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スタッフブログ

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今治城について

こんにちは、大阪の霊園ハピネスパーク牧野霊園の
栗原です。

五月の後半になって真夏並みの気温になってきていま
す。またそろそろ梅雨に入り天気の悪い日が続きそう
です。

 

牧野霊園の植栽はバラの花が満開です。まだまだ綺麗
な花が咲いていますので是非ご来園ください。

 

今治城について

 

今治城は、愛媛県今治市にあった日本のお城です。日
本屈指の「海城」です。関ヶ原の戦いでの戦功により
伊予半国20万石を領した築城の名手、藤堂高虎によっ
て、慶長7年(1602年)から築城され、慶長9年(160
4年)頃に完成しました。
高松城(香川県)、中津城(大分県)と並び、日本三
大海城の一つに数えられます。瀬戸内海の海岸線近く
に築かれ、最大の特徴は広大な堀に海水が引き込まれ
ている点です。
堀の幅は非常に広く、当時は海から直接軍船が出入り
できるようになっていました。現在でも堀の水位は潮
の満ち引きによって変化し、ボラやチヌ、時にはサメ
などの海の魚が泳ぐ姿を見ることができます。
城郭の配置は、本丸を中心に二之丸、三之丸が同心円
状に囲む「輪郭式」に近い構造となっています。
海水を引き込んだ三重の堀、強固な石垣、そして四方
に配置された多くの「枡形虎口」など、高虎の高度な
築城技術が随所に光る、実戦を強く意識した造りです。
創建当時の今治城天守は、日本で初めての「層塔型天
守」だったと言われています。しかし、この天守は完
成からわずか数年後の慶長15年(1610年)、高虎が伊
勢国(三重県)津藩へ転封となる際、徳川家康の命に
よって丹波国(京都府)の亀山城へ移築されたという
説が有力です。そのため、今治城に天守があった期間
は非常に短かったとされています。
現在の天守は、昭和55年(1980年)に建てられた5層6
階の模擬天守(歴史資料館)です。当時の亀山城の図
面などを参考に再建されました。
近年では、史実に基づいた大規模な木造復元が進めら
れており、以下の門や櫓が往時の姿で蘇っています。
鉄御門、本丸の正門にあたる強固な枡形門。
武具櫓、山里櫓、御金櫓、それぞれ内部が美術館や資
料館になっており、武具や現代美術などが展示されて
います。藤堂高虎が「今治(今治る=今から治める)」
という地名を名付けたことからも、彼のこの地への並々
ならぬ意気込みが感じられる名城です。

藤堂高虎が築城したお城ですので是非調べてみて下さい。

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この記事を書いた人

施工部

栗原 敬一朗

Keiichiro Kurihara

資格

お墓ディレクター2級・ユニバーサルマナー検定2級・海洋散骨アドバイザー

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樹木葬のことだけではなく、位牌、仏壇の供養、墓じまい、 改葬、分骨など、気になることや、わからないことなどがございましたら、 何でもご相談ください。

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