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よくあるご質問

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浄土真宗になぜ御朱印がないのか?

仏教の中でも独自の立場から見る、御朱印との距離感

そもそも「御朱印」とはどういうもの?

御朱印とは、寺院や神社を参拝した証として授かる、墨書と朱印を組み合わせたものです。多くの場合、寺社の名前や御本尊(ご神体)の名称、参拝日などが書かれます。

もともとは写経を納めた際にいただくもので、「信仰の証」や「修行の記録」として位置付けられていました。近年は「御朱印巡り」が観光や趣味の一環として人気を集めており、スタンプラリーのように各地を巡る人も少なくありません。

 

なぜ浄土真宗の寺院では御朱印を授けていないの?

理由は、浄土真宗の根本教義である「他力本願(たりきほんがん)」にあります。

浄土真宗では、私たちが阿弥陀如来の「本願の力」によって救われるという教えが中心にあります。つまり、自分の修行や善行によって浄土に生まれる(成仏する)のではなく、阿弥陀仏のはたらきにすべてをお任せするという考え方です。

そのため、

「御朱印をもらうこと=善行(功徳)を積むこと」

「記録を残すことで救いに近づく」という考え方

は、教義の根幹にそぐわないものとされます。浄土真宗では、修行や記録によって信仰の価値が増すとは考えないため、御朱印文化は根付いていないのです。

親鸞聖人は「南無阿弥陀仏と称える口こそが、如来よりたまわる信の証」と説いています。つまり、浄土真宗における「証し」とは、御朱印のような物理的な証ではなく、称名念仏そのものが阿弥陀如来のはたらきによる信心の現れだとしています。

御朱印の歴史と、浄土真宗との違いはどこにあるの?

御朱印はもともと中世の時代、写経を納めた証明として始まったものです。特に天台宗や真言宗など、修行や功徳を積むことを重視する宗派では、写経や参拝といった「行」に意味があり、その記録として御朱印が機能しました。

一方、浄土真宗は鎌倉時代に親鸞聖人によって開かれた宗派で、「善行によって救われるのではなく、阿弥陀仏の誓願によってすでに救われている」という考えを打ち出しました。この思想は、当時の仏教界において革新的であり、結果として他宗とは異なる在り方をとることになったのです。

すべての浄土真宗の寺院で御朱印がないのですか?

基本的には、浄土真宗本願寺派(西本願寺)や真宗大谷派(東本願寺)をはじめとする主要宗派では、公式に御朱印を授けていません。

しかし一方で、観光地にある寺院地域住民との関係づくりや観光資源の一環として活動している寺などの中には、御朱印風の記念印や参拝証を独自に出すところも存在します。これらはあくまでも「宗教的意義をもった御朱印」ではなく、訪問記念としての意味合いが強く、宗派本来の教義とは切り離された行為として扱われています。

 

では、浄土真宗の信仰はどうやって深めるの?

浄土真宗では、修行や祈願よりも「聞法(もんぽう)」=仏法を聴くことを通して信仰を深めていきます。

阿弥陀如来の本願に気づき、「自分の力ではどうにもならない私」であることを知ることが、浄土真宗における大切な信仰のあり方です。

そのため、御朱印という「形」よりも、仏法の「内容」に触れることが重視されるのです。

浄土真宗では「だれでも、どんな人でも等しく救われる」という徹底した平等思想があります。

形よりも心、記録よりも実感に重点を置いているため、御朱印のような「物」を用いないだけであり、その姿勢は一種の徹底した慈悲の表れでもあるのです。

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