VOL.16
上根学 氏 × 山本一郎
宝石もお墓と一緒で大切なもの。親から子、子から孫へと引き継がれるのです。
DIGEST
墓石も我々と同じ、継承していくものです。形は違いますが、原石から製品となり大切にしてもらう物です。宝石離れ、墓石離れ、など耳にしますが、日本に昔からある文化を、墓石業界の皆さんには、広めていってほしいと思います。
対談相手のご紹介
株式会社 カミネ商事 代表取締役
上根学
manabu kamine
大阪市立大学大学院修士課程在学中。大学時代からファッションモデルとして活躍後、外資系アパレル業界で働き、創業明治39年、109年続く㈱カミネ商事の4代目であり、代表取締役である。芦屋、神戸市内にジュエリー小売店を7店舗展開している。日本で唯一、スリランカにジュエリー鉱山を所有し、㈱CITY OF GEMS JAPAN代表取締役も兼務する。親から子、子から孫へ世代を超えて受け継がれる宝石文化を日本に定着させるため、良質の宝石を求め、スリランカの鉱山の調査をしている。「世界ふしぎ発見」「ジャパンプレシャス」などメディアにも取り上げられている。
現在、「命の尊さ」をテーマにした手塚治虫氏の作品をジュエリーとしての作品を制作中。JBS宝石鑑定士、宝石学会会員、日本ジュエリー協会会員
対談の様子
山本:
今回の対談していただく、上根社長は、宝石の仕事を109年前から4代続いてきたカミネ商事の代表でいらっしゃるということですが、その歴史の中で色々なことがあったと思うのですが、その点についてお話を聞かせていただきたいと思います。
上根氏:
私が会社を継いでちょうど20年になりますので、それ以前に90年営業してきたということになります。当時のことは、祖父や父からいろいろな話を聞いています。戦争、水害、私自身も経験した阪神淡路大震災の3つが大きな出来事になります。当社は、時計や宝飾を扱っているので、修理をさせていただくためにしばらくお客様から商品をお預かりすることがあります。その間に、そのような災害などがあり、商品は無くなっても、お預かりしたものは、お客様のものなので、それについては何とかしなければいけないとよく聞いてきました。今もその精神は引き継いでいます。戦争では店舗が焼けてしまったと聞いています。もちろん、戦争で、お客様の大切にされていた物が無くなったものは全て弁償し、水害の際には、まずお客様からお預かりしたものを優先して避難させたということを聞いています。お客様からお預かりしたものに対しては、どんなことがあっても守り、どんなことがあっても一軒一軒訪問してでもお返しするということは、私が小さいときからそういうことを聞かされて育ちました。
山本:
私どもの石材業界でも100年以上続く会社が何社かあるのですが、同じように石を扱っていてもかなり違う業界の感じを受けています。宝石業界だと、店舗が綺麗で、女性が働きたい憧れのお店であるというイメージがあります。私も記憶にある、阪神淡路大震災のときのことをもう少し詳しく聞かせていただけたらと思います。
上根氏:
阪神淡路大震災の時は、お客様からお預かりした商品は、金庫に入れていたので、商品自体はなくなりませんでした。ただ、一店舗倒壊してしまい、仮設店舗で営業を行なうことになりました。余震の続く中で、倒壊した店舗から商品を運び出す時に、商品が一部無くなり、傷ついてしまい、商品として使えなくなったものもありました。店舗は倒壊しましたが、スタッフに事故がなかったことと、お客様にもあまりご迷惑がかからなかったことがありがたかったです。ただ、非常に残念だったことは、店舗でお預かりしたお客様の商品がそのままになってしまい、震災で亡くなられたお客様がいらっしゃったことです。
山本:
それは非常に残念な事でしたね。しかしお客様を大切にしている気持ちがひしひしと伝わってきます
墓石は代々継承するのですが、宝石にもそういうことがあるのでしょうか。
上根氏:
そうですね。日本では戦後からですが、お祖母さんが持ってらっしゃる宝石を娘さんへ、娘さんからお孫さんへ世代を超えて引き継がれていくことが増えてきています。今後続いていくと思います。ヨーロッパではもっと古い歴史があり、特に王室や貴族の間では、宝石が代々引き継がれています。宝石が一般庶民にまで浸透したのは、産業革命以降で機械化が進んでからになります。それからすると、宝石が一般に使われるようになったのは、ヨーロッパで200年、アメリカで100年、日本で60年程前からになります。
