著名人との対談

VOL.12

宮城泰年 先生 × 山本一郎

お墓とは、生きている側の命の拠り所、生の証として、とても大切なものだと思います。

宮城泰年 先生 × 山本一郎

対談場所:聖護院門跡

DIGEST

お墓は必要だと思います。近年は核家族化がすすみ、個々に住居を構えるようになりました。
お墓があるということは、亡くなった後に家族が一緒に集える場所にもなりますし、亡くなった方やご先祖様に会いにお墓参りすることは、家族縁者が気持を一つにして故人を偲ぶ重要な場所にもなります。いわば永遠の家と言えるでしょう。

対談相手のご紹介

宮城泰年 先生 × 山本一郎

本山修験宗聖護院門跡第52世門主

宮城 泰年

tainen miyagi

本山修験宗聖護院門跡第52世門主。
1931年生まれ。龍谷大学文学部を卒業。
新聞記者を経て、25歳で聖護院に勤務し、執事長や宗務総長などを歴任。
2007年に門主に就任する。京都仏教会常務理事、日本宗教者平和協議会代表委員、 龍谷大学客員教授。共著書・監修書「修験道修行体系」、「役行者と修験道の世界」、「山伏入門」。著書に「動じない心」。

対談の様子

山本:

今日は宮城先生に修験道のことや、お墓に対することなどのお話しを聞かせていただければと思います。
まず、修験道について簡単なご説明を聞かせていただいてもよろしいでしょうか。

 

宮城門主:

基礎は日本古代からある山ノ神に対する民俗信仰、そこに仏教が入ってきて密教化した山岳信仰が修験道となったのですね。
それは千三百年前の役行者の時代にさかのぼりますが、940年前に聖護院が山岳信仰者を統括するようになって修験宗が誕生したのです。
修行の場は大峰山脈を始め各地の山岳道場です。最盛期には2万ヵ寺をかかえるほどの一大勢力になったのですが、廃仏毀釈や修験道廃止令によって神仏習合に関係する寺や信仰の対象が壊され、山伏(修験者)の数も激減しました。しかし、民俗信仰として山岳信仰や習慣は受け伝えられ、戦後、信教の自由が認められることで、宗派として復活しました。現在の宗派名は「本山修験宗」と言います。

 

 

山本:

修験道は「厳しい」というイメージがありますが、実際のところはどうですか。

 

宮城門主:

修験というのは「厳しい修行」と一般的に考えられていると思いますが、確かに仏教宗派の中でも厳しい修行をします。
修行には危険が付きもの、近年も大けがをした方もいます。私が修行に入る前は4年程、新聞社に勤めていたのですが、あまり歩くことがありませんでした。
新聞記者とは「足で情報を稼ぐ」というイメージを持たれるのですが、その足はほとんどが車でしたので、歩くことに自信はありませんでした。
会社を辞めた翌日から大峯修行でした。最初は、若さに任せて、ピッチを上げて歩いたのですがだんだんと遅れていくのですね。
70歳くらいの先達が落ち着いてゆっくりスタスタと歩く、「負けてられない」と思い、ついて行こうとするのですが、平地や下りでは何とか追いつけるのですが、
上りになると引き離されてしまうのです。そこで、その山伏の歩き方を観察すると、登りも下りも平地であっても同じペースで歩いていることに気が付きました。
私はペースを会得するために、大文字山に次の大峯修行迄の一年間、寺への出勤前に自転車で登り口まで行き訓練を始めました。
時には歩くルートを替えてみたり、リュックに石を入れたり、いろいろと試し、そして翌年の大峰の奥駈修行に臨んだわけですが「おっ、成果が出た」と、楽でしたね。
しかし学んだことで大事なことは、身体、足を普段から鍛えるということだけでなく、歩き方です。呼吸のしかたや足の運び、最初のわたしのように忙しく乱れたペースで歩かないことです。心と身体は一致します。

 

山本:

すごいですね。

 

宮城門主:

確かに疲れるのは疲れますが、あまり疲労が残らず、前年に比べれば楽でしたし、1時間掛って登っていたところが、たったの15分で登ることができました。普段から歩くことは山で修行をする者の基本になるのですが、ただ鍛えるだけではなく、
景色や音、匂いなどを感じることができるようになり、五感を鍛えられるようにもなるんですよね。
だんだんと慣れてくると大文字山には大文字山の風の音や匂いがありますし、大峰に行けば大峰の風の音や匂いがあるんですよ。
修験道の修行は、ただ厳しいだけではなく、人間本来の「感覚を鍛える」というのも修行の一つだということです。人工的な環境に済む現代人には特に大事です。
このことは私の「動じない心」という本にも書かせてもらっているんですよ。

