大阪城について
投稿日:2023年02月01日
こんにちは、枚方の霊園ハピネスパーク千年オリーブの森
枚方・牧野の栗原です。
この頃寒い日が続きますね。先週は雪の日が多く雪かきや
車が大変汚れて、洗車など普段やらない作業が増えました。
雪の日は次の日が大変ですね。
牧野霊園の植栽は、バラの冬季剪定も終わりまして大変寂
しくなっています。ヤマボウシやレッドロビンも赤く色い
ていますが葉が落ちて少し寂しくなっています。
大阪城について
大阪城天守閣は、戦国時代に上町台地の先端に築城されまし
た。大阪夏の陣で落城し、江戸時代に徳川家によって再建さ
れました。何度か落雷等の損傷で修復を行いましたが、鳥羽
伏見の戦いでの敗北後、新政府に明け渡されました。その前
後の混乱時に火事により焼失しました。昭和6年に市民の募金
により再建されました。
構造は台地北端を立地とし、南以外の三方は本丸から見て低
地になっている。北側は淀川とその支流が流れており、天然
の堀の機能を持っている。内堀に水を引き込むためにも利用
されている。豊臣氏が築城した当初の城と徳川氏が築城した
城では配置や構造が変更されている。現在地表から見ること
が出来る配置は江戸時代のものでありますが、堀や門の位置
は豊臣時代と大きな違いはないそうです。
豊臣氏の大阪城は、輪郭式平城であり、本丸を中心に同心円
状に廓を連ね、その間に堀を配しています。大阪市街から天
守が見えるように位置、町の道などを工夫したと伝えられて
います。防衛上の弱点は南側で冬の陣の時は真田幸村(信繁)
の真田丸が作られました、この方面での激戦が映画などでよ
く取り上げられます。
徳川氏の大阪城は、豊臣氏の城全体に1~10mの盛り土をした
上に石垣を積んだので、遺構は地中に埋もれました。建物も
踏襲せずに独自のものを造りました。理由は30年前の古い城を
最新の技術に応じた新たな城が求められたからです。城郭自体
は以前より縮小されましたが、幅最大90mの外堀や江戸城をし
のぐ史上最多の三重櫓を備えた城になりました。
現在の大阪城址で見る事の出来る意向や二重の堀、石垣は、全
て徳川氏の大阪城のものです。冬の陣の後埋め立てられた堀を
含む遺構は、公園やビルの下に埋没したままで、発掘も部分的
にしか行わてれいないそうです。
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ださい。よろしくお願いします。
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