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スタッフブログ

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騎西城について

こんにちは、枚方の霊園ハピネスパーク牧野霊園の
栗原です。

梅雨に入りましたがここ2,3日は雨が降っていませ
んね、来週になれば雨が降る日も増えてくるように
感じます。

 

牧野霊園の植栽もバラの花はちらほらと咲いていま
すがオリーブやミモザの花は散っています。緑の葉
がきれいに生き生きとしています。

 

騎西城について

 

騎西城(きさいじょう)は、現在の埼玉県加須市(
旧北埼玉郡騎西町)にあった日本の城(平城)です。
築城の正確な時期は不明ですが、室町時代から戦国
時代にかけて存在し、私市(きさい)党などの在地
領主や、近隣の小田氏、成田氏(忍城主)などが関
わっていたとされます。関東の覇権を巡る激戦地帯
に位置しており、上杉謙信の関東出兵の際には城攻
めの舞台となり、落城した記録も残っています。小
田原北条氏、上杉氏などの大勢力の間で激しい攻防
が繰り広げられました。徳川家康の関東入国後、松
平氏や大久保氏らが城主となり、一帯は「騎西藩」
として立藩されました。しかし、1632年(寛永9年
)に当時の城主であった大久保忠職が美濃国(岐阜
県)の加納藩へ転封となったことに伴い、騎西藩は
廃藩となり、騎西城も廃城となりました。
関東平野特有の平城であり、周囲に広がる低湿地や
沼、泥田を天然の要害として利用した防御力の高い
造りであったと考えられています。廃城となるまで
の期間、騎西城には現在見られるような層塔型の立
派な天守閣は存在せず、土塁や水堀、屋敷(館)を
主体とした土の城(中世城郭)であったと推測され
ています。
現在、跡地にそびえ立つ3層の天守閣は、1975年(昭
和50年)に旧騎西町の町制施行20周年を記念して建
設された模擬天守(鉄筋コンクリート造)です。史
実の復元ではなく、観光や文化財保護のシンボルと
して建てられました。
内部は郷土史料館(展示室)となっており、城跡周
辺の発掘調査で出土した遺物や、地域の歴史・民俗
資料などが展示されています。※常時開館している
わけではなく、特定の時期や曜日(地域のまつりの
際など)に合わせて公開されることが多いため、内
部を見学する場合は事前の確認が必要です。

中世関東の土豪や戦国武将たちの興亡、そして江戸
時代初期の藩政の移り変わりを感じられる、地域の
歴史の拠点となっています。ぜひ調べてみてくださ
い。

 

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この記事を書いた人

施工部

栗原 敬一朗

Keiichiro Kurihara

資格

お墓ディレクター2級・ユニバーサルマナー検定2級・海洋散骨アドバイザー

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樹木葬のことだけではなく、位牌、仏壇の供養、墓じまい、 改葬、分骨など、気になることや、わからないことなどがございましたら、 何でもご相談ください。

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大阪に5つ、大分に1つの霊園を運営しています。
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