 

山本:

感じるということはとても大切なことですよね。

 

宮城門主:

門主になってから、墨をすり書を書くことが多くなりましたが、文字を書くということは墨の匂いをかぎながらすり、また書くときは紙の質によって筆の運びが違うという五感の世界で表現されていきますので、こころのあり方で字も変わってくるのです。
山修行が「動」なら「書」は静の修行かもしれません。

 

山本:

修験道の世界は大変奥深いものだと聞いていましたが、改めて先生のお話しを伺い、さらに関心を持ちました。
私も大峰の「西の覗き」に行ったことがあるのですが、あの場所はとてもすごい場所ですよね。

 

宮城門主:

おっ、行ったことがある? すごいね。修験道は自力聖道門と言って「自力の行をはげんで悟りをめざす」という考えで修行をおこなうのです。一方に、阿弥陀様は「他力」という、どんな人でも、悪人でも、修行をしなかった人でも最後は救ってくださるという考え方であり、自力と反対に対比しているのです。
大峰の山から出て、熊野本宮大社の中に「証誠殿(しょうせいでん)」という、「誠を証明する」と書くのですが、そこに祀られている本地仏は「阿弥陀如来」なんですね。まさに神仏習合なのですが、その証誠殿で大峰の山から出て、よれよれになった姿の修験者に満行の報告をさせる訳です。私はそれは何なんだろうと思っていたのでしたが。
修験の修行とは、生きている間は精一杯の修行をするために、険しい山に入って、眠れない思いや、足に血まめを作るほどの痛い思い、お腹が空いているのに食べ物が疲れで喉を通らないほどの辛さ、そういった餓鬼や畜生、修羅の思いを克服し苦行をします。
そして自力宗門の真骨頂である大峰の奥駈修行で、「これだけ真剣に修行をしました」と報告し、その誠を証明してくださる証誠殿の神様仏様がそこにいらっしゃる訳なんですよ。「自力」をつくして、まさにここで仏の慈悲の力で「皆が浄土へ行ける」ということなのだと思うのです。こういう修行をすることが私たち山伏に課せられているのです。

 

山本:

ところで最近、お葬式をされない方やお墓を建てない方が増えてきていますが、そのような現象を先生はどのように思われますか。

 

宮城門主:

お墓は必要だと思います。近年は核家族化がすすみ、個々に住居を構えるようになりました。
お墓があるということは、亡くなった後に家族が一緒に集える場所にもなりますし、亡くなった方やご先祖様に会いにお墓参りすることは、家族縁者が気持を一つにして故人を偲ぶ重要な場所にもなります。いわば永遠の家と言えるでしょう。
今の自分の世界だけを大切に考え、便利さや効率を追求するあまりに、お墓を必要か必要でないかをこの尺度で測ってしまうと、人生が、過去・現在、私たちの未来へと繋がらず無味乾燥なものになり、人はますます孤立してしまいます。
人は眼に見えずとも先祖からたての糸で命がつながり、この世で沢山の人間関係いわば横の糸で支えられているのです。

山本:

私たち墓石業界は、ただお墓を売るだけではなく、お墓を作るというのはどういう意味なのかを発信していかなければならないと思います。
今まではお墓を売れば、「お墓なんて何でもいい」と思っているお客様を相手に販売していたことが多かったのですが、これからは、そのような考え方や今まで通りのやり方では、その販売手法の業者はますます淘汰されてくると思います。
弊社のお客様は「お墓は何でもいい」という考えでお墓を建てられる方はほとんどおられませんし、今はそういう時代ではないと私は思っています。

 

宮城門主:

お墓とは縁者が一つに集まることができる場所でもありますし、先にお墓に入っている父親や母親、または夫や妻が、久しぶりに子どもやつれ合いがお墓に入ってくることで、また一緒になることができる。そして生きている側の思いとして「また一緒になれる」という思いを抱くことができるのは、まさに命の拠り所、生の証としてのお墓があってこそではないでしょうか。そういった意味で、ともすると、お墓は暗いイメージをもたれますが、真実明るい場所であるといえましょう。お墓は先祖や故人を尊び偲ぶすべとしても、生きている側のこころのありようにとっても大切なものだと思います。

 

山本:

とてもありがたいお話しをたくさん聞かせていただきまして、誠にありがとうございました。