VOL.5
公益社社長 古内耕太郎氏 × 山本 一郎
人間関係の中で、いつもケアをする「見守り」の仕組みを作るということも大事な事ではないでしょうか。
DIGEST
伝統や文化、習慣や慣習、あるいは四季の移ろいなど、日本人は古( いにしえ) より多くの先人たちに学び、
現代に力強く生きています。しかしともすれば古い慣習に縛られたり、伝統や文化の風趣に浸る心のゆとりを失ったりしがちなのも事実です。
弊社、山本は常日頃より宗教人や会社経営者、評論家、文化人、タレントなど幅広い人脈を持ち交流を深めています。
またこれらの人々との対話を「いにしえの対談」として企画し、定期的に行っております。
対談相手のご紹介
古内耕太郎
kotaro furuuchi
燦ホールディングス株式会社・株式会社公益社 代表取締役社長
1963年、東京生まれ。
外資系保険会社勤務時代に、慶応義塾大学大学院経営管理研究科修了(MBA取得)。
2005年、燦ホールディングス株式会社入社。2009年から現職。
公益社団法人経済同友会幹事、財団法人交詢社 交詢社員、東京21cクラブ会員、日本ビジネス協会会員。
著書は<グリーフケア 見送る人の悲しみを癒す ~「ひだまりの会」の軌跡~>
対談の様子
山本:
最近、<孤独死>の報道をよく聞くのですが、古内社長はこの孤独死について、どのようなことを思われているのかをお聞かせ下さい。
古内社長:
この現象(孤独死)を考えてみますと、まず、人々のライフスタイルの変化、
人間関係の希薄化みたいなものが都会を中心に広がっていますよね。昔は、村や町会などの地域社会の中で暮らしていくことは、
その地域社会の中での人間関係の交流が大前提であったりしました。そしてなお且つ、その地域社会の中に親族が寄り集まって生活もしていました。
さらに小さな単位である家族では二世帯、三世帯があたりまえで、いわゆる「サザエさん」みたいなお家が普通であって、おじいちゃん、
おばあちゃんや孫とも一緒に住んでいたので、孤独死という問題はたぶん昔は無かったと思いますよ。それが近年、
人間関係の希薄やコミュニティの崩壊などが進んでいく中で、村や地域、町会という機能が破たん寸前だったり、
あるいは親戚がバラバラの地域に住んでいたり、家族間の中でも同居をしないで、それぞれ別に生活をしていたりと、
暮らしの単位が小さくなってきていますよね。このような状況が今の日本では進んでおり、
特に都会は進行が早いが故に結果的に孤独死が増えてきているのではないでしょうか。
山本:
今回は(孤独死の報道発表によると)ガス会社が検針をしたときに、あまりガスを使っていないことで、
通報に到ったということらしいですね。この孤独死の問題について、我々もいろんなことを考えていく時期ではないかと思いました。
古内社長:
孤独死を発見できる機能を充実させることも大切でしょうが、
人間関係の中で、いつもケアをする「見守り」の仕組みを作るということも大事な事ではないでしょうか。
山本:
ところで今、「家族葬」という新たな葬儀スタイルがトレンドになってきていますが、
「家族葬は安い」というイメージが世間では定着しつつあります。葬儀の簡素化について古内社長のご意見をお伺いしたいと思います。
古内社長:
現代は本来の葬儀社として役割や機能が働きにくい環境となってきています。
それには2つの理由がありまして、一つには「人の死生観」についてです。生きること死ぬこととはどういうことなのか?ということです。
今までは、葬儀を通じて人の死生観を考える場があったかと思います。しかし、簡易的な葬儀をおこなうことによって、
(死生観を)学ぶべき機会を失いつつあると思います。もう一つは「遺族ケア」という供養文化の機能についてです。
人間誰しも人の死亡率は100%ということは分かっているのですが、普段は思ってもいませんので、
「まさかこんなに早く身近な人が亡くなるなんて・・・」と遺族の方にとって、大切な方が亡くなるというショックは激しいものがあります。
そこで「供養」というものが、残された遺族にとって、その悲しみというものをどう受け止め、どのようにして消化し、
新しい考え方に基づいて「人生の再構築」をおこない、大切な人がいなくなった後も、前向きな心で生きていくための支援機能が先人達の作った供養文化だと思っています。
山本:
この供養文化のリーダシップ的な役割はお坊さんではないかと思いますが、
今はお寺離れも激しいので、お寺さんには頑張っていただきたいところですね。
