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浄土宗の考え方とお墓

浄土宗ってどういう宗派?

法然と念仏

浄土宗を始めた人は法然上人(ほうねんしょうにん)です。平安時代末期~鎌倉時代初期、今から約900年ほど前の人物です。

9歳で出家(俗世間から離れお坊さんになること)して比叡山へ行き、その後は京都や奈良で仏教の事を懸命に勉強しますが、

その中で「専修念仏」(せんじゅねんぶつ)だけを真の救いとしました。

「専修念仏」とは、極楽浄土に往生するため、他の修行をせず、ただ「南無阿弥陀仏」と唱えるという考え方です。

法然の登場より前の平安時代にも念仏という考え方はありましたが、平安時代の念仏は「観想念仏」(かんそうねんぶつ)という考え方で、

これを実践できたのはお金と時間に余裕のある、貴族など特権階級の人々だけで、一般の人々はできませんでした。

ですので、ただ「南無阿弥陀仏」と唱えればいいという法然の考え方は、資金や時間に余裕のない人でも出来るので、一般の人々に広まっていきました。

鎌倉時代には新しい仏教の考え方が増えましたが、それの先駆け的な存在と言われています。

ただ、たくさんある仏教の教えの中でこれだけをすればいいと言い切ったので、法然は以前からあった奈良の仏教勢力や比叡山から攻撃され、流罪(遠くの地に送る追放刑)にされ苦労しました。

 

現在の浄土宗

現在の浄土宗の総本山は知恩院(京都市)です。

法然の死後は教えの解釈の違いからいくつかに派が分かれました。

弁長(聖光上人)が継承した鎮西義と呼ばれる流派が現在の浄土宗に繋がっています。

その下にいくつも流派が分かれており、末寺として日本全国にお寺があります。

「南無阿弥陀仏」と唱えるのが特徴で、これは簡単に言うと「阿弥陀様よろしくお願いします」という意味があります。

 

浄土宗とお墓

浄土宗は亡くなったら極楽往生するのが目的なので、伝統的に、お葬式とお墓には熱心な宗派でした。

供養のかたちにすでにあった宗派のやり方を用いたので、五輪塔、梵字などをお墓に建てたりしました。(もとは真言宗のやり方)

お墓には梵字(キリーク文字)を入れることがあります。また、「○〇家之墓」以外に「南無阿弥陀仏」と彫っていることもあります。

五輪塔に彫られている梵字には「南無阿弥陀仏」と同等の意味合いがあります。

また戒名は「○○○○居士(信士)」や「○○○○禅定門」、女性の場合は「大姉(信女)」「禅定尼」となることが多いです。その前に「○○院」や「○誉」「○空」が付いていることもあります。

もしご自身の宗派が分からない場合には、お坊さんがなんと唱えていたかや戒名を参考にしてみてください。

まとめ

 

浄土宗の開祖は法然上人で、平安時代末期~鎌倉時代初期の人物。

教えはただ「南無阿弥陀仏」と唱えればいいと言う考え方で日本全国にお寺がある。

戒名は「○○○○居士(信士)/大姉(信女)」と付けることが多い。

 

執筆者:株式会社西鶴 代表取締役 山本一郎

 

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