郡上八幡城について
投稿日:2024年08月10日
こんにちは、枚方の霊園ハピネスパーク牧野霊園の栗原です。
連日の猛暑で外に出るのがつらく感じます。朝夕は比較的まし
ですが、それでも直射日光に当たると汗が噴き出してきます。
無理な外出は控えるようにしています。
牧野霊園の植栽は、緑がくっきりと目に映えます。緑色を見る
と夏が本格的に来ていることを実感しています。また、バラの
花も景色に合うように感じます。
郡上八幡城について
郡上八幡城は岐阜県郡上市八幡町にあった日本のお城です。復
元天守は市指定の有形文化財、城跡は岐阜県の指定史跡に選ば
れています。
戦国時代末期にこの場所に砦を築いた遠藤氏によって築城され
ました。その後長男が城主となりましたが本能寺の変後羽柴秀
吉に対立した織田信孝の傘下に属していたため追放されました。
その後稲葉氏が城主となり城の大改修を行いました。この改修
二より現在みられる近世城郭としての基礎が築かれました。そ
の後関ヶ原の戦いの功によって再び遠藤氏が返り咲き5代藩主ま
で遠藤家が、その後井上家2代、金森氏2代、青山氏7代と変遷し
明治維新を迎え廃藩置県により廃城となりました。
現在の天守は、大垣城を参考に昭和になって木造4層の模擬天
守として建設され、模擬天守としては全国的に珍しい木造で現
存する木造再建城としては日本最古となります。
土佐藩主山内一豊の妻で、内助の功で有名な「千代」は遠藤氏の
娘であったとする説があり、郡上市の慈恩寺が所蔵する遠藤氏系
図に娘が一豊室との記載があることから有力になってきています。
このため山麓には山内夫婦の像が設置してあります。
このほかにもいろいろなエピソードがありますので是非調べてみ
て下さい。