公開日:2023年07月29日
更新日:2023年08月21日
家族葬、普通のお葬式と何が違うの?〜お葬式の歴史〜
変わる葬式の形
近年、お葬式の形として「家族葬」「直葬」という言葉が聞かれるようになりました。
これまでのお葬式と一体何が違うのでしょうか?
そもそもこれまでのお葬式は?
これまでお葬式として一般的だったのは、お葬式に家族だけでなく、親類一同や近所、友人、会社関係の人など幅広く呼ぶ形です。
一般的なお葬式では、1日目に通夜、2日目に葬式、告別式、火葬を行うのが一般的です。
自宅で行ったり、お寺で行ったり、会館を借りたりして行います。
費用は、規模によりますが、200万円以上になることも多くあります。
○費用の内訳は?
・お葬式自体にかかる金額…葬儀用具/棺/納棺用品/祭壇費(花等)/霊柩車・寝台車/式場料/サービス費/火葬費等
・飲食、もてなしの費用…通夜振る舞い・精進落しの準備/香典返し等
・お布施…読経料(近年では本来別々に行う初七日や四十九日までまとめて行うケースも多くあります)/戒名料/御車代/御膳料等
お布施は仏教での呼び名です。
神道、キリスト教ではそれぞれ呼び方も異なります。
神道…御玉串料、御神前等。戒名=諡(おくりな)
キリスト教…御ミサ料、御花料等。
弔問客も多いため、それに対する対応に遺族は追われることになります。
ただ、弔問客を限定しませんので、親交があった人、関係のある方、参列を望む人、多くの人に来てもらうことができます。
訃報は誰にどうやって伝える?
家族が亡くなり、お葬式をする際、誰に訃報を伝えるべきでしょうか?
故人が書き残している、故人から伝えられていた場合にはそちらを尊重しましょう。
その他、電話帳や年賀状のやり取りなどから調べることもできます。
連絡方法としては、電話、メール、LINEなどが挙げられます。
伝える内容
親族向け
- 故人の名前
- 連絡している自分の名前と故人との関係
- 亡くなったこと
- 死亡した原因、日時と場所
- 故人の年齢
- 自分の連絡先
(決まっていれば、または決まり次第)
- 通夜・葬儀の形式・宗教宗派・日時
- 通夜・葬儀会場の住所・連絡先
友人・知人向け
- 故人の名前
- 連絡している自分の名前と故人との関係
- 亡くなったこと
- 死亡した原因、日時と場所
- 故人の年齢
- 自分の連絡先
(決まっていれば、または決まり次第)
- 通夜・葬儀の形式・宗教宗派・日時
- 通夜・葬儀会場の住所・連絡先
(弔電、供花などを受け取るのであれば、上記に加えて送り先を伝える。)
- 送り先名称(葬儀会場・故人自宅・喪主自宅など)
- 送り先住所・電話番号
- 喪主の名前
- 葬儀社を通して供花を送ってもらう場合は葬儀社の連絡先
メールやLINEで送る場合には、場所、日時などは簡潔にしましょう。
「家族葬」とは
上記のいわゆる「一般葬」をよりコンパクトにした形が「家族葬」です。
家族葬では、近親者、ごく親しかった友人のみで行います。
近親者は三親等以内が目安となります。しかし、家族の関係性によっても異なります。
家族葬で行う人は年々増えています。
新型コロナウイルスの影響や、参列者の高齢化、またなるべくシンプルに、迷惑をかけたくないと考え、生前から家族葬を希望していたというケースもあります。
家族だけで行いますので、弔問客への対応などがなく、心身の負担が抑えられるという点もあります。
家族葬の場合、香典をお断りするケースも多く、よって香典返しをしない方も多くいらっしゃいます。準備の負担を減らすことができます。事前に通達が来ていた場合、葬儀には香典をもっていかないのがマナーです。
費用は大体100万円ほどかかるケースが多いようです。
一般的な葬儀に比べて、費用は押さえられます。
また、故人の好きだった音楽を奏でたり、希望を通したり、自由に行えるケースも多いようです。
どの程度に声をかけるかは、家族によりますが、人数は50名以下であるケースがほとんどです。
実際の家族葬の流れを紹介
では、実際に家族葬の当日の流れの一例を紹介します。
お通夜はなく、告別式のみで、お寺を招いた場合です。
12:15 喪主到着
12:45 親族到着
13:45 告別式+初七日、献花を行い、出棺前に話をする。
14:45 出棺、遺族も移動
15:30 火葬、最後のお別れ
約1時間30分の待ち時間
17:00 収骨
終わり次第、解散
状況などによっても異なりますが、大まかにはこういった流れで進められます。
「直葬」とは
直葬とは一般的な葬儀と異なり、亡くなった後ご遺体を安置してから、いわゆる葬儀を行わず、出棺し、火葬場へ行き、火葬を行います。
直葬の場合も、参列者は親族の数名だけに限られます。
一般的な葬儀では、1日目に通夜、2日目に告別式と火葬を、大勢の参列者を招いて行いますが、
直葬では、日にちを分けず、一日で行います。一日葬と呼ばれることもあります。
法律により、ご遺体は死後24時間以内は火葬をしてはいけないと決められています。そのため、直葬でも安置は必要です。葬儀社で遺体を安置しておけることも多いです。
読経など宗教的な儀式を行わないことや、火葬場でお寺にお経をあげてもらうこともあります。
特徴としては費用が大幅に抑えられることが挙げられます。
また、時間も従来に比べ、短くなっています。
香典返しの用意の負担も無くなります。
家族葬や直葬の注意点
参列を望む方から参列したかったという声があったりすることがあります。後日弔問の場を設けるケースもあるようです。
また、親族から「故人に失礼だ」と言われるケースもあるようです。事前に理解を得ておく必要があります。
葬儀後で後日訃報を送る場合、かえって負担が出るケースもあるようです。
コラム:お葬式の歴史
「弔い」というものはいつから始まった?