同じようなテーマかもしれませんが、「日本は火葬制度があるため、葬儀が無くなることはないが、
セレモニーが縮小あるいは無くなってしまうのではないか」と、そうなるとお寺さんはどうやって生活をしていけばいいのかと危惧されていました。
昨今のセレモニーの縮小傾向について古内社長のお考えをお聞かせ下さい。
古内社長:
あくまでもセレモニーというものは環境や時代の変化によって、そのスタイルは変わってもいいものだと思います。
昔の葬儀は葬列で、人が棺を担いで荼毘に付する場所までみなさんで運んでいました。それが公道ができ、火葬場が建設されるようになると、
霊柩車によって火葬場まで運ばれるようになりました。また、白木の祭壇は生花の祭壇に変わりました。ただ、先ほどのお話しの中でも言いましたが、
その変わっていくセレモニーの中に、供養文化の本来の役割がしっかりと果たされていなければならないと思います。
我々の業界はその本来の役割をきちんと提供していかなければならない訳で、最近の葬儀は本来の役割を認識しないで供養サービスを提供される方々が
多くなってきています。「何となく形は似ているけど本来の機能が果たされていない供養」これでは本末転倒な葬儀になってしまいます。
山本:
私の母が亡くなった時、公益社さんの枚方会館でお世話になりましたが、スタッフの方々のコミュニケーションがすごく良く出来ており、
公益社さんのサービスに親族一同はとても喜んでいました。昨今の企業は利益のために「人を出来るだけ少なくしていく」と
いった風潮が評価されてきていますが、この「葬儀」というお仕事は必ず人が必要な作業ばかりなのですよね。
この辺りについてどのようなお考えをお持ちでしょうか。
古内社長:
昔の葬儀社の役割というのはある意味「便利屋さん」みたいな位置づけだったと思います。
昔は亡くなった方の村とか町内の役職の方々が基本的なプロデュースをして、葬儀の場所は自宅、集会所、お寺で執り行っていました。
そして今で言う、セレモニースタッフという方々は近所の奥さん達で、その奥さん達みなさんで料理を作っていたのでした。
その時の葬儀社とは葬具をお貸して設営をし、そして片付けをするといった下働き的な位置づけでした。
ただ、今では地域を取り巻く環境も変わり、現在では葬儀会館、スタッフ、お花、お料理等をご提供するといった一般的なサービス業として変化しました。
この変化した中で、我々スタッフの役割は、亡くなった方の親族の役割であったり、村や町内会の役職さんの役割であったり、
あるいは宗教者の一部を代行する場合もあったりと、我々は親族や宗教者の視点で遺族や故人のケアを担うようになってきました。
ところが、最近の直葬や家族葬といった「パッケージ商品」は、利用される方には低価格で受け入れやすいイメージになっているかも知れませんが、
価格を安く提供することと同時に心のサービスというものを削減、提供出来なくなっているのではないかと思います。
もし、弊社が評価されているのであれば、正しい知識の提供と、高い志を持ったスタッフの「遺族ケア」をもって、
ご遺族の方と携わる事により、ご遺族の方からは「ありがとう」と感謝されているのではないかと思っております。
山本:
昔の葬儀屋さんは、もともとはレンタル業でしたよね。
私の墓石業界も職人業でしたが、やはり時代の変化とともに、サービス業として変わっていきました。
供養文化を尊重し、心あるサービスを提供することに私も共感はするのですが、
最近は仏壇やお墓の購入を不要と思う方も増えてきており、我々の業界にとっては危機的な事象ではないかと思っています。
この事象について何かお考えはありませんか。
古内社長:
先ほどよりお話ししています「供養文化」というしくみが軽視されてくることによって、
人々の精神面や死生観にマイナスな影響を与えていくのではないかと思います。「面倒くさい」、
「昔からの儀礼だからそんな事をやってもやらなくても同じではないのか」といったマイナスな発想が社会的にどんな影響があるのかを
真剣に考えていかなければならないのではないでしょうか。仏壇に手を合わす時間、空間というものが何を意味しているのか、
お墓参りに行くことによって、行く人の心にどのような影響があるのか、社会的に考えていかなければならない時に来ているのではないでしょうか。
山本:
過去の時代の悪しき慣習で、お寺と葬儀社の癒着や墓石業界のカラクリ的な記事を、
