column

コラム

戻る

霊園が生まれるまで

ハピネスパーク牧野霊園の周りは、霊園ができる前は、田んぼだらけで、その中にポツンと建設会社の資材置場がありました。建物のプレハブは老巧化し、今にも倒れそうな状態で地元では「お化け屋敷」と呼ばれけっして評判のよい場所ではなかった。

 

 

この辺りは枚方市内で不法投棄の多い地区として有名であった。ナンバープレートが外されている自動車、扉の無い冷蔵庫、まだこんな古いテレビがあったんだと懐かしく思える家電製品たちが、投棄されているのを度々目にする状況だった。

 

こんな土地にお墓のパークを造る・・・

霊園に来て幸せだなあ・・と思ってもらえる霊園・・・

無謀だったかもしれない

株式会社西鶴。そんな会社は誰も知らなかった。社員は私を含めて3名。父とパートのおばさんだけだった。友人、知人にパークの様な霊園を造りたいと話すと、「お前みたいな若造が出きる訳ないだろう」と失笑されたものだった・・・

 

 

失笑され、無謀だと思われたが、どうしても幸せを追求した霊園を造りたかった。
そして、ついに霊園開発をすることになった。しかし住民の反対運動はすさまじかった。

2つの町内会長のお宅を毎日訪ねさせてもらった。しかし日に日に形相は変わっていくばかりだった。

「お化け屋敷の後は、本当に墓場になるとは、何事だ」と叱責され、反対の貼紙が電信柱に貼られ出した。説明会では罵声に、帰れコールが連呼する・・・

 

いつの間にか、2つの町内会が連合体になり、話が余計にややこしくなった。

 

 

説明会のたびに、帰れ!死ね!出ていけ!墓地反対!気持ちが萎え掛けた。
そのたびに本当に幸せを追求しなくてはという気持ちが強くなった。

反対意見の殆どは、墓地に対する偏見であった。いや真実かもしれない・・・

我々業界はそんな霊園・墓地しか造って来なかった。

 

墓地が出きると不良の溜まり場になる・・・

お供え物を置くとカラスが増える・・・

交通渋滞が増える・・・

土地の地価が下る・・・

気持ち悪い・・・
はたまた幽霊が出る・・・

 

1つ、1つ意見を聞く度に疲れた。

くたくたになりながら、何回も何回も開催した説明会で、1人の老人がこう言った・・・

 

「本当に綺麗な霊園を創ってくれるんだったら、私は賛成しますよ」

私は一瞬耳を疑ったが、

 

「あなた達はいつも説明会で、明るい綺麗な霊園を創りたい。そして幸せを追求した霊園を創りたいと、同じ言葉を繰り返していたんで、それならば、そんな綺麗な霊園を見たくなったんです」

 

 

私はふたたび耳を疑った・・・

夢ならば覚めないでほしい!嬉しかった、グッとこみ上げてくるものがあり、何度も説明会をして本当に良かった。二つ返事で、

「はい!頑張って皆様のご期待に必ず応えてみせますので、よろしくお願いします!」

その日の説明会の後から、1つの町内会では反対する人が減り、最後は賛成してくれた。

長かったが、あっという間だったかもしれない・・・

 

そしてもう1つの町内会でも、町内会長が綺麗な霊園を造りたい思いを理解してくれだした。

しかし反対派の方々から、町内会長が裏切ったと思われ、引責辞任されてしまい大変申訳ない事になった。

喜びも束の間、それからも毎日・毎日苦しい日が続いた。1人でも多くの人が明るく、綺麗で幸せな霊園で眠って欲しい。

何度通ったか?

毎週土・日のどちらかが説明会でもう1つの町内会は納得してくれない・・・

そんな時、最初に賛成してくれた町内会長が訪ねて来た。

「あんた、わしにお墓売ってくれよ」驚いた!

「回覧板くれたら、町内に回してあげるわ」と言い、帰っていった。

 

それからしばらくして反対運動は終わった。

 

何度も逃げたくなった。心が折れそうにもなった。

逃げずに立ち向かって行くと、人は心を開いてくれることが解ったように思えた。

 

逃げなかった・・・

 

それが大きかった。

 

オープンしてお墓を建ててくれた町内会長から、お客様の声をいただいた。

 

「霊園のイメージが変わりましたね。爽やかで開放的な明るい霊園になりましたね、応対するスタッフ逹も親切で大変好感が持てました」

 

 

不法投棄は全く無くなった。今では地域の皆様とも仲良くさせていただいている。

 

 

霊園開発とは、一歩間違って墓場を造ってしまうと、その地域の良さを奪いかねない。

そう考えると、家やビルは建て直せるが、霊園はそうはいかない。

ハピネスパーク(幸せな公園)を造りたい。その思いが我々の遺伝子なのだ。
そして・・・

 

弊社の企業理念が「ハピネス(幸せ)を提供する」・・・