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火葬は高僧や天皇など偉い人のための儀式だった?庶民は墓が2つ?昔のお墓事情。

昔のお墓事情について説明します。

火葬の起源については諸説ありますが、土葬が主流の時代に火葬が行われたのは高僧など身分の高い人だけでした。庶民の火葬が一般的に行われるようになった歴史はまだ浅く、お墓のあり方についても同様です。

平安時代(710年~794年)になると皇族や貴族、僧侶などが火葬されることはありましたが、まだ一般的ではなく庶民は土葬が主流でした。

 

火葬の歴史

火葬は飛鳥時代(592年~710年)に仏教とともに伝来し、日本中に広まったとされています。最古の記録は続日本紀に記されている高僧・道昭が火葬に付された紀元700年。これが日本の火葬の起源だとされていました。しかし近年の研究により、実際はそれ以前より火葬が行われた痕跡が見つかっています。

当時の火葬場は簡易なものが多く、臭いや煙など近隣住民の健康被害問題や一部の神道の人たちから「火葬は仏教の埋葬法だから廃止すべき」という主張があり、明治6年(1873年)に火葬禁止令が出されました。その2年後の明治8年(1875年)には、市街地の環境衛生上の理由などから火葬の必要性が認められ、火葬禁止は解除されます。

火葬を行うためには燃料や時間、高額な費用がかかったため、庶民に浸透するはずもなく、身分の高い人だけの儀式とされていたのです。庶民に火葬が広まったのは江戸時代(1603年~1868年)の終わり頃からですが、火葬率が50%を超えるまでになったのは昭和の時代になってからのことです。 

 

お墓の歴史

お墓という概念で言えば、穴を掘って遺体を埋葬していた縄文時代にさかのぼるでしょう。弥生時代になると今の棺にあたる甕棺(かめかん)に遺体を納めるようになります。その後、古墳時代には皇族や貴族など身分の高い人だけが埋葬される古墳が造営され、庶民が古墳に埋葬されることはなくなります。

江戸時代になると、死装束を纏い棺桶に納めて埋葬し、土を盛る土饅頭(どまんじゅう)の形式がとられるようになったのです。卒塔婆(そとうば)や墓石が一般的になったのもこの頃からで、現在のお墓の原型といえるでしょう。

 

墓が2つの両墓制

日本の墓制習俗の一つで、庶民のお墓を対象に遺体を埋葬する場所とお参りする場所を分けるものです。1人の死者に対して2つのお墓が存在することになります。両墓制の前提は土葬なので、火葬が主流の現代ではほとんど見られなくなりました。

 

まとめ

日本のお墓事情は埋葬方法によってその形を変えてきました。土葬から始まり、火葬が主流となった現代ですが、現在人気の樹木葬などは昔の埋葬方法が原型となっている部分もあるのではないでしょうか。

 

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