さも現代でも続けて行われている慣習のように掲載することによって、仏事業界全般をネガティブにしてしまい、
読者や視聴者に不信や不安を煽っていることも供養文化を軽視させている要因ではないかと思いますね。
古内社長:
我々、供給者サイドも気をつけなければならない事があって、我々が提供しているものは「文化」なんですよね。
精神的なケアをおこなう文化産業であって、一般の流通業とは違いますよね。例えば「食文化」という文化というものがありますよね。
土用の丑の日には鰻を食べるとか、お正月にはおせち料理を食べるといった食文化というものがありますよね。
私は「文明産業と文化産業」という言葉を使っているのですが、文明産業とは自動車会社や家電会社といった産業のことで、
今まで世の中になかった製品を開発し、世の中に提供することによって、人々のライフスタイルを豊かにし、業績を出すといった産業のことですが、
我々の業界はそういう産業ではなく、地道に人々の精神や心を支えることを担い、継続することにより、僅かながら適正な利益が得られる産業でありますから、
そういう意味では文化的な側面を大事にして、人に尽くすという志がないといけないのではないかと思います。ただ今は、どちらかと言うと、
最近のベンチャー企業的なプレイヤーがこの業界に多く参入しており、「ビジネス」という側面が強すぎるのではないのかということを感じてなりません。
山本:
古内社長の執筆している”グリーフケア”という本を読ませていただきましたが、
日本ではこの”グリーフケア”というのが少し誤解されているような気がしていまして、「亡くなった人はもう戻ってこないから遺族の方をそっとしておいた方がいい」と
いう考え方があり、「遺族は自分で癒さないとダメだ」という考え方が一般的な考えとして受け入れられているのではないかと思っています。
しかし、古内社長の本を読ませていただくと、決してそうではないということが書かれてありまして、すごく共感するところがありました。
この本を執筆するにあたり、どのようなことを読者に伝えたかったのかお話しいただけないでしょうか。
古内社長:
悲しみのかたちは、人それぞれで様々でありますし、遺族のまわりの人たちも「何ができるのか」ということ難しいものでもあります。
その中で我々ができることは、遺族の方が自分自身でグリーフワークという形で悲しみを乗り越えていくという一つの動きもあると思うのですが、
それを周りでどのように支援をしてあげられるかというのがグリーフケアであって、そこには正しい知識と方法というものを考えておこなっていかないと、
むやみに掛けた言葉がかえってご遺族を傷つけることもあったりするので、日本においては体系的に正しい知識を基に、
遺族の周りの方はケアをしていく必要があるのではないかと思います。私たちも会社の中で、この書籍を取りまとめることによって、
我々の想いや志とは何なのかということと、悲しみというものの構造を正しく理解して、
我々はどのようにしてケアをしていかなければならないのかということを考えていますが、この”グリーフケア”という本は、
会社のスタッフ全員で共有できるバイブルとして取りまとめたものなのです。だから私の考えというよりは会社全体の考え方なのです。
山本:
この本を読んで、エンバーミングを担当しているスタッフの方が、若い頃に大切な友人を3人亡くされており、
その友人の葬儀に参列した時にその亡くなられた3人の友人のお顔を誰ひとりと見る事もなくお別れされたということが書いてあり、
その時の悲しさ辛さを今の職業に活かしたいということを書かれておられましたが、そのところを読んで、凄く印象深く思いました。
古内社長:
ありがたいことに、志や想いがしっかりしている社員が弊社の強みだと思っております。
山本:
最後に墓石業界についてご意見をいただけませんか。
古内社長:
私は霊園、墓石の事業者さんがその事業を「点」として考えているのではないかと思うのです。
本来、点ではなく「線」としてお客様との接点を考えた「供養のしくみ」としてのビジネスモデルを考えていかなければならないと思うのです。
ただ墓地や墓石を売るということでビジネスが完結しているように思えます。お客様自身が供養文化のことを分からなくなってしまっている時代なので、
お墓参りの文化、供養というものの必要性や意味などを理解していただくようなビジネスモデルに見直していかなければならないのではないかと思います。
山本:
今日は貴重なお時間をいただきまして誠にありがとうございました。