著名人との対談

VOL.2

長澤香静先生 × 山本一郎

「人間における信仰心というものは、その弱さが強さだと思います。」

長澤香静先生 × 山本一郎

対談場所:ハピネスパーク 交野霊園

DIGEST

伝統や文化、習慣や慣習、あるいは四季の移ろいなど、日本人は古(いにしえ) より多くの先人たちに学び、現代に力強く生きています。
しかしともすれば古い慣習に縛られたり、伝統や文化の風趣に浸る心のゆとりを失ったりしがちなのも事実です。
弊社、山本は常日頃より宗教人や会社経営者、評論家、文化人、タレントなど幅広い人脈を持ち交流を深めています。
またこれらの人々との対話を「いにしえの対談」として企画し、定期的に行っております。
本誌に掲載の長澤香静師との「いにしえの対談」は、その一事例です。長澤先生は京都仏教会の事務局長でもおられます。
山本との対談では宗教人としての立場から忌憚のない意見を述べていただきました。

対談相手のご紹介

長澤香静先生 × 山本一郎

全日本仏教協会

長澤香静

koujou nagasawa

京都仏教会 事務局長
全日本仏教会 理事

対談の様子

山本:

いつも先生には大変お世話になっております。2年前に長澤先生の紹介で、東寺さんの拝観も皆さんご参加させていただきました。

 

長澤先生:

2年前?

 

山本:

そうです2年前です。
それでは、いろいろと先生にお伺いしたいと思います。お葬式のことなんかでご意見などありませんか?・・・

 

長澤先生:

日本は仏教がほとんど。葬儀も含めて9割以上が仏教ですよね。そのいわゆる宗教心、信仰するということはどういう事か、わかりやすくいえば、よ~いドン、の基本がなければ、あらゆるお墓も墓地もここの伽藍も成り立たない訳で、ようするにこういうことだと思うのですね。
禅宗で、相国寺も禅宗だけど、禅の言葉で「月落ちて天を離れず」という言葉があります。月が落ちて天を離れない。つまり見えている時だけが月なのではなく、見えなくなっても月は確かにそこにあるんだという、こういう禅語があるのですね

「月落ちて天を離れず」つまり、見えなくなっても、月は雲にかかったり、あるいは場所を移動しているだけで、必ずそこにあるのだよ、と。

この禅語を通じて、亡くなった人のことに置き換え、親兄弟のことに置き換えても解り易いですよね。つまり、見えている時だけがいる時じゃない。

見えなくなっても肉体は無くなっても、必ずそこにいるのだよ。と、こういう事になるのですね。見えない物にも尊敬の念を抱くというのが、全ての信仰の出発点だと私は思います。

葬儀についても家族葬だとか、自然葬だとか散骨だとか、あるいは逆にペンダントにしてこの中に入れておくとか、宇宙葬だとか色々いわれる時代になってきていますけど、都市型も変容してロッカー式な祭壇というものもビル形式の中にいっぱい埋め込まれて、都会ではずいぶん重宝がられていると聞きますが、本当に大事なのは、土に還るということですよ。色々考えますと、まず、ものを基本において、
今の変化しつつある葬儀事情とか墓事情というものをみていかないといけない、そういう風に思います。

 

 

山本:

今先生がお話いただいた中でもたくさんあったと思うのですけど、お墓の意味を先生はどういう風にお考えですか?

 

長澤先生:

人間忘れないでおこうとしても、やっぱり対象となる物がないと難しいですね。
人間とは弱い生き物なので、手を合わす対象というものがある方がいいのです。花をたむけるにも、灯り1つ捧げるにも、お線香一つ捧げるにも、やっぱり対象であるところに、お休みになっているというのが、残された者が安心安然を得るという上でも、きちっと対象である墓があるという事が大事だと思います。私は、人間における信仰心というものは、その弱さこそが強さだと思います。
私が最初に喋った「月落ちて天を離れず」の言葉を、一人にでも多くの人に知らしていただけるとありがたいと、逆に思いますね。

 

山本:

最近、代理でお墓の掃除をしてくれる業者がありますが、先生はどのように思いますか。

 

長澤先生:

遠くても、汗をかきながら本人が足を運ぶということが大事なのです。、インターネット経由で、画面にお墓の様子が出てきて、これだけ綺麗にしています。花も供えてあります。そんな事ではないわけです。
自分に代理がきかない事と一緒で、何にも代理はきかないのです。大きな御世話なのです。それよりも大変でも足を運ぶ。もし霊園とか、皆さんでやることがあるとしたら、体が弱ってきていますから、少しでも段差の無い、むしろ車椅子でも行けるような、そういう場所がある方が良いですね。
こういうことが大事ではないかと思います。

 

山本:

お墓の墓参り代行とかもやめさせていかなくてはならないですね。

 

長澤先生:

代行、私はアウトですね。それともうひとつ、葬儀で、ご香典というものがありますね。
最近ではご香典を断わる風潮がありますが、ご辞退申し上げますご香典。最近、お寺もそういうのが多いですよ。
これも実は間違いだと思っています。これは葬儀屋さんの費用が少なくなるからとか、そういうことは何にもなくて、
亡くなった方に対して葬儀に参列される方が、昔お世話になったのだと、という心持でお香を手向けに行く訳です。
そのお香が、お香料のお金の変わりになったりしていることだけだったりして、参列する方と亡くなった方との関係なのです。
別に遺族がどうこういう関係ではないのです。私達が手を合わすのは、亡くなった方達なのです。

ところが残った遺族が、亡くなった方に代わって、香典は辞めてくれと、ご辞退してくれと、生前言ってこられたのなら別ですよ。そうでない限り、故人の意思に反して、残った人達が、自らの都合で辞退をするという事はおかしいのではないかと思います。

それと、四十九日まで勤めるはずなのに、関西だけではないかなと思いますけど、三十五日で切り上げるけど、3ヶ月にまたがるのは駄目だということをご存知ですか。これも大間違い。七日、七日に仏さんがちゃんと決まっていてね、それできちっと故人を導いていくのに、三十五日で切り上げていくのは、一体誰が何の目的で言い出したのか、全然解らない。
あきらかにきちっと四十九日をお勤めされるべきですね。

 

山本:

犯人はギフト屋と仏壇屋なのです。四十九日まで(ギフトの香典返し、仏壇の購入は四十九日までだから)営業するのか?

三十五日で切り上げさせれば、次のお客さんに営業活動できますからね。

 

垣内社長:

日本人って、古代の道教の影響とかで、様々な事が残っているでしょう。
大安吉日、友引も、これ根強い。一度入ると根強い。それと同じように三十五日であがることも、
本当に誠しなやかに辞めたがる。なんぞ悪いことが起こるのではないかと、これは間違っている。
同じように大安吉日ということも一緒ですよね。まあその辺は根も葉もないことですね。

 

山本:

まだまだお聞きしたいことがたくさんあるのですが、そろそろお時間となりました。本日は大変貴重なお話を誠にありがとうございました。