山本:
ビジュドファミーユという言葉をよく耳にするのですがどういう意味なのでしょうか。
上根氏:
フランス語で『ビジュド・ファミーユ』、家の宝物という意味になるのですが、特にフランスでは、宝石は受け継ぐもので、形を変えて引き継ぐものということがよく言われます。また、家のつながりは深いと思います。ヨーロッパ全体で、ビジュドファミーユという言葉をよく聞きます。
山本:
日本ではダイヤモンドがよく注目されますが、他の国では色石の文化が注目されていると言われていますがどうでしょうか。
上根氏:
実は、ダイヤモンドより色石の方が世界的に歴史は古くて、人気はありました。しかし、世界で最も硬い無色透明のダイヤモンドがカットできるようになってから、一気にダイヤモンドが増えてきました。色石の種類はたくさんありますので、もっと色石が増えると楽しみも増えてくると思います。ダイヤモンド以外でも50種類あるので、もっとそれを広めて行きたいと思います。
山本:
いま、原石をスリランカから取り寄せられているということですよね。
上根氏:
そうですね。スリランカという言葉は、「スリ」が「光り輝く」、「ランカ」が「島」という意味になります。昔はセイロンと言われていましたが、宝石の神様が舞い降りたと言われています。
山本:
スリランカで採れる色石は特別綺麗なものなのでしょうか。
上根氏:
そうですね。10年くらい前までは世界で最もたくさん採れていました。スリランカで採れる石はみずみずしく、透明感が高いので、世界で最も人気のある宝石と言われています。その中でも特にサファイアが有名です。
山本:
すごいですね。そのスリランカから日本に直接宝石の原石を輸入されていらっしゃると。
上根氏:
そうですね。当社は、鉱山での採掘からしています。流通経路を明確にするとういことで、採掘して、研磨して、カットして、輸入しています。スリランカでそこまでやっているのは当社だけです。
山本:
今後、手塚治虫プロダクションと提携してそれを宝石にしていくという話があるということですがいかがですか。
上根氏:
そうですね。宝石と一言で言っても指輪やネックレスに使える良質なものは3%くらいで、6割から7割は透明度が低く、宝飾品としては利用できないものです。ただし、硬度も耐久性もあるので、その眠っている宝石を使って、手塚治虫さんの作品とコラボレートしてジュエリー絵画をやっていきたいと考えています。
山本:
ある調査によると、1万社のうち50年続く会社は50社、100年ではたった7社と言われています。私も創業者ですが、100年企業として続けていくにはどういうことが必要なのでしょうか。
上根氏:
私が継ぐまでの90年間、3代にわたって一店舗でした。無理をせずあまり大きくしないということ、身の丈にあった経営が大切だと思います。その中で、能力があり思いが強い人がトップになると企業は大きくはなる傾向はあると思います。同じ宝飾業界でも100年を超えている企業が数社あるのですが、みんな2、3店舗のところが多いのが現実です。大概大きくなると短命になっているようです。
山本:
上根社長が多店舗経営をされ、中興の祖と言うことで、また200年企業に続く土台を作られていくということですね。
上根氏:
次の世代に経営を引き継ぐときには、無借金経営にして、適正規模を探りながら、身の丈にあった、決して無理をしない形で進めて欲しいと思います。また、財務やマーケティングなどの勉強をして、こつこつとやっていく形にして欲しいと考えています。会社を大きくするにしても着実に進めることを目的に、みんなで追求して欲しいと考えています。
山本:
墓石業界についてどうお考えでしょうか。
上根氏:
墓石も我々と同じ、継承していくものです。形は違いますが、原石から製品となり大切にしてもらう物です。宝石離れ、墓石離れ、など耳にしますが、日本に昔からある文化を、墓石業界の皆さんには、広めていってほしいと思います。
山本:
ありがとうございます。私達も同じ石を扱っているので、上根社長のような明るい石作りができるような100年企業を目指していきたいと思います。今日はどうもありがとうございました。