山さん:

そういうのは空気がよどみますね。それはダメですね。

 

 

山本:

話題は変わりますが、杉山さんは、お墓は必要だと思いますか。

 

杉山さん:

私自身のお墓については、まだ考えたことはありません。私は昔ながらの「○○家之墓」というものには、
正直抵抗があります。父が生前、亡くなる直前に言った私たちに「感謝」という言葉をよく言っていました。そういうこともあって、
父が亡くなって作ったお墓には「感謝」という文字を入れました。そいう訳で、父のお墓を見ると、父が「そこに居る」ような気がしています。

 

山本:

最近、「感謝」とか「ありがとう」という文字を彫刻する方が増えてきています。
この背景には「家」から「家族」に代わってしまったからだと思います。お墓参りのスタイルも昔と違って変わってきていますからね。

 

杉山さん:

親しい方が亡くなったら、その方と一緒にお墓に入ろうと決めた方どうしが集まって、パーティーみたいな感じで、
故人を偲ぶというスタイルもあるみたいですね。コミュニケーションの場にもなりますし、こういうのは、私はいいと思いますね。

 

山本:

東京の方では、そのような形式があるようです

 

杉山さん:

お葬式のスタイルも変わってきていますよね。

 

山本:

私は、お葬式とは、最後の同窓会みたいなものではないかと思うのです。

 

杉山さん:

そうですね。お葬式で、しばらく会っていなかった方とお会いすることがあり、「久しぶり」なんて会話をすることもありますね。
そんな時に、「仏さんがお呼びしてもらったのかしら」なんて思いますよね。そういう意味ではお葬式だけではなく、七回忌とか十三回忌という法要行事は、
コミュニケーションの場として、今の忙しい現代人にマッチしているような気がします。

 

山本:

おっしゃられるように、コミュニケーションは、とても大切ですよね。

今日の対談でいろんなことがわかりましたが、その中で子育ての原点みたいなものを教えて頂けたのではないかと思います。
これは子育てだけではなくて、会社でも同じではないのでしょうか。私の会社では掃除を徹底するように指導していまして、ただ落葉を掃くだけ、
掃除機をかけるだけではなく、見えないところにも気を配って掃除をするように心がけをさせております。そういう中で私は思ったのですが、
きれいにしていれば、あまり物を買わなくても済むのではないかと思いました。

 

杉山さん:

その通りだと思います。掃除ひとつにしてもそうですが、どんなことにでも通用すると思います。
スポーツでもお仕事の世界でもそうですが、自分を律することができれば、自分自身を上手くコントロールできるかと思います。
そういう意味ではトップアスリートと呼ばれる方々は低姿勢です。トップになればなるほど、首を垂れる、きっちりしている人です。
こういうアスリートの方は、例え、アスリートの部分を取ったとしても、すばらしい人間性を有している人なので、
こういう人が石川遼であったり錦織圭だと思うのです。しかし、彼らのあのオーラとも言うのでしょうか、石川遼や錦織圭レベルのアスリートはごまんといますが、
真のアスリートと言える人は、例え、フィールドを離れても、きちんとしています。あの石川遼君はテレビなどで、きちんとした対応をされていますけど、
あれは決して周りから言わされている訳でもなく、自分の中から自然と出てきているものです。こういうところが他のアスリートとは違うのです。
「アスリートをとったらただの人」これでは真のアスリートとは言えないでしょう。

 

山本:

最後に私たちの業界に一言ありませんか。

 

杉山さん:

今までのお話しに尽きると思いますが、現代は何かと忙しくなってきていますので、
自分と向き合える場所、時間、空間を持つことが大事だと思います。

 

山本:

貴重なお時間を頂戴しまして、ありがとうございました。