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小牧山城について

こんにちは、枚方の霊園ハピネスパーク牧野霊園の栗原です。

このところ雨が降って気温が落ち着いてきましたね。秋がそ
ろそろ訪れてきているようです。このまま良い気候が続いて
行くように感じます。

 

牧野霊園の植栽も秋が訪れています。スタージャスミンやヤ
マボウシの葉が色づいてきました。又バラの花も秋咲きの時期
になり、そこかしこに花が咲いています。

 

小牧山城について

 

小牧山城は愛知県小牧市にあった日本のお城です。かつて織田
信長の居城があった事でも有名です。信長が美濃攻めの拠点と
して築城し、のちに小牧・長久手の戦いでは徳川家康の陣城と
なりました。濃尾平野の小牧山に築城され4年間しか使用され
なかったため、急増の砦に近いものと考えられていましたが、
近年の発掘調査で、城郭を取り巻く三重の石垣が発見され、又
城の南部では移転してきた住民によって営まれた町割りも発見
されました。これにより清洲城に代わる新たな拠点として築か
れた城郭であることがわかりました。現在は小牧山城が織豊系
城郭と呼ばれる城郭体系の原点とされています。

 

小牧山築城以前は尾張氏の領地でありました。元々は神聖な場
であり寺院など宗教関係の施設なども存在したと考えられ、間
々観音寺院の沿革には織田信長の命により現在の地に移設され
たとあります。

 

信長は桶狭間の戦いに勝利した後、念願の美濃併呑を実現すべ
く美濃攻めを開始した。徳川家康と清須城でいわゆる清州同盟
を締結し東部の脅威が無くなりました。これにより全力で美濃
攻めの体制をととのえるため本拠地を小牧山に移した。家臣に
はこの移転は不評で80年間守護所があった清須から他の地に
移ることへの抵抗が大きかったことが推測されるエピソードが
残っています。稲葉山城の落城が小牧山移転後4年で成った為
本拠地を稲葉山城に移転し廃城となりました。

 

羽柴氏と徳川氏が戦った小牧・長久手の戦いでは小牧山に目を
付けた家康が本陣を置きました。この時信長の築いた城跡の土
塁、空堀を大規模改修し強固な陣地が築かれた。このため徳川
の勝利の一翼を担ったと賞賛された。その後尾張徳川家の領地
として保護を受け管理されました。明治維新後も尾張徳川家の
所有地でしたが昭和初期に国に寄付され、国の史跡に指定され
ました。現在の天守閣は昭和42年に建設されたものです。

 

織豊期の時代の有名な戦の重要なお城ですので是非調べてみて
下さい。

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