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林 則徐という男

おはようございます、こんにちは、こんばんは。

ハピネスパーク牧野霊園の久留島です。最近は気温も上がり、さらに夏に近づいてきたと感じる今日この頃です。

 

さて本日も、僕の個人的好きな世界の偉人について記していこうと思います。

林 則徐

林則徐は清代中国(1644~1912)に官僚として清王朝に勤めた偉人です。

中国で官僚となるためには「科挙」という世界で一番難関な試験と言われている試験に合格する必要があり、「科挙に受かれば3代(家系)富を得る」とも言われていたため、挑戦する者も多く、人生一生をかけても受からないことも珍しくはありませんでした。

 

林則徐の父親も例に漏れず、科挙に受かることが出来ず少年時代の林則徐は貧しい生活を送っていました。しかし、父親の無念を晴らそうと奮闘し、林則徐は27歳という若さで科挙に合格し、清王朝の官僚の一人として勤めました。

 

科挙 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E6%8C%99

仕事ができる人間

林則徐の名前は世界史の教科書、特にアヘン戦争の時代(1840年頃)に重要人物として登場するほか、清廉潔白であり続け、裏金や賄賂の一切を許さない姿勢から恨まれることも多くありました。

 

アヘン戦争は、当時世界でも覇権を握る勢いで力を持っていたイギリスが植民地のインドとの中国間で三角貿易を行い、中国にはアヘンが輸出される結果となり、アヘンの乱用が当時の中国国内での社会問題となっていました。

林則徐はその社会問題をどうにかしようと、広東省の港でイギリス商人が所持していたアヘンを全て没収し、処分しました(アヘン戦争勃発の引き金になった)。

 

アヘン戦争 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%98%E3%83%B3%E6%88%A6%E4%BA%89

 

当時アヘン禁輸の欽差大臣だった林則徐は上記のことから解任され、新疆へ左遷されますが、そこでも農地改革を行い、またロシアの脅威を伝えるなど功績を残しました。

好きなポイント

林則徐は常に清廉潔白な人物であり、そのため賄賂や裏金で生計を立てていた人々からは恨みを買っていたと考えられています。しかし常に公平な立場で物事を判断し、時には破天荒ながら力を持った国に抗議したり、地方ではその地を発展に導いたりと、その場その時で出来ることを最大限行っている点が人として尊敬できると感じています。

最後に

林則徐という人物は世界史の教科書にも名前が出るほどインパクトのある人物の一人です。見習うべき真面目であり、真面目過ぎでもあり、賢くもある興味深い人物の一人です。林則徐に限らず、世界中には面白いエピソードを持った人物が五万とおりますので、ぜひお気に入りの偉人を見つけてください!!

 

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