正確にいつから始まったというのは分かっていません。
しかし、紀元前でも、ネアンデルタール人が埋葬していたという事実は見つかっています。お花を手向けていたあとが見つかったり、他の同時代の動物の骨に比べて傷が少なく、動物に荒らされないように土を掘って穴に埋め、弔っていたことが分かっています。
日本では、縄文時代までは「屈葬」という形が多く取られていました。
「屈葬」は体を曲げてまるで体育座りのような形で埋葬します。
地域によっては、甕の中に入れて納めることもありました。
弥生時代には日本全国で行われるようになります。
また、農耕をするようになったので、縄文時代より定住化が進み、だんだんと屈葬から、体を伸ばして埋葬していくように変わっていきました。
また日本では長く「土葬」という形が取られてきました。土の中へそのまま遺体を納めます。火葬は費用が掛かることや、技術的な面から近代になるまで行われませんでした。
貴族と庶民の違い
支配階級というものが生まれるようになると、庶民と、支配する側の人々では弔いの形に差が出てきます。
有名なものでは古墳が一例です。
古墳は西暦200年頃~700年頃まで作られました。
中には遺体を納める部屋があり、その中には故人があの世でも使えるようにと、副葬品が納められました。
副葬品には首飾りや王冠など、装飾品や、剣や弓、兵士の人形(いわゆる土偶)など武器が納められている場合もあります。
火葬された天皇
日本で始めて火葬された天皇は持統天皇(じとうてんのう)という天皇です。
通常天皇は土葬されていましたが、持統天皇は生前から火葬を望んでおり、火葬後は銀の骨壺に納められ、夫であった天武天皇(てんむてんのう)の横へ埋葬されました。
なんと、持統天皇のお墓は1200年代に泥棒に遭っていることが記録に残されています。犯人は捕まったそうですが、犯人の目的はお骨ではなく、銀の骨壺だったそうです。
京都の三大葬送地
日本では長らく、京都に首都がおかれていました。
日本の中でも人口がずっと多い場所だったわけですが、京都の人々は地方よりたくさん発生する遺体をどうやって埋葬していたのでしょうか?
京都には三大葬送地と呼ばれる場所があります。
鳥辺野、化野、蓮台野と呼ばれる場所です。
場所はそれぞれ、以下の場所にあたります。
・鳥辺野(とりべの)…現在の清水寺~大谷本廟があるあたり
・化野(あだしの)…嵐山の北西あたり
・蓮台野(れんだいの)…現在の紫野のあたり、船岡山付近
鳥辺野、蓮台野では貴族も葬られたと記録に残っています。
有名な「枕草子」や「源氏物語」にも鳥辺野での葬送の様子が描かれています。
また、蓮台野では貴人が多く埋葬され、仏塔が建てられたことから付近の通りに「千本通り」の名が付いたともいわれています。
化野は庶民が多く埋葬されていたようです。
方法は「風葬」でした。遺体をそのままのざらしにしておく方法です。
そのため、鳥や野生動物に食べられて風化していくようになっていました。その様子から「鳥辺野」の地名が付いたともいわれています。
このように都市では風葬の形が用いられていましたが、地方では土葬が多く用いられました。
仏教では釈迦は火葬されたことから、火葬をする文化も流入していますが、火葬には費用がかかることなどから火葬と土葬が地域、宗教によって両方行われていました。
現代の形に近づくのは江戸時代になってから
寺院が日本全国に普及し、江戸幕府によって檀家制度が設けられると、葬儀はお寺が行うようになります。
現在の日本のお葬式の原型は江戸時代に形づくられました。
面白い違いでいうと、葬儀の際の服装です。
江戸時代までは葬儀の際の服装は白色でした。現代では黒がマナーとなっていますね。
死に装束は今でも白ですが、参列者も白色でした。
これは技術的な面で黒色に染めるのは難しかったからともいわれています。
黒色に変わったきっかけは明治時代です。
明治30年に皇室の葬儀に列席した欧米諸国の賓客たちは、ヨーロッパ式の黒い喪服を着用していました。 これを見た明治の役人たちは、日本もならって黒色の喪服を用意しました。
その後、更に戦後になり、物資難の中で多くの人を見送ることになり、管理が大変な白装束より、黒い喪服が選ばれるようになり、一般へも黒い喪服が浸透していきました。
執筆者:株式会社西鶴 代表取締役 山本 一郎
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