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仏教徒(ぶっきょうと)とは

こんにちは。

永代供養付き樹木葬霊園 千年オリーブの森 堺和泉の田中です。

 

どんな宗教なの

今からおおよそ2500年前、お釈迦様はこの現実の世界を「苦」であると見極めそれを乗り越える道を示しました。

日常生活に存在する迷いや苦しみから目をそらすのではなく、それらを正しく見つめ「今を生き抜く」為の知恵へと転じ「さとり」をひらくことがお釈迦様の説いた教え、仏教なのです。

日本に伝わってから1500年余り。

仏教はこの日本を見舞ってきました。

 

釈迦(しゃか)様(さま)って誰

仏教の開祖(かいそ)=ガウタマ・シャダールタ(お釈迦様)

1-1誕生

・いつ:紀元前5世紀頃

・何処で:シャーヴァストウというシャーキャ族の城があるヒマラヤ山脈のふもと

・母:お釈迦様が生まれてすぐに亡くなった

・誰に育てられた:宮殿で叔母に育てられた

・性格:繊細で感受性が強かった

・考えていたこと:「人間はなぜ、苦しみから逃れないのだろう」という思いが幼いころから芽生え始めました。

 

1-2出家の決意

・シャダールタは城の外に出て、老人や病人、死人、修行者に出会いました。

・人間は老いる事や病気になること、死ぬことは避けられないのだと知り修行の道を歩む事を決意した。

・父親の反対を押し切り、29歳で出家しました。

 

1-3さとり

7人の師に修行をついた。

42日間も断食したり、意識が亡くなるまで息を止めたり等を6年間行いました。

35歳の時に仲間と別れ、少女の供養した乳粥を受けた後、菩提樹のもとで深い瞑想にはいった。

・煩悩が悪魔として現れ、瞑想の邪魔をしようとしますが、それでもシャダールタ(お釈迦様)は心の迷いから抜け

出て、さとりを開くことが出来ました。

・そしてシャダールタ(お釈迦様)は「ブッタ」(目覚めた人)となりました。

 

1-4 乳粥とは

・お釈迦様を救ったスジャータのおはなしから始まります。

・お釈迦さまは修行の最中に、「修行のみで悟ることはできない」と修行を中断した。

・そして、骨と皮だけになった身体を川で清め、樹の下に座っておられました。

・どれぐらい時がたったのか、お釈迦様の目の前に「1杯の乳粥」を差し出す村娘がいました。

・彼女の名前を、スジャータと言います。

・スジャータから与えられた乳粥を食べて、心身ともに回復したお釈迦さまは、近くの大きな煩悩樹のの下で

座禅を組み、ついに悟(さと)りを得られたのでした。

・スジャータの乳粥がなければ、仏教は存在しなかったかも・・・・

 

1-5 煩悩樹とは

・煩悩とは仏教用語で使われます。

・人が生きる時に感じる、」迷いや欲望、苦しみの原因となる心のけがれとなうものです。

例)本当は痩せたいのに、暴飲暴食をしてしまったと言う場合に罪悪感

煩悩(ぼんのう)108種類と言われている密教(みっきょう)を紐解きます。

 

1-6 布教(ふきょう)

・布教とは、宗教等を広める事。

・説法とは、仏の教えを説き伝える事。

・ブッタは、インドのサールナートに行き、そこで最初の説法を行いました。

 

-7 入滅(にゅうめつ)

・入滅とは、釈迦の死、高僧の死などに使う言葉。

・無常とは、この世の全てのものは、移り変わっていく事。

・さとりを開いてから45年がたった。

・ブッタは、80歳になりました。

・旅の途中でブッタは体調を崩しました。

・ブッタは、静かに最期の時を待ちました。

・悲しむ弟子たちに、「全てのものは無常であり、常に変化している」と伝え、生涯

を閉じました。

 

 

 

 

 

 

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