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吉田神道について

こんにちは。樹木葬専門霊園・千年オリーブの森の中谷です。

 

吉田神道について

吉田神道は、京都の神主であった吉田兼倶によって構想され、「唯一神道」「卜部神道」とも呼ばれています。

吉田神道は室町時代後期から400年以上にわたり、神道界に大きな影響を与えました。

吉田家は亀卜を行う神職の卜部氏の家系で、『徒然草』の作者である兼好法師(吉田兼好・よしだかねよし)もその一員でした。

 

1468年の応仁の乱で吉田神社が焼失した後、兼倶は自邸内の「斎場所」を吉田山に移し、「日本最上神祇斎場」と宣言しました。彼は神祇管の最高位の祭官であり、「元本宗源神道」を自らの神道として位置づけ、吉田家は最高の神道の血筋であると認識されました。

 

吉田神道は伊勢神宮の神様が吉田神社に逃げてきたと主張し、その影響力を強めました。吉田家は全国の神社を統括し、「鎮札」「宗源宣旨」「神道裁許状」などの証文を発行して権威を行使しました。これらの証文は、神社の安定や信仰を保つためのものです、

 

 

吉田家は戦国時代にも影響力を維持し、織田信長や豊臣秀吉などの権力者との関係を築きました。

しかし、家康の死後には一時的な落ち込みを経験しました。吉川惟足が登場し、吉田神道を再興させる一助となりました。その後、吉田神道は幕府の支持を受けて神職を統制し、幕末には幕臣として活躍するなど独自の発展を遂げました。

 

最終的には、吉田家は他の神道からの反撃や矛盾点、競争に直面し、徐々に衰退していきます。しかし、その歴史は幕府に仕えた「神使い」たちの特異な役割を示し、吉田神道と儒教の精神が明治維新を経て日本の宗教的基盤を整備する一翼を担ったことが興味深いです

 

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