仏教徒(ぶっきょうと)とは
投稿日:2024年10月14日
こんにちは。
永代供養付き樹木葬霊園 千年オリーブの森 堺和泉の田中です。
どんな宗教なの
今からおおよそ2500年前、お釈迦様はこの現実の世界を「苦」であると見極めそれを乗り越える道を示しました。
日常生活に存在する迷いや苦しみから目をそらすのではなく、それらを正しく見つめ「今を生き抜く」為の知恵へと転じ「さとり」をひらくことがお釈迦様の説いた教え、仏教なのです。
日本に伝わってから1500年余り。
仏教はこの日本を見舞ってきました。
お釈迦(しゃか)様(さま)って誰
仏教の開祖(かいそ)=ガウタマ・シャダールタ(お釈迦様)
1-1誕生
・いつ:紀元前5世紀頃
・何処で:シャーヴァストウというシャーキャ族の城があるヒマラヤ山脈のふもと
・母:お釈迦様が生まれてすぐに亡くなった
・誰に育てられた:宮殿で叔母に育てられた
・性格:繊細で感受性が強かった
・考えていたこと:「人間はなぜ、苦しみから逃れないのだろう」という思いが幼いころから芽生え始めました。
1-2出家の決意
・シャダールタは城の外に出て、老人や病人、死人、修行者に出会いました。
・人間は老いる事や病気になること、死ぬことは避けられないのだと知り修行の道を歩む事を決意した。
・父親の反対を押し切り、29歳で出家しました。
1-3さとり
・7人の師に修行をついた。
・42日間も断食したり、意識が亡くなるまで息を止めたり等を6年間行いました。
・35歳の時に仲間と別れ、少女の供養した乳粥を受けた後、菩提樹のもとで深い瞑想にはいった。
・煩悩が悪魔として現れ、瞑想の邪魔をしようとしますが、それでもシャダールタ(お釈迦様)は心の迷いから抜け
出て、さとりを開くことが出来ました。
・そしてシャダールタ(お釈迦様)は「ブッタ」(目覚めた人)となりました。
1-4 乳粥とは
・お釈迦様を救ったスジャータのおはなしから始まります。
・お釈迦さまは修行の最中に、「修行のみで悟ることはできない」と修行を中断した。
・そして、骨と皮だけになった身体を川で清め、樹の下に座っておられました。
・どれぐらい時がたったのか、お釈迦様の目の前に「1杯の乳粥」を差し出す村娘がいました。
・彼女の名前を、スジャータと言います。
・スジャータから与えられた乳粥を食べて、心身ともに回復したお釈迦さまは、近くの大きな煩悩樹のの下で
座禅を組み、ついに悟(さと)りを得られたのでした。
・スジャータの乳粥がなければ、仏教は存在しなかったかも・・・・
1-5 煩悩樹とは
・煩悩とは仏教用語で使われます。
・人が生きる時に感じる、」迷いや欲望、苦しみの原因となる心のけがれとなうものです。
例)本当は痩せたいのに、暴飲暴食をしてしまったと言う場合に罪悪感
・煩悩(ぼんのう)は108種類と言われている密教(みっきょう)を紐解きます。
1-6 布教(ふきょう)
・布教とは、宗教等を広める事。
・説法とは、仏の教えを説き伝える事。
・ブッタは、インドのサールナートに行き、そこで最初の説法を行いました。
1-7 入滅(にゅうめつ)
・入滅とは、釈迦の死、高僧の死などに使う言葉。
・無常とは、この世の全てのものは、移り変わっていく事。
・さとりを開いてから45年がたった。
・ブッタは、80歳になりました。
・旅の途中でブッタは体調を崩しました。
・ブッタは、静かに最期の時を待ちました。
・悲しむ弟子たちに、「全てのものは無常であり、常に変化している」と伝え、生涯
を閉じました。
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