千年オリーブの森(京阪奈墓地公園内)

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浄土真宗の歴史 親鸞とはどんな人ですか?

親鸞(しんらん)が鎌倉時代に開宗 詳しく解説していきます。

親鸞が開祖

浄土真宗とは親鸞が鎌倉時代(1224)に開宗されました。開宗時期は真宗各派で著書『教行信証』(浄土三部経)の草稿本(そうこうぼん)が完成した時期とされています。比叡山を下り法然に入門した専修念仏の教えに出会った親鸞は生涯にわたり法然の弟子を自認しました。

親鸞とはどんな人物

下級貴族の息子として生まれた親鸞は9歳で出家し、20年間比叡山で厳しい修行を積んでいました。しかし修行に励めば励むほど、さとりに近づくどころか遠ざかっていく自分の姿が見え、深い悩みの中青年期を過ごしました。そして親鸞は山を下り浄土宗の開祖『法然』と出会います。そして、「どのような人であっても念仏ひとつで救われる」という本願念仏の教えに出遇いました。不動の信心による絶対的他力で極楽往生するという考え方であらゆる人びとに救いの道をひらいたこの教えによって多くの念仏者が生まれました。しかしそれまでの仏教教団からの反感をかうこととなり、朝廷への訴えによって、法然上人は土佐へ、親鸞聖人は越後へ流罪されました。

越後へ流罪された親鸞はその地で浄土真宗を布教しました。妻に恵信尼(えしんに)を迎え43女に恵まれ90歳で没しました。

国家非公認だった

越後で流人となった親鸞は、朝廷より僧籍を剥奪された国家非公認の僧侶でした。さらに一般の人々と同様に妻帯し、家庭をもっていたため当時の社会通念にしてみれば、もはや僧侶とはいえない存在となっていました。肉食妻帯と「非僧非俗」世俗の価値観にとらわれることなく、あるがままの自分のままで仏道を生きることを力強く宣言し自らを「愚禿釋親鸞(ぐとく しゃく しんらん)」と名乗りました。

愚禿 =とは愚かな、なまぐさ坊主という意味ですが自らを「愚禿」と名乗ることによって、「非僧( いわゆる世間一般にいう僧侶ではない )」と発しました。

しかしその後に続く「釋」の一文字は、仏教の開祖である「釋尊(しゃくそん)」の一字を表しています。よって親鸞は世俗的な意味での「僧侶」であることは捨て去ったが、これからは「真実の僧侶」として生きるという意味を込め、自らを「愚禿釋親鸞(ぐとく しゃく しんらん)」と名乗ったのです。

キーパーソンと分派の歴史

第3代覚如

親鸞のひ孫にあたる。直系が後を継ぐ血脈相承を主張しました。親鸞が亡くなり、娘の『覚信』が親鸞の遺骨を京都の大谷の地に納めました。これが大谷本廟です。覚信の長男『覚如』は大谷本廟を親鸞のお墓としてではなく、親鸞が示してきた浄土真宗の教えに出会える寺院にしたいという願いがありました。そこで覚如は幕府や朝廷、諸寺院にはたらきかけ寺格化に努め、「本願寺」が誕生しました。また、『御伝抄』『口伝抄』などの著述を通して本願派の基礎の確立と布教につとめました。

 

8代目蓮如

『蓮如』(れんにょ)によって浄土真宗は教団として拡大しました。仏壇を作ったのも蓮如と言われています。また、一般庶民にも深く信仰されたことにより、信者によって一向一揆が起こる地域もあり、大名と対峙するほどの勢力が生まれるほどになりました。しかし大規模教団を恐れた徳川家康により西本願寺派と東本願寺派に分裂しました。

 

11代目顕如

一向一揆の中心として活躍し、武力で戦国大名を討ちました。長男の『教如』(きょうにょ)と親子関係が悪かったため、12代目を4男の『准如』(じゅんにょ)に譲りました。

徳川家康が権力配分のために教如に寺領を寄進した。

12代准如が浄土真宗本願寺派に、長男の教如が真宗大谷派を引き継いだ。

 

念仏で阿弥陀仏の他力本願に感謝

法然は念仏をし続けることで阿弥陀仏の救済を願うという考え方ですが、親鸞は『阿弥陀仏が人々を救いたいがために南無阿弥陀仏と呼びかけている』という考え方です。法然は救われたいと願う主体性を認め念仏を自分自身の修行を考えたが、親鸞は念仏とは阿弥陀仏の修行で念仏は仏からの働きかけと考えました。

仏は私たちに救済するために働きかけていると信じさせようとしており、その信心を得たときが阿弥陀仏への報恩感謝となるのです。

親鸞が関東で布教し、地方で発展したものに東国門徒系と越前四箇本山系がある。

 

浄土真宗の往生とは

浄土真宗の往生に対する考え方は仏が決めるものとされています。他の宗派では、故人は仏の弟子となり修行を重ねて浄土へと向かっていくと考えられています。また、故人があの世で良い報いを受けてもらうために法要を執り行いますが、浄土真宗では亡くなればすぐに成仏し極楽浄土に行けるという考えであり、法要は努める側が救われる為や感謝する為に執り行います。

 

浄土真宗の開眼納骨

お墓を建碑した際に執り行う開眼法要。

『開眼』は、「仏像の目を開く」ということからきており、作られた物としての仏像に目 を描き入れる(魂を入れる)ことによって霊験ある仏様にするという意味です。

それまで単なる作り物であったものを聖なる物としての礼拝対象物にすることを表しています。

浄土真宗では「建碑式」「慶讃法要」(きょうさんほうよう)などと呼ぶ場合があります。

『慶讃』とは仏菩薩や祖師の功徳 (くどく) を喜び、ほめたたえるという意味です。

開眼法要をしなければ、せっかくお墓を建立してもただの石のままなので、執り行うようにしましょう。

開眼・納骨のお布施の相場は3~5万円です。

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