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スタッフブログ

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姫路城について

こんにちは、枚方の霊園ハピネスパーク千年オリーブの森
枚方・牧野の栗原です。

寒い日と暖かい日が交互に来るようになりましたね。三寒
四温で徐々に春に近づいてきました。この後何度か寒の戻
りはあると感じますが春が待ち遠しいですね。

 

牧野霊園の植栽は新しく拡張したバラ区のバラの剪定が終
わりました。他の所の剪定も終わりましたので少し寂しい
風景になっています。

 

姫路城について

 

兵庫県姫路市にあるお城です。江戸時代初期に建てられた天
守等の主要建築物が国宝や重要文化財に指定されています。
ユネスコの世界遺産にも登録されています。

 

姫路城の始まりは室町時代に赤松氏による築城の説が有力で
姫路市はこの説を採っているそうです。この赤松氏は北方謙
三氏の小説『悪党の裔』の主役の次男として登場します。又、
黒田官兵衛の祖父や父の築城の説もあります。現在の形は池
田輝政によって拡張されました。池田輝政は織田信長の乳兄
弟の池田恒興の次男で小牧・長久手の戦いの後家督を継ぎま
した。

 

江戸時代には西国の外様大名監視のため西国探題が設置され
ました。このため譜代大名や親藩が配属され城主が次々と交
代しました。明治になると市民の間から政治家に修復工事の
陳情が行われ、国費を持って『明治の大修理』が行われまし
た。大修理を機に市民の間から姫路市への払い下げを求める
声が高まり、姫路市に払い下げが決定しました。『昭和の大
修理』を経て現在市民や観光客の憩いの場所になっています。
その後2009年から2015年に『平成の修理』が行われました。

 

姫路城の天守は江戸時代のままの姿で現在まで残っている12
の現存天守の一つで、最大の規模を持つ建物です。天守群は
姫山の上に建っており、建物と石垣を合わせると海抜92mに
なるそうです。天守内部は平成の修理の前は白にまつわる様
々な物が展示されていましたが現在は何もない状態です。天
守群は大天守と東小天守、乾小天守、西小天守そしてそれを
連結している渡櫓で構成されています。

 

そのほか様々な建物がありますので興味がありましたら是非
調べてみてください。

 

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ださい。よろしくお願いします。

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