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儒家神道(じゅかしんとう)とは 儒学と神道の融合について解説

こんにちは。千年オリーブの森(京阪奈墓地公園内)の中谷です。

本日は中国の孔子が唱えた「儒学」と日本固有の思想である「神道」が融合してできた

「儒家神道(じゅかしんとう)」というものについてお話ししていきます。

 

霊園内にあるスペインからきた千年オリーブの木

 

儒家神道(じゅかしんとう)

儒家神道は、江戸時代において日本の思想界に大きな影響を与えた、神道と儒教の融合思想です。

 

この思想は、神道の伝統的な信仰に儒教の倫理観や政治哲学を取り入れることで、日本の社会秩序や道徳観念に深い影響を及ぼしました。

中世の日本では、儒教はもっぱら五山の禅僧によって学ばれ、研究されていました。

五山とは、日本における禅宗の主要な寺院を指し、文化や学問の中心地として栄えていました。

 

特に、宋時代に大成された朱子学が日本の儒教の主流となり、儒教は政治論や道徳論として展開されていきました。

朱子学は、秩序と道徳を重視する思想であり、その影響は広範に及びました。

 

応仁の乱以後、儒教は地方大名の庇護を受けながら、日本各地に根をおろしていきます。

この過程で、神儒仏を一体とする思想が有力となり、儒教の立場から「古事記」や「日本書紀」などの神道古典の解釈が進められました。

しかし、やがて禅宗の勢いが衰えると、儒教の独立が唱えられるようになり、禅儒一致の考え方は否定されました。

 

 

江戸時代初期には

藤原惺窩とその弟子である林羅山が儒教の独立を推進しました。

藤原惺窩は僧形を廃して蓄髪し、儒服を身につけることで、仏教からの儒教の独立を象徴しました。

林羅山は、江戸幕府に儒官として登用され、幕府の公式学問である朱子学を採用しました。これにより、朱子学は江戸時代を通じて士農工商の身分差別や家父長制的家族道徳を支える思想として普及していきました。

 

この時期に、儒教が思想界を支配するようになると、神道説にも儒教理論が取り入れられるようになり、神儒習合神道が発展しました。

林羅山は、仏教を「虚学」として排斥し、人倫を滅ぼすものとして激しく論難しました。さらに、神道を堯舜の道や王道として捉え、神道と儒教の結びつきを強調しました。

彼の主張は、儒家神道の思想形成に大きな影響を与えました。

 

まとめ

儒家神道は、神道と儒教の融合を通じて、当時の日本社会における倫理観や政治思想の基盤を形成しました。これにより、江戸時代の日本では、神道が儒教の倫理と結びつき、社会秩序の維持や家族道徳の促進に寄与しました。

 

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