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仏教の宗派はなぜ分かれた?歴史的背景から徹底解説

こんにちは

千年オリーブの森堺・和泉の大榎です。

 

霊園では最近までオリーブの花が咲いていました。

今はジャスミンの花が咲いています。

 

仏教はなぜ宗派が分かれているの?

仏教にはひとえに仏教と言っても、真言宗、浄土宗…などとたくさんの宗派に分かれています。

仏教だけではなく、キリスト教やイスラム教でも○○派などと派閥が分かれていますが、これはなぜなのでしょうか?

教義の違い

派閥が分かれる原因として、教義が違うということがあります。例えば仏教では、開祖はブッダでただ一人ですが、その下に弟子たちがたくさんいました。その人たちが、ブッダのたくさんの教えを様々に解釈していき、修行方法なども枝分かれしていった結果、今日さまざまな宗派があります。

 

仏教には「自らの修行によって悟りを開くべき」という考えと、「すべての人を救うことが大切」という考えがあります。この違いが、上座部仏教(テーラワーダ)と大乗仏教(マハーヤーナ)の分裂を生みました。

歴史的背景

日本では、仏教が伝わって以来、歴史的な動きの中で宗派が分かれてきました。日本に伝わった当初は中国の教えをそのまま広め、中国に実際に僧侶が留学しに行っていました。

 

しかし、遣唐使が廃止になって以降、そういった交流も減っていきます。初めは身分の高い人のものだった仏教が民衆に広まるにつれ、教えのとらえ方や修行の方法を分かりやすく解釈した人々が出てきます。それが鎌倉時代にできた浄土宗、浄土真宗、曹洞宗、臨済宗、日蓮宗などです。

 

さらに、例えば浄土真宗では現在では、大谷派と本願寺派の二派が代表的に挙げられますが、この二派はもともと一つの浄土真宗という集団でした。

 

しかし、戦国時代に織田信長に攻められた際に、織田信長と和睦を結ぶ考えの人と、徹底抗戦を訴える考えの人で対立します。それが跡継ぎ問題とも重なり、二派にわかれます。その後和睦派の人々は豊臣秀吉から京都に土地をもらいました。現在の西本願寺です。一方、抗戦を主張した人々は徳川家康から土地をもらいます。現在の東本願寺です。

地域文化の影響

仏教はインドで生まれた後、さまざまな地域に広がる中で、その土地ごとの文化や思想と融合し、独自の発展を遂げました。そのため、宗派の分裂には、地域ごとの価値観や社会構造の違い も大きく関係しています。

 

東南アジアでは上座部仏教が根付いた

タイやミャンマー、スリランカ、ラオスやカンボジアなどでは、釈迦の教えを厳格に守る 上座部仏教(テーラワーダ仏教) が発展しました。ここでは、僧侶が社会的に尊敬され、個人の修行を通じて悟りを開くことが重要視されました。この厳しい戒律の考え方が、地域の伝統や文化と合致し、現在まで受け継がれています。

 

中国では儒教・道教と融合した大乗仏教が発展

中国に伝わった仏教は、個人の修行よりも「すべての人を救う」という思想が強調され、儒教や道教と融合しながら独自の宗派が生まれました。特に、禅宗(座禅による悟りの追求) や 天台宗(法華経を中心とした教え) などが発展し、日本にも影響を与えました。

 

日本では庶民の信仰として広がり独自の宗派が生まれた

日本では、当初は貴族中心の信仰でしたが、鎌倉時代に庶民に向けた仏教が発展し、新たな宗派が誕生しました。浄土宗や浄土真宗 は念仏を唱えるだけで救われる教えを広め、禅宗 は武士階級に支持されました。このように、日本の仏教は時代の変化に応じて分裂と発展を繰り返しました。

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仏教の宗派には、それぞれ異なる教えや歴史があります。複雑でわかりにくい部分も多いかも知れません。「自分の家の宗派がわからない」など、仏教や供養に関する疑問がありましたら、ハピネスパーク・千年オリーブの森にお気軽にご相談ください。